初恋相手は結婚相手かもしれない 7
私の通っ私の通っていた大学では英語圏ならばアメリカ、カナダ、ニュージーランドに協定校があり、学部の正規生として授業を受ければ授業料は全額免除の上、日本で単位の交換ができるいわゆる交換留学のパターンと、大学付属の語学学校に自費で通うパターンの二つがあった。私は卒論に関わる授業を学部で受ける事を考えていたのと、費用の面で前者を取る事を決めていた。
「あなたは留学する為にどんな努力をしてきましたか。何の為の留学ですか。」
1年生の夏休み前の事だ。
留学を担当している教授に言われ私は英会話を勉強している、卒論のテーマの為だと伝えるとそれを一蹴された。
まず留学にはお金がかかる事。いくらかかるか知っているか、その準備をしているか、親からの理解は得られているか。ということを聞かれた。
言い訳になるが、一回目の面談だった事、それに震災の影響で私ができるアルバイトの求人が一切なかったためそこは全く考えていないところであった。
「うん、それじゃあまずそこがクリアになってから来てください。」
まさかの展開だった。
そこから私はどのくらいの金額をどのくらいの期間で貯めて、親をどのように説得するか考え始めた。長い夏休みの間にアルバイトが決まり、2年半かけて100万円を貯めることを目指した。両親も大学生なんだからやりたい事を自分のお金でやる分には何の問題もないと言ってくれ、第一段階はクリアできた。
夏休み明け。
再び面談に向かった私はようやく留学に向けての話を進めることになった。ここでもう一度何をしてきたのか聞かれ、同じように答えるとそれでは足りないよと言われた。まず日本にいてもできる事は沢山ある、それをこなしていかないと留学は遊学になってしまう、この大学の環境を最大限活かしなさい。
この教授との面談でようやく留学とはどんなものなのかわかったような気がした。きちんと準備をしていかなければ1年はあっという間で、無駄になるか生きるかは自分次第なんだと。その時から私は意識を変えていくようになった。
まず留学生のチューターに申し込んだ。半年間日本に来たばかりの留学生の生活のお手伝いをする制度で、最初は中国人、次はフランス人のチューターとして活動した。
英語を使う事はなかったけれど、いろんな国の生活や文化を知る事ができ、友達の輪を広げる事ができた。
大学自体は地方だったのでなかなか校外で国際交流をするのが難しく、よりいろんな国の人と友達になりたいと考え東京まで国際交流事業に参加しにいったりした。
おかげで世界各地に友達がいる。
一番の友人はラトビア人の女性で、5年前に知り合ってから毎年クリスマスカードを送り合う仲。悩んだときに色々な視点からアドバイスをもらう事ができるので外国人の友達は大事だなって今ものすごく実感している。
この辺りの事を少しずつ進めていって、外国人とのつき合い方や文化や習慣の違いを受け入れるトレーニングができる環境(大学)を最大限に使おう、というのが教授の意図するところだった。私は何も考えず楽しく、時に葛藤しながら2年半続けて留学に向かったおかげで割とスムーズに環境になじむ事ができた。
ただ、そうではなかった人を見ていたので環境があれば外国人慣れをすることはしておくといいのかもしれない。
そんなこんなで少しずつ留学が自分の仲で具体化される中で、私にとって一番大変だったのはTOEFLのスコアだった。