「支援する側」の思い?

「('頼んだ相手'を支援するかしないか)考える余地を与えるべきだ」
そう、ペット氏は話していた。

なるほど。「支援する側」はそう結論づけるのか(それが'ペット氏の一意見'であっても「私は」支援する側の総意だと捉えがち)

確かに私たちは「頼んだとき、相手に断られる可能性」を考慮しないことが多い。
…え?私だけ?さーせんした。

  ↓以下は橘エリーの「個人的な」意見。
「断られることはまずないだろう」
「大抵はすぐ終わる用事だし」
「断るよりも応じるほうが’楽'だと思う(だから'やってくれる'だろう)」


頼まれる側からしたら、「なぜ自分に?」や「都合が悪い… でも断りづらい… 」等あるのだろう。

うちの大学の支援学生(障害学生に頼まれること多い学生)が
「('頼んだ相手'を支援するかしないか)考える余地を与えるべきだ」と言うくらいだからね。
確かにそれは、私も某に対して感じたことがある。自分本位が過ぎるぞ、と思った(わざわざ言わなかったけど)。
ペット氏が言いたいことはわかる。わかるんだ。
わかるけど

障害者である私の一意見としては
「やってくれるなら'誰でもいい'から、近くにいたあなたに頼んだ」くらいである。


「支援するんなら早く取り掛かって。スマホの片手間に支援しないで。'人の尊厳'を損う真似はしないで」と、言いたい。
『あと一口』食べたい。『あと10秒』スマホ触りたい。
気持ちはわかるから、めんどくさいことになるから言ってこなかったけど。
「私の支援とスマホどっちが大事なの?」
……スマホよね。わかる、わかってるんよ。

結局人は自分がかわいい。
『あと一口』も『あと10秒』も待つしかなかった。だって「自分ひとりではできない」から。やってもらえないと次に進めない。人質みたいなもの、だったかな?楽しんで待たせていただいたけどね。


完全なる八つ当たり、だけど

私たち障害者は社会に対して、譲ったり我慢したりすること、諦めざるをえないことが多い。その代わりとして、少しくらい優遇してくれても、バチは当たらないと思う。
その「優遇制度」に感謝しなければならないことには釈然としないけど。
とっととバリアフリー、もっといえばユニバーサルデザインにしてほしい。小手先のお金は助かるけど、必ずしも欲しいってわけじゃない。

↑こういう思いが、私にはある。
「障害者の中でも少数派だろうな」とか「もらえるお金はもらいたい」とか考えるけど、
多くの障害者に後ろ指さされたとしても、私はこう言う。こう思う。


とは言え

自分の要求を「叶えてもらえて当然」くらいに思うこと、私にはできない。
「譲ってくれてもいいのになあ」と思うくらいで、それは外に対する要求ではない。

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