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【短編日記】 「Quiet Mode / 電車寝(1)」

 仕事からの帰り道は冗長なルートを選んで電車で帰る。冗長でできたら乗り換えは少ないともっと良い。いつも電車に乗ると早めに居眠りを始め、到着直前まで寝て移動をする。自分にとっては想像するだけでも胸が踊るようだ。遊びに行くでもない帰り道にただ寝ることだけがこれだけ楽しそうに感じることにある日気が付いた。

 電車の連続する心地よい音が耳の中で増幅され、程よい振動がそれとシンクロされていくにつれ自浄作用にも等しい心地よさが感じられる。その中、スッと落ちるような感覚に包まれる。実に楽しい。以前にはなかったこんな感覚にいつから気がついたのだろう。

 楽しみが極まると次回はもっと満足する帰り方を考える。1分でも長く乗車できるように私鉄を利用する。ひとつ上の快適さを求めグリーン車を利用する。ルートのために途中下車をして近くにある別の路線の駅までわざわざ歩く。工夫とその日の気分ひとつで電車寝を楽しむようにまでなっていた。

 いつしか電車寝のために外出し、帰ってきてからもその余韻に浸るようになっていた。こうなると側から見たら変人扱いされてもおかしくないのだろうが、最早帰りのささやかな楽しみでは満足がいかなくなってしまった。最大の趣味とも言えるものであった。

 この電車寝をさらに極めるべく、貯まっていた有給を正月休暇に付け足してまとまった休みを取り、乗り換えを繰り返しては心置きなく電車寝を楽しむことにした。飛行機で鹿児島まで行き、空港からバスで枕崎まで行き、翌日始発列車で出発。その後も鈍行や特急を乗り継ぐ。できるだけ長時間鈍行列車に乗り、接続が悪い部分では特急列車を利用。

 こうして移動を繰り返すと1週間ほどで北海道の稚内まで行く。連日朝から晩まで思う存分電車寝(場合によっては汽車寝というらしい)ができたのだ。朝から晩まで寝てばかり。起きているのは乗り換えの時とたまたま目が覚めたら外の眺めが良かったときくらいなものだ。とにかく食事をする暇も惜しんで寝てばかりいた。

 面白いことに朝から晩まで寝ていても宿に入ればまたしっかり寝られる。翌朝も始発列車に乗ると早速寝はじめ、起きては乗り換え、乗り換えてはまた寝の繰り返し。気づいた事だが昼間の方が強い睡魔がやって来る事が多いのだ。

 最終目的地の稚内の駅に到着したのは夜も遅い時間。凍り付いた道を歩いて宿に入るとビールを飲みながら旅のことを思い返していた。しかしあまりにも同じ行動の繰り返しだったので正確に思い出せない。綿密な計画は立ててあるのでその計画表を見れば行程は思い出せるがそれ以上のことは思い出せなかった。カメラは持たず写真はスマホで撮るだけだったのだが、改めて写真を見てもどこなのかもわからない車窓の風景。あまり冴えない駅前の様子、そして泊まった宿の部屋の写真くらいしかない。どれも特徴などなくいつのことか、どこで撮ったのかも位置情報を見なければまったく見当も付かない。

 もっと言えばどんな列車に乗って、隣に誰が座っていたか、車窓から見た風景もあまりに断片的。通過した町のことも何も覚えていない。そこまで徹底して寝ていたのだから本来の目標は達成できたことは間違いない。しかし旅をしたリアリティはまるで感じられない。おまけに途中で何を食べたのかも忘れてしまっていた。忘れたと言うよりは食べてないのだ。コンビニ弁当かせいぜい牛丼くらいだ。福岡でラーメンも食べなければ大阪で豚饅も食べてない。それどころか名古屋の思い出は全くない。名古屋も横浜も素通りしてしまい、仙台に至っては通り過ぎもしていないことに今になって気づいた。最果ての街の宿の中、なんとも言い難い寂寥感に包まれてしまった。

(次回につづく)


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