私はうつ病「ではない」から

入院する直前、主治医ちゃんから正式な病名を教えてもらうまで、私には劣等感のような思いがあった。

私のこれは「うつ病」には届かない
「うつ病」の方はもっと苦しんでおられる

私なんかが「うつ病」を名乗っていいはずがない

「うつ病」の風下にも置けない


主治医ちゃんは「書類上は『うつ病』にしてる」と、前々から話してた。
「書類上は」ってことは「厳密に言うと違う」のだろう。
頭いい人の考えはわからん、とか思いながら、

精神障害者保健福祉手帳2級を取得。
年金もいけんじゃね?と思い、
PSWさんや年金事務所に訊ねながら、自力で申請。

社労士さんに頼んだら遡及申請できたのかな(惜しいことしました)と思った。

でも、1級額+更新なし(たぶん)なので、不問に帰す。
支給額上がったことも嬉しいけど、それよりも更新がなさそうなのが嬉しいね。
診断書だってタダじゃないもんね。
(障害年金だけでは生きていけない。それもまた事実)


私は「気分循環症
それがなんなのか。私はゆるされていいのか。

私が「本読みたくない」って、単なる「読みたくない」ではないって。

私は病気だ。
それを理解しているから、なおつらい

病識(自分は病気だって意識)はあるが、
病気だ、と言ってしまうと、
病気を認めてしまうと、
自分を保てなくなりそうで。

けれどもこれは別の物語。いつかまた、別の時に話すことにしよう

ミヒャエル・エンデさん『はてしない物語』



私は「精神疾患」らしいよ。

昔は「私はしんどい、病気だったらいいのに」とか、よく思っていた。
そんな気がする。

そんな橘エリーでも、いざ「病気だ」と言われると、それは違うらしいよ。
なんとまあ身勝手なことか。


「私の身体障害」は、さ

受け入れるしかないわけよ。
諦めるしかないわけよ。

だって変わらないから。
改善の見込みがないから。
症状固定したから。

つまり「二度と○○できない」から。
車椅子だと特に、見た目でわかる。
期待されない。
手助けがもらえる。
「だって〜できないでしょ?」でことが進む。

それに、
10年以上前の出来事だから。
風化忘却は救いだよ。



昔は「かなしい」とか「くやしい」とか、思ってたと思うけどね。
そんなエネルギーは、とっくの昔になくなった。

「私にはできない」

小さく大きく強く儚く、
諦めるしかない。
楽に生きたいなら、自分を諦める必要があると、私はそう思ってる。


「私の精神疾患」は、さ

精神疾患は全般的に「いつからなったかわからない」方が多いらしい。

私は、身体障害と比較すると「曖昧さ」がより際立つ。
(身体障害の時期が曖昧な方も、いらっしゃると思う)

私の肢体不自由がはっきりしすぎているだけ

いつのまにか病的な思考になってってたみたい。


良くなりたいわけじゃない。

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