文化資本の差.幼いときに恵まれた環境でなかったとしても
現在大学の教授として研究に携わる人の学生時代の思い出話でよくあるのが,「高校生の時に○○という本(その研究分野のバイブルと称される有名な本)を読んで××を志したんですよ」という発言です.このような話やテキストを何度も読んだことがあります.そのたびに,「ああ,私が高校生の時なんで勉強すらちゃんとやってなかった.もし幼い頃からそのような本の存在を知っていたら今どれだけ楽できただろうか,有理に研究者を目指すキャリアを歩むことができただろうか」などと思います.
もちろん,幼い頃からプロのフィギュアスケート選手になりたいと思って幼稚園,保育園のころからスケート靴を買ってもらって練習していた方が,中学生くらいになってからスケートやってみよう,やるからにはプロを目指そうなどという心意気の人より実力があるのは当然です.
研究者のキャリアに関してもこれと全く同じで,当然大学に入る前から大学で扱うレベルの専門書に触れていた人の方が飲み込みも早いですし知識の量も違います.
ですが,知識の量と研究の質が必ずしも結びつかないこともあります.あまりものを知らなくてもできる「研究」というのが実はあって,若くても知識が無くてもできる.もしくはすごく難しそうなことをやっているように見えて,核心部分の議論は大学1年生で習うようなレベルの技術しか使っていないというものもあります.だから研究というのは面白いと私は思ったりします.「裏技」というと大げさかもしれませんが,ちょっとしたテクニックが意外にも通用するのかもしれません.ポケモンでも主人公をわざと進化させずにずっとレベルを上げていると,レベル50くらいにかえんほうしゃとかハイドロポンプのような威力の高い技を覚えます.その後進化させたらストーリーはサクサク進んでいきます.人生に於いてもこのような立ち回り方ができれば良いのですがねぇ.
また,幼いときからそういう本や出会い,文化的資本に恵まれなかったと嘆いている人に限ってたいした努力をしていないという場合が多いように私は感じます.文化的資本の差が優秀な人とあるのであれば,その差を埋めるべくその人より努力したり,戦略を考えたりするべきだと思うのですが,環境に恵まれている人より怠けていては何も解決しません.私は偉そうに語れる立場ではないですが,これだけは自信を持って断言できます.
研究の息抜きにコンビニの100円コーヒーを買いたいと思います.サポートいただけると幸いです.