見出し画像

我が家のお好み焼きにはキャベツが入っていなかった



長男は赤ちゃんの頃からとてもよく寝る子だった。いわゆる「寝かしつけ」をしたことがない。
眠たければ、どこででも勝手に寝てくれる。

ちょっと機嫌が悪いなぁと思ったら、おんぶ。
すると、マジックにかかったかのごとく
コトリと寝落ちするのだ。


長女の寝付きの悪さで散々手を焼いてきた
私にとって、これは夢のようなご褒美だった。
楽勝やん♪と浮かれた。


*    *    *    *    *


ところが、そうは問屋がおろさない。
最も手こずったのが「偏食」である。

離乳食が全く進まない。口に入れた途端に
ベーッと吐き出す。まあ、ここまでは想定内。

二人目の育児とあって、多少の余裕があった
私だが、ある日を境に追い詰められることになる。


関節の湿疹が気になり、アレルギー検査を
受けた時、医師からこう告げられた。

「アレルギーはないよ。でも、貧血だね。」


治療が必要なレベルらしく、
鉄分補給のための水薬が処方された。
オレンジ色のトロリとした液体。



目盛りのついたプラスチック容器に入った
それを舐めてみる。一瞬ラムネ菓子のような香り。
甘いシロップを彷彿とさせる液体が
口の中の粘膜にまとわりつく。



「ん?まあまあ美味しいかも?」


と思った次の瞬間、強烈な鉄味
ギュイーンと味覚を刺激してくるのだ。
そのマズいことと言ったら…。

口の中が血だらけになったみたいな味がする。


オ、オエー…


自然とえずいてしまうくらい不快な感覚に
支配される。これは子どもでも騙されない。
案の定、長男はなんとも言えないしかめっ面で
ベーッと吐き出した。

この日から、親子の知恵比べが始まる。
ヨーグルトやアイスクリームに混ぜたり、
チョコで固めたり、手を替え品を替え
鉄剤を飲ませることに躍起になった。

そのうち、私がスプーンを持つと
頑として口をつぐむようになってしまった。


*    *    *    *    *


食事なら大目に見るが、

これは薬だ。治療なんだ。


何としてでも体内に入れなければ。


今度はスポイドで、口の隙間から押し込む作戦に。


「アーンしてごらん。ごっくんしたら
オヤツ食べようね。」



そう話しかける私の声は、聖母のように優しい。
でも、目は笑っていなかったと思う(ホラーだ)。

必死で抵抗する長男をはがいじめにして、
唇の横からスポイドを差し込んだこともあった。


喉元をじーっと見る。ゴクリと飲み込んだのを
確かめ、「あー、よく頑張ったね!」と
腕を放した瞬間。



胃の中にあった物を全部戻してしまった。


呆然とする私。薬を飲ませるたびに
リバースするようになった。

毎回毎回こんな思いまでして、
挙句の果てに食べたものまで吐いて。
何やってるんだろう…

そう思うと、虚しくて悲しくてやりきれなくて
汚れた服を着替えさせながら二人で泣いていた。


長男にしてみたら、こんなに恐ろしいことはない。
優しいはずのお母さんが、突然怖い顔をして
マズい液体を流し込んでくるのだから。


それからしばらくの間、長男はスプーンを拒み
手づかみでしか食べなくなった。


*    *    *    *    *



発達障害の長男は、においや食感に敏感だ。
食べられる物を数えた方が早いくらい、
偏食が激しい。


あの頃、長男の体は「おっ○っと」と
ポテトフライで出来ていたかもしれない。


たまに無性に食べたくなる…


どこへ旅行しても、道の駅ではポテトフライ。
外食は選択肢が少なすぎて、ほとんどしなかった。
白ごはん、めん類、汁物、魚、野菜、果物。
どれも食べられない。

少しでも栄養のあるものを食べさせたくて
お好み焼きを作ってみた。関西人のDNAが
ミラクルを起こすかもしれないと、
ほのかな奇跡を願って。

野菜を細かく刻んで生地に混ぜ込む。
でも、キャベツがどうしてもダメだった。
みじん切りにしても、だ。口に含んだ瞬間
ベーッと吐き出す。

ソースの味を好んだので、これならイケると
踏んだのだけれど。そして、今度は料理をする
私の横に張り付いて、監視するようになった。


「これは何?」


いちいち聞く。緑色のものを混ぜていないか
確認していたのだ。
いやいや、毒なんか盛ってませんってば。


食べることが大好きで、弟の残りものまで
ちゃっかり頂いてご機嫌な娘を見ていると
そのコントラストに余計落ち込んだ。


*    *    *     *    *


ある日、療育の先生にこんなことを言われた。


「この子にとって、お好み焼きのキャベツは

アサリの砂と同じなんですよ。」



アサリの身を噛んだ時の『ジャリッ』。
あの不快感と同じなのだそうだ。



うーん、それは嫌だな。
反射的に吐き出す理由がわかった。


「一生このままなんですか?」


縋るような目で先生を見つめる。
先生は穏やかにこう言った。


「ポテトフライはね、不安を紛らわせるお守り。
この子たちは『いつもと同じ』が一番安心。
ポテトフライはどこで食べても同じ味でしょう?」


今は言ってることや起こっていることが
理解できなくて不安が大きいけれど
それが解消されて気持ちが落ち着いたら
新しいことにチャレンジできるように
なるのだという。


「それよりも、この子が楽しいと
思えることを大事にしてあげて。」


はぁーっと深いため息をついた。


私の母性よりも、ポテトフライの方が
安心だなんて。ガッカリ。


でも、ここは先生の言葉を信じよう。
もうその一択しかなかった。


*    *    *    *    *


人間は、母乳やミルクを卒業したら、
離乳食でさまざまな味を覚えていく。
生きていくために。


でも、それは「異物を受け入れる」
行為でもある。


葛藤もあるし慣れも必要なのだ。
繊細で鋭敏な味覚を失う代わりに、
多様な味、匂い、食感を知って
「おいしい」が増えていく。


周りの子と比べて異質な長男を
「異物」と捉えて受け入れなかったのは、
ほかでもない私だった。


異物をおいしいと思える日が
来るのなら、異質な長男を
素晴らしいと思える日もきっと来る。


こじつけにも近い結論だったけれど、
長期戦でのんびり頑張ろうと思えるようになった。


*    *    *    *    *


かくして、我が家のお好み焼きに
キャベツは入らなくなった。


その代わり、切干大根の煮物やひじきの煮付け、
筑前煮などを刻んで、お好み焼きの生地を
作るようになった。

柔らかく煮込まれた素材なら、
食べられることがわかったのだ。


もちろん、刻んでいる姿は絶対に
見られないように気を付けていた(怪しい母)。

おせちのお煮しめなんて、最高の素材になる。
だから、うちのアフターおせちは
お好み焼きだ(笑)。


今年、成人式を迎えた長男。
あれから彼の「おいしい」は増えたのか?




もちろんだ。



ブリの照り焼き、豚汁、カツオのたたき、
パスタ、みかん、ブドウ…


かつては絶対口にしなかったものに、
「うまそー!」とよだれを垂らしている。


そして、お好み焼きには
ザクザクと千切りにしたキャベツ。

ホットプレートでジュージューと
音を立てるお好み焼きを見て、
長男の顔もホクホクしている。



もうポテトフライには嫉妬しないよ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?