閑話休題*玄関先の死神
今日は私の『相棒』のお話。
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「はじめまして。終わりを告げに来たよ」
初めて出来た友人を、初めて家に招いた日。
緊張しながら扉を開けると、彼は誇らしげに
「死神」の鎌を掲げてみせた。
それは、いまの私の相棒たるタロットデッキとの出会いの1コマ。
よろしくね、と挨拶をしながらカードをめくる。
ワンドのエース、カップの2、はたまた星や世界なんてキラキラしたカードを見せてくれるかもしれない…
だが目を落とした途端、甘い幻想は崩れ去った。
鎌を片手に白馬に跨る、黒いフードを被った男性の姿。
それは紛うことなき「死」、「死神」と呼ばれるカードだった。
当時カード慣れしていない私は震えたものだ。
でもよく見ると、男はフードの下でニヤリと笑っているようで。
まるで、びっくりしたでしょ?と言わんばかりに。
…冗談キツいなぁ……
苦笑しながら、まさか彼がこの先ずっと相棒になるとは当時思いもしなかった。
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死はそれ単体では「終わり」でしかない。
しかしその存在を受け入れ、先にあるものを見つめた時______それは「大いなる始まり」だと気付く。
一つの死によって一つの生が始まる。
先駆者を新たなステージへと導き、後進を空いたスペースへと誘う。
私たちはそれぞれが別個の存在ではなく、何か途方もないサイクルに組み込まれた歯車の一つだと教えてくれる。
死といえば、ホロスコープで思い出すのは8ハウス。
そういえば自分のネイタル・ホロスコープを始めて出した時、太陽が8ハウスにあったので驚いたっけ。
太陽は人生の目的と言うけれど……私の目的は死?
でなければ遺産頼みってことだろうか。
よく分からないし、なんだか怖い…そう思っていた。
考えてみれば失礼な話だ。
8ハウスもなかなか奥深い部屋で、7ハウス(他者との交際)から一歩進んだ…ということで「人間関係の深まり」を示していたりもする。
ひとつになって、融け合うまで。
それは個としての「死」を意味する。
ひとりきりの自我が死ぬことで、他のだれかとのより深い関係が始まっていくのだという。
少し話がずれてしまった。
これは連想ゲームで、8ハウスと死神は異なるものだ。
しかしふたつに共通する、恐れられがちな仮面の奥にある神妙なメッセージに、私自身考えを改めることになったのは間違いない。
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カードを引くとき、私たちはどこか神聖な気分になって
手や体を清めたり、祈るように触れることもある。
良い未来を確信するための前向きなカードが導かれるよう、思わず願ってしまうこともあるだろう。
だから否定的な絵柄を目の前にすると、傷つき悲しみに満ち満ちてしまったりもする。
でも……そんなギャンブルのような関係を私たちは望んでいただろうか?
私たちが答えを求めて星を描き、カードをめくるなら
応えてくれた彼らの声に、限界まで耳を傾けたい。
たとえ恐ろしくとも、不可解でも…
その奥にまだ大切なメッセージが眠っているかもしれないから。
はじまりの『死神』は壮大な意味を背負って、自然な動作で手を伸ばす。
新しいステップを踏み出そう、と無邪気に鎌を掲げて。
他のカード達も同じ。
忘れてはいけない_______彼ら全員、いつでも私たちの味方だ。
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占いを知っている私たちは幸運だ。
ホロスコープなら、自分のネイタルチャートを見つめ直すことで
そしてタロットなら、カードを通して自身の内面に問い掛けることで
いつでも忘れかけていた初心にかえることができる。
大事な相棒として、あまり気負わず、ありのままを問いかけてみれば
きっと幾万の宝石より切実に、魂の奥底にまで響きわたることばを投げかけてくれることだろう。
よければ、あなたのカードとの馴れ初めも聞かせてください。
そこにはきっと色とりどりの出会いの物語が秘められているはず。
想像するよりもはるかに身近で、遊び心に満ちた絵札の数々。
だからこそ私たちも彼らを愛さずにはいられない。
人生の行く末を決めるような、重要な選択の案内役として用いるのもいいけれど…
玄関先の死神にお菓子をあげるような、遊び心のある関係もきっと素敵なもの。
タロット・カードの魅力がますます広まっていくことを祈って。
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