ELMMA英語遍歴(前半 2007年まで)
こんにちは。elmmaです。今日は私の半生の英語歴を綴ってみたいと思います。正直、どちらかと言えばぱっとしない経歴ですが、読んで頂けたらと思います。
英語の勉強らしい事は、小4の時に塾に通って行っていたくらいです。曜日や月の単語、How are you?くらい、初歩の初歩の内容しか勉強しなかったです。でも、それで良かったのです。私の頃は。もちろん、小学生で英検2級に合格していた子は当時でもクローズアップされていましたね。
中学は中高一貫の私立でした。小学校に比べて出来る子が多く、私は初めて挫折を味わい勉強が一気に嫌いになりました。当然英語もパッとしない…。でも、筆記体で授業をしていたのは良かったのではないでしょうか?英検4級くらいまでは分かりましたが、3級は難しく感じました。aloneという言葉をaloveみたいに読んでしまったり、典型的な出来ない子でした。
ぎりぎり高校に進学できたが、もう分からない事だらけ…。ただ、きちんと日本語訳、音読CDさえあったら何とか出来たのではないか。当時はインターネットで調べることも殆ど普及しておらず、頼るは紙の辞書のみ。ある文法の総合テストで私は18点。一番できる人は98点…。人生周回遅れを食らっていましたね…
1997年、大学には進学できず、初めて安河内先生の英文解釈の本を読み始める…。guinea pig(モルモット)という単語が印象的だった。スキルに関わらず、英単語は当時から好きだったのかな…?もちろん解釈は全くできず、1浪終了しても大学の入試問題には歯が立たず…偏差値は50くらいだったと思います。
1998年、ようやく体系的な文法問題に取り掛かる。 is not so much A as Bなど、いわゆる受験英語として基本、標準レベルの問題が出来るようになり、偏差値は58くらいまで上がるが、志望の大学にはまだ受からず…センターの問題を試しに解いてみて、118点とぱっとしない…。
1999年、3年目の正直、バイトしながら大学を目指す。MARCHレベルには受かりたいと思い、その思いは叶う。センター英語は155点。人生で一番苦しい時だった。国立も狙ってみたが、数学がからっきしだったので歯牙にもかからず。落ちた大学、リベンジしたいなあ…。
2000年、大学で英語で1番になってやりたいと思い、速攻でTOEICや英検の勉強を始める。国際化熱が今より強かった気がする。その甲斐あってか大学の英語のクラスは上から2番目。でも…、他の学生はやる気が無い。自分があんなに浪人時代苦しんだのは何だったのか、と周りからしたら理不尽に見えるオーラを出す。電車の行きかえりは常にPASS単や長文を読む。overtやcovertなど、自分の中に新しい世界が広がっていくのが楽しかった。ただ、スピーキングは苦手で、英検準1級の2次に落ちる。初英検1級は2000年の10月。合格点が81/122のところ、70点しか取れず。今とは若干形式が違い、条件英作文があり、高得点が難しかったです。また、インタビューのリスニングは12点の配点で、しかも記述式でした。
2001年、初TOEICで800点を出す。この得点が出て、一気に英語が好きになる。英語の塾講師も始める。講師としては最悪だったけれど、色々な刺激に触れ、勉強の楽しさを知る。もっと英語を極めたい。今の大学じゃだめだと思い始めた。英検1級は80点くらい取れるようになったが、合格点は85/122くらいが標準だったので、あと数点の差にいつも泣かされていた。英単語は大好き。でも、それ以外がだめであった。英会話教室にも通っていたが、流暢さがなかったので中級クラス。ちょっと物足りなかった。Flu is an infectious disease.とか言っても通じなかったなあ。英語を勉強していて、分かってくれないもどかしさも感じていた。
2002年、外国語を本格的に学べる大学に行きたい。人生を賭けて英語を極めたいと思い、塾講師をしながら密かに大学を再受験する。自由英作文では、bear fruitという表現を書いたのを覚えている。英検1級は相変わらずだったが、1次合格まで2点差まで詰め寄ったこともあった。振り返ってみたら、世の中がすごく前向きで、私自身も波に乗れたと思う。トータルではどんどん茨の道を進んでいるとは知らずに…。
2003年、24歳で大学1年生。周りは若くて才能のある若者ばかり。コンプレックスと自尊心が入り混じる生活が始まった。大学までの距離も遠く、人生で一番体力を使う生活。TOEICを受け、860を取得。いまいちぱっとしない。英語に対して挫折感、家庭に対しても不安感を感じる。外国語専攻の英語は非常に難しく、文学作品を辞書なしでそのまま訳しなさいなどというレベルであった。当然単語レベルは英検1級レベルを超える。過度の難易度は私からモチベーションと自信を奪っていった。通勤距離も長く、バイトもしなければいけない。とても学業に打ち込める環境ではなかった。
2004年、2005年、2006年ととにかく忙しいだけで、何が残ったのだろうか?詳しくは書けない。とにかくもがいていた。一言で言ったら、「壮大な無駄な努力」を続けていたのである。何も残らない生活。誰のために私は生きていたのだろうか?でも、振り返ったら、あの時の自分をほめてあげたい。どんなに無様でも。いや無様だからこそ、無様な自分を褒めてあげたいのだ。TOEICは特に対策をしていなかったので860近辺をさまよう。
2007年、就職のためにある試験を受ける。腐っても鯛、奇跡を起こし、大学中退にも関わらず就職できた。ただ、英語が出来る事にあまり価値が置かれない、逆マウントみたいな状態、または英語力を絶対に誇示するな的な圧力を感じたのには違和感があった。私からしたらTOEICはまだ870点で、英検1級も取っていないのに、もう英語勉強意味ないの?的なくすぶる思いを何年も持っていた。とにかく、仕事を覚えるのが先だ。
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