”縛られたい”人たち。
(この記事は2024年2月の再掲です。)
今、歯の矯正をしていて、
月にいちど、歯医者さんに通っています。
今日はその日で。
毎月この日に考えてしまうことがあります。
「歯の矯正が終わったら、私の歯は何にも縛られなくなるんだな。」ということ。
頭蓋骨って、体の周期に合わせて開いたり閉じたりしています。
それに伴って、歯も微妙に、きゅって縮んだり、緩んだりします。
私は今、それが叶わないので緩むフェーズになると、頭が痛くなります。
(まぁ、想定範囲内ですので、そういう時は、体にお話しとくと酷くはならないです。)
昔、山口智子さんと豊川悦司さんが主演の映画で、
undoという作品があったんです。
その中で、山口智子さんが、強迫性緊縛症というのになって、
目の前にあるもの全部、縄でグルグル巻きにしてしまう。
ペットのカメも、椅子も、最後は自分も。
愛情で縛られたかったのか。
それとも縛りたかったのか。
矯正のワイヤーを治してもらいながらつらつら考えます。
もしかしたら小さい頃、親がすごく放任主義で、
自分が思うような縛りを与えられなかったら、
大人になって、自分で自分を縛るようなことを
選択してしまうのかもしれない。と。
愛されている実感として。
例えば、
わざと
理解してくれないパートナーを選んだり
何かすごく制限されるような仕事を選んだり
筋トレや食事制限が好きだったり。
小さい頃、お母さんに「早く寝なさい。」とテレビを無理やり消されるのと
『自分のことを見てくれている』という安心感がセットなのと同じで、
「どうしてわかってくれないの」という気持ちや
「どうして自分ばかり頑張らないといけないの」という気持ちも
本当の自分を窮屈にさせる反面、
何かが常に自分のそばにいるという安心感も得ているはず。
自分を縛るものの中に自分を置いておいて
そこから抜け出そうとしない人ってすごく多くて
「簡単に言うな」と思うと思うんですけど、
それのひどいのがDVだと考えると、もし大好きな親友がが同じ環境なら
「なぜ我慢してそんなとこにいるの?」って不思議に思うのも理解できるはず。
例えば、
すごくお金がなくて、
それなら日雇いでもダブルワークでもなんでもしてお金を稼ぐとか、
体が悪いなら生活保護とか、親に助けてもらうとか、
そういうふうにしたらいいけど
お金がないっていって食べるものも食べない生活を選ぶ。みたいなことです。
(昔の私。)
例えば、
パートナーが浮気して、それがバレて、もうパートナーシップがぐちゃぐちゃなのに、別れないでいるとか。
(過去の私。)
例えば、どんどん自分を修行モードに追い込むのもそう。
(大体全部私。)
え、もしかして
この歯の矯正もそうなのかしら。
だとしたら、これが終わったら、新たに自分を縛るものを探したりして。
ああ、恐ろしい。
人の心は、どれもこれも美しくて
不器用ですね。
縛られたい人たちと同じように
ネガティヴな気持ちのままでいたい人たちもいます。
そういう人たちは
自分や他人を責めていて、何かと「どうせ。」っていう思考になったり
環境や社会を嘆いていたりしつづけます。
セッションやカウンセリングや、自分の心に向き合って、
少し罪悪感やらなんやらをとって、
一瞬は光の当たる場所に出てくるのだけど、
幸せで、自分を認め続けることがやっぱり心地悪くて
またネガティブな世界に戻ってしまう。
私はこういう人を
”もぐらな人たち”と呼んでいます。
昔の私は”もぐら”でもあって、
少し地面の上に出ては、幸せなことが怖くて
明るいことに目が焼けそうで、
またすぐに地面に戻っていました。
自分を縛っている自分の価値観を解いていくこと
光が当たる場所に慣れること
この二つには、本当に地道に
毎日毎秒、手を緩めず、自分の心に丁寧に丁寧に向き合いました。
自分を縛っているほうが楽で、
地面の下にいる方が楽なので、
それを手放す時には、時にはとても、心が痛む(気がする)こともありました。
自分を縛るもののなかに、自分をわざと置いてないですか?
修行モードになってない?
それ、全部、あなたの心が望む、自作自演かもしれません。
愛をこめて
elly
ちなみに
本物の大人の世界の『緊縛』には、セラピーのような効果があると
”縛られるほう”を経験した人は口を揃えて言います。