【随筆日記】ストリートビューで追う47都道府県思い出の場所《岡山県》
岡山県宇野港
或る年代より上の人達は「宇高航路」というものを知っているし中には利用した事があるという人もいるかと思う。僕が初めて四国に上陸したときもこの宇高航路を使った。当時まだ瀬戸大橋というものはなく、四国に向かう場合は岡山から宇野線というローカル線に乗って終点の宇野(今の玉野市)から連絡線で高松まで行ったものだ。高松駅の今の様子はだいぶ変わってしまったがやっぱり駅舎の前の広場と海の近さが特徴的なのは宇高航路があった時の名残でこればかりはどうしても変えられないからだと思う。
列車も渡れる瀬戸大橋が開通して四国とのアクセスは格段に便利になり、電車に乗りながら瀬戸内海を渡れてしまうこともビックリ。それこそ瀬戸大橋開通前、瀬戸内海を渡るのには半日仕事だったと思う。橋の開通はたしかギリギリ昭和のうちに間に合ったのではないかと思う。
そんなわけで宇高航路自体の思い出は自分の中ではかなり希薄なのだが、そんな中で一つだけ強烈に覚えている事、それは宇高連絡線「土佐丸」だ。この土佐丸にはうどんのスタンドがあり、1杯200円でかけうどんが食べられた。高松からの帰り昼食を食べ損ねまさか船の上で、しかもうどん程度しかなどとやや不満げにかけうどんを食べてみると、これが本当にうどんかというくらいに美味しかった事を覚えている。あれは強烈な思い出だ。出汁もちがう、うどんもこれまで食べたうどんとはまるで違う。これもまたうどんと呼ぶのか、見た目こそ同じだがまるで別物だと正直思ったものだ。これまでたまに食卓や給食にも出てくるうどんとはまるで別物だった。
後にこの土佐丸のうどんはとても有名で、このうどんを食べるためにわざわざ土佐丸を選んで乗ってくる人もいるほどだと知った。
次に四国へ行ったときにはすでに瀬戸大橋線という新線が営業を始めていて、もう土佐丸には乗れなくなってしまった。(瀬戸大橋線開業と同じ日に宇高航路は廃止となった) 香川が日本屈指のうどんの消費地でおいしいうどん屋が多く、うどんの文化さえあるという事はそれからしばらく後になってから知るのだが、確かにそうだったんだなと土佐丸のかけうどんを思い出すと妙に納得するものだ■