2023.03.23束の間の休息
16日(木)から続いた「お出かけの日々」
23日(木)は久しぶりの「休み」でした。
正直言って何したかも憶えてない。
何もしなかった、だろう。
な人らかしらは食べた、と思うけど。
昼頃まで寝たっけな?憶えてないや
記憶にないから、書くことがない。
一つ言えるのは、「1日では疲れはとれない」ということ。
4月からニートといえど、
「しっかり休んだら疲れがとれる」といった類の疲れ'ではない'のだろう。
最近は四六時中疲れているから、疲れていない状態がわからない。
ここまでくると、新たに疲れようともはや関係ないっちゃ関係ないだろうな。
新たな疲れが加わらないほうが疲れ総量としては少ないけど、
そもそも鬱的な疲れは(私の場合)静止摩擦係数であることが多い。
動き始めてしまえば、私の場合は「ノリと勢い」でなんとかなることが多い。
精神科の主治医は(前々回の診察で)
「環境変化の方が精神的安定に有用と考えます」
「何もしないまま過ごすよりも、考えるだけ考えたらまず行動、その結果を踏まえてまた行動を繰り返し、日常生活や就労の状況を変えていきましょう」と話したらしい。(前回の診察のだいたいを書いた紙、より抜粋)
…わかるよ、わかるんだけど。
理解はできるけど、私には現状を変えていこうとする勇気がない。
理屈はわかるし実感もしてる。
「自分の身を置く環境を変える」ことほど事態を好転させることはないと思う。
そして、その「自分がいる環境を変える」ことほど、難しいことはないと思う。
──主治医の気持ちはよくわかる。
私が良くなるよう力を尽くしているのが伝わる。伝わってくるからこそ、自分の中に「行動を変える気がない」ことを改めて思い知ってつらくなる。
「気」があるかどうかじゃない、
「気」がなくなるのがうつ病なんだって。
主治医も、わかってて言ってるとは思う。
私は、人の期待に応えられない自分が嫌だ。許容できない。死んでしまえばいいと思う。殺してやろうか?でもそこまでする価値ないか…
でも、私には無理だ。
『現状を変えたい』その思いだけで、変わりはしない。
行動が伴わないと、変わることはない。