鬱気者(うつけもの) #2
私はいつからうつ病になったんだろう。
考えても仕方がないことを考える。
考えたところで、良い方向に向かうことはない。
それは確かだ。見渡す限り暗い世界でただひとつ、それだけが確かだ。
堂々巡り。
新しい回路を辿ってみる勇気はなくて。
新しい行動をしたいとも思えなくて。
私は「誰かが誤ってアクセスしないといい」と思いながら文字を紡ぐ。
私の文章を好んでくださる方々には申し訳なく思うべき、なのかもしれないけど、
私は「私の文章を良いものだと感じられない」ので、間違えて訪れた方の時間をいただいてはいけないと思っている。
「私にできること」と「私がやりたいこと」は異なる。
他人から評価されている「文字を紡ぐこと」で生きていけたら。
noteを公開することで、自分が生きていてもいい、と感じられるようになれたら。
私は就活をしなかった。
自分というものが社会に必要とされていると思えなかったから、就職活動をすることができなかった。
だから4月からの所属先は決まっていない。
どこにも所属しない。私はニートだ。
わかってて就職活動しなかったんでしょう?
―わかってた。わかってた、けど。
「社会」から、どこかの会社から、必要とされるわけがないだろうなって思ったんだ。
今だって思ってる。
就活をしなかった。就職活動を始められなかった。
「病気のせいで」と言って、いいのか?
「やる気がなかった」からではないか?
「甘え」ではないか?
──きっとそうだろう。
やる気がなかった、これは「甘え」だ。
「うつ病はもっと重いもののはず、私がうつ病を自称するのは間違いだ云々、という考え方は間違いだ。遠慮なく休め」
という旨のツイートがあった。
冷静に考えたら「そう」なのだろう。
私の中の冷静な自分は「休め」と言う。
私の中の厳しい自分は「休むな」と言う。
一般的な「働く(給料をもらう労働)」はしない(どこにも所属しないもん、正確には'できない'だ)けれど、
私は「私の力で」生きていくんだ。
何らかの援助を必要とするけど、それは「力を借りやすい」という「私の力」だと思っておく。そうでないとつらいから。
そう思っていないと、自分を保てないから。
私は障害支援区分3でてる、基幹相談支援事業所が作った書類にも精神のこと多少載ってる。知っているならそれでいい。
裏を返せば「人の力を(日常的に、恒常的に)借りる必要がある」ということ。
週に2,3回ヘルパーさんが来るからかろうじてお風呂に入るだけで、
1人だったらお風呂入らない。ううん、入れない。
ヘルパーさん来るときにお風呂入れなくなってきたなあ。
追い込まれないと行動できない。
大学生活はかろうじてこなせたのになあ…
医学的に見たら「なんとか動ける」くらいは「中等症」なのかな?
抑うつレベルは「中」かもしれないけど、
「生活しづらさ」「生存しづらさ」レベルは「高」だよ。
抑うつレベルとは関連がないよ。
うつ病は、病状の軽症〜重症と生きづらさレベルが一致しない。
軽症には軽症なりの苦しさが、中等症には中等症なりの苦しさがある。
私は想像しかできないけれど、重症の方だってもちろん苦しいだろう。
軽症と中等症の方々は、動くことはかろうじてできるから、
『動けるのに働かないのか』と言われてしまうのだろう。
自分のペースで「遊ぶ」こと。責任もって人のために「働く」こと。
このふたつは、精神や肉体への負荷量が違うのに。質も違うのに。
『わからない』こと自体は悪くない。
誰だって最初は「なにも知らない」からはじまる。
でも、「知ろうとしない」人が多い気がする。
「周りを見ることがない」人が多い気がする。
「知ろうとするには時間が足りない」とか、「調べる余裕(記憶に留める頭の空白)がない」とか、いろいろあるとは思うんだけど。
私は詰め寄って「知れ」とまでは言いたくない。
でも、知ってほしい。
義務教育でやってくれないかなあ・・・でも教員の負担が増えるなあ・・・
しんどい。