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【雑感日記】 「これだけ知っていればまずはOK・やさしい山口百恵入門」

 2021年1月30日、NHKで山口百恵のファイナルコンサートの再放送がこの日限りでオンエアされた。コンサートは1980年10月5日に行われたものだというので今から40年も前の話だ。

 このNHKの再放送(去年BSで放送されていたので再放送)をご覧になった方も大勢いると思うし、兼ねてより名前は知っていたが現役の頃は生まれる前だったという人も多数いるかと思う。そこで山口百恵のこれだけ知っておけばスッとハマっていくキッカケのようなものをできるだけ簡潔に紹介したいと思う。

千家一也+都倉俊一

 山口百恵は1973年にデビュー。同期には森昌子、桜田淳子がいてよく「花の中三トリオ」と呼ばれていた。その他にもアグネス・チャンも同期。

 13歳という若さでデビュー。その後10代前半は清楚なルックスとは裏腹に「青い果実」や「ひと夏の経験」のような際どい歌を歌い、そのギャップが注目される。この頃の歌は千家一也が作詞を担当、作曲は都倉俊一。この「千家・都倉作品」は際どさを売りにするか、当時の山口百恵の瑞々しさを存分に引き立たせる歌が特徴だった。内容は際どく感じるが具体的なキーワードはほとんどなくそれらはすべて聞き手側の想像が作り出す千家一也の手法が際立っていたと思う。この千家マジックには多くの人が魅了された。このコンビの作品をデビューから数年間歌い、この頃がまさしく山口百恵の前期と言ってもいいかも知れない。

女優活動と歌の変化

 千家・都倉作品メインでしばらく歌い続け、歌手としての活動に加えて女優としての活動が加わるのが中期だと考えられる。この間には映画とドラマにも積極的に出演していた。

 また歌手活動としてはこれまでの際どい路線から一曲一曲をさらに演じ分けるようになる。転換点は「横須賀ストーリー」で、ここからは作詞に阿木燿子、作曲は宇崎竜童の「阿木・宇崎作品」がメインとなる。

 同時に曲ごとに全く違う主人公を演じ切る熟成した歌い方もこのころ。中期は言うなれば歌でも芝居でも演じ始めるようになったと言ってもいい。

阿木燿子+宇崎竜童

 こうして山口百恵が歌の名でも映画やドラマでも演じ続けるが、女優活動の中で三浦友和との出会いがあり、1979年には公に結婚を宣言する。「横須賀ストーリー」からこの宣言までの間が中期から後期への移り変わりだと思う。そして後期への決定的な境界線はないのではと思っている。それは共演相手の三浦友和を意識して恋に落ちるまでの過程が徐々に移り変わるものだったからだと勝手にだが思っている。

 ファイナルコンサートでも山口百恵本人が自分のテーマは「女」で、それを演じ切る事を歌手としてのテーマのように言い、自分の歌を自分の分身とまで呼んでいた。

 こうして無理矢理だけど山口百恵の活動を三期に分けてはみたが歌っている歌が「千家・都倉作品」か「阿木・宇崎作品」かではっきり分けられる。そこに「秋桜」はさだまさし「いい日旅立ち」「一恵」は谷村新司(「一恵」は山口百恵本人が作詞)というイレギュラーさえ押さえておけば実は他の作詞、作曲は少なくともシングルにおいてはほとんどない。

おわりに

 以上、結局長文にはなってしまったがこれだけの事を知っておけばさらに深く山口百恵の歌が理解できるのではないだろうか。ドラマや映画にまで具体的に触れていたらきりがないので本当に簡単ではあるが山口百恵を紹介してみた。まずは「歌手・山口百恵」を存分に楽しまれる事を祈って締めにしたいと思う◼️

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