2024.01.25書き散らし

躁になりそう(なった?)ときは
『疲れてだるくなる』副作用の薬を飲む。

絲山秋子さん『絲的ココロエ』より


私も「だるくなる副作用の薬」がほしいなあ。
(カルテに記載あるやろか?もうちょい探さなかんのやろか?)
でも今まで試して諦めた副作用の大半は「食欲多寡」だったと思う、から、
気合入れて探さなきゃだめかな?めんどいげー

院内散歩の説明を受け、シャワー浴びて、洗濯して干して。

頑張ったからお菓子を食べた。


夕飯に影響ないくらいに留めて、
あと40分くらいだから、とホールへ行き。
そこで本を読んでいた。


外が暗かったからか。
他患さん方と仲良くさせてもらえそうな雰囲気ではないからか(今回は個人戦かなあ)。
読んだ本の内容か。
疲れたからか。←80%「そう」だろうね。


味を感じにくくて。
でもツナ和えの味はわかったよ。


手が普段(震度3)より震えてた。
自宅から「使いやすいスプーン」を持参して良かったと、心から思った。
自己管理はめんどくさいけど、より良く生きるためだから仕方ないね。


持参スプーンでも震えた。
とても良い重さのスプーン」でさえ、震えていた。
病院のスプーンだったら(多少使いにくいから)震度6近くいってたと思うん。
菓子食べておいて(多少お腹満たされていて)よかったのでは、と思った。

もうごはんで泣きたくないんよ。
(手が震えて食べられなかった(スプーンで掬えない+掬えても落とす)ので看護師がつきっきりで食事介助してくれた夜があった。あれは非常に申し訳なかった…)


食事は喜ばしいものであってほしい。

日々いろいろとたたかっている私の願い。
私は「少しでも楽しく食べる」ために、
食べるために人を誘い、食べるために家を出て、食べるために力を借りる。

友人らから言われる「いろいろ出かけてるよね」の言葉には
「食い意地が張ってるだけだよ」と返すが、
食い意地もあるとは思うが「ここで死ぬわけにいかない」みたいな意地があるんだよね。



クニ坊さんが仰った言葉。

「死ぬまでは生きている。」

少しばかりわかった気がする。

死を受け入れる瞬間まで、人は生きようとするんだと思う(橘エリーの解釈)


「まだ食べたいものがある」「美味しい友達とあのお店行ってない」等を思っている間は、
本当に死にたい,わけではない。 のかな?


この「死にたい思い」は精神疾患からくる症状、なのだろうか。

──ええきっと、そうでしょう(「22歳の抵抗」より)


睡眠薬を飲んだおかげで、安らかに眠れそう。
命を終えたい思いはずっと傍に、影のように。


全方位から照らしたら、影はなくなるのかな?
でも刺激がしんどくなって、暗闇に引きこもりたくなるだろうね。



一度寝たら「ちょっとやそっとでは起きない」から、寝入る直前にお布団かぶらないと、しんどいね。寒い。
ドレープ持ってくるべきだったか?

→布団かぶる前に寝入った
 布団かぶって二度寝した

寒い

いいなと思ったら応援しよう!