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わたしのこと。【就活生時代 概要編】

こんにちは〜エリーです。
ただいま、自分史振り返りの途中です。
よろしければどうぞ。

【わたしのこと】つづき。

・就活生時代
外大の留学組は基本的に五年間大学に通うので(交換留学とは名ばかりで単位の交換条件がかなり厳しく、留学して四年で卒業するのは厳しい。貧乏な国立だから、学生から金を取れるだけ取りたいのだと思う)、わたしもパリから帰国して翌月の十月一日から就活を始めた。
なにから始めたらよいか全くわからなかったので、先輩の話を聞いたり、OG訪問をしたり、絶対内定を読んだりしたが、結局暫くはよくわからなかった。あの時役に立ったのは、これまで自分がやってきた「とりあえずやってみる」「目の前のできることをやる」ということで、わからないながらも手と足を動かせばそのうち少しづつわかってくるし、何をすべきかが見えてくる。勉強しかしたことのなかったわたしにとって、行動したらしただけ結果が出るわけではない就職活動は、五里霧中というか一寸先は闇状態だった。
企業探しなんて友達や恋人探しと同じで、つまるところお互いの相性でしかないのに、書類選考が通らなかったり、集団面接やグループディスカッションで落とされたりすると「なにがいけなかったんだろう」「自分はダメなんじゃないか」などと考えてしまいがちで自己肯定感が下がるし、「就活とはそういうもの。相性だから気にするな」とアドバイスをしてくれる存在もいなくて(就活本もだいたい攻略本的で、実力やノウハウを磨けば内定が取れるみたいなものが多い)、あれは社会経験、人生経験の少ない学生にとっては良くない習慣というか伝統だと思う。
勉強と同じ方法で就活を攻略しようとしたわたしは、とりあえず就活ノートを作り、今日の面接で聞かれたこと、自分がなんと答えたか、そしてどう答えたらより良かったと思うかを書き記していった。企業に入るのにどう答えたら正解なんてものは一切ないのだが、コミュ障のわたしにとってはコミュニケーションのブラッシュアップに役立ったとは思う。

そして、当時は信じられないほどの買い手市場だった。外大で英語フラ語を話せるわたしのスペックでも、ESを五十社ほど出して面接まで漕ぎ着けたのが二十社くらいだったのではないだろうか。四月一日から怒涛の面接が始まり、第一志望だった業界の選考時期が遅かったのでダラダラと六月頃まで続けたが、結局四月のかなり早い段階で内定をくれた某大手百貨店に入社した。わたしは中高生の頃、松嶋菜々子さんが大好きで、なかでも『やまとなでしこ』が大好きで、本当にバカだったなと自分でも思うのだが、就活生の時までスッチーになりたいという夢を捨てきれずにいた。もちろん154センチの低身長ではなれるはずもなく、グランドホステスの職種も受けたが特にやりたいことではなかったため受からず、唯一の共通点は「人前に出続けられること」だと思ったので、百貨店に入ることにした。あとはもう一つ、これは今にも活きてくる信念なのだが「自分が良いと思ったものを、良いと思ってくれる人に提供して、喜んでもらえたら嬉しい」という軸があって、子供の頃から雑貨屋さんをやりたいと思っていたり、そういう「ものを買い付けて売る仕事」に憧れがあった。百貨店に入れば、将来バイヤーへの道も選択肢としてあったので、一石二鳥だと当時のわたしは考えたのである。
ちなみに、新卒時代は「大手企業に入る」ことしか念頭になかったので、ESで落ちた企業も含め全て名前の知っている大手にエントリーしていた。転職を何度か経験した今となっては、日本中世界中にいろんな会社があるという事実を改めて知ることができたが、新卒のわたしとって聞いたことのない会社は存在しないのと同じで、調べようもなければアクセスしようもなかった。だから業界を全く絞らず、手当たり次第に大手企業を受けていた。百貨店も二社だけ受けて、片方に引っかかった感じだった。最終面接まで呼んでくれた企業はたった三社で、うち一つはお祈り電話があり、もう一つは面倒くさくなってこちらからお断りした。なので、結論内定をくれたのは某百貨店だけだった。

転職を三度して、現在は起業して自分で小さな会社を経営している身だが、就活、転職活動、そして自分でビジネスを育てた経験をして思うのは「この道で合っている」ときは必ずトントン拍子に話が進むということだ。いずれの会社の選考も全てスムーズに話が進み「とりあえず現時点ではここでいいんだろうな」という確信があった。結局サラリーマンは無理だったので独立したけれど、全ての場所で学んだことが現在に活きているから、感謝こそすれ、後悔は全くない。「神様がその時々にくれるチャンス」を的確に見極め、人生に生かしていく。これを数回の就職活動で体得できたことを考えると、やっぱりサラリーマン生活に無駄はなかったと断見できる。それに社会人としての常識とかマナーとか、メールの書き方電話の仕方などなど、ある程度世間一般の世界はこういうもの、という感覚を身につけることができる。これが「最終的に自営業で生きるのは賛成だけれど絶対に社会人経験はしておくべき」という持論の所以である。やっぱり社会で生きたことのない人は、なにかがずれていると感じることが多い。そのズレを自覚したうえで自分の人生を生きるのか、自覚すらできずにイタい人として生きるのか。両者には、大きな溝があるのである。


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