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都会のサラリーマンになったよ

9年間の田舎暮らしで感じた、日々の些細な記憶が薄れてしまいそうだから、記録しておこうと思って、これを書いている。
つい最近まで暮らしたアパートの隣に広がるのは田んぼ。田んぼにはよくシロサギがいた。夏が過ぎると秋の虫が鳴き始める。窓の隅には蜂の巣があった。(取っても取っても作られるから、駆除するのがめんどくさくなってついには放っておいた。)猪にお尻をかまれた人を見たこともある。たぬき、いたち、へび、亀、すっぽんもいた。水道から出るのは、井戸水。水道代はかからないが飲むとピロリ菌に感染する。改札のない駅では、ICカードなんて使えない。街行き電車の最終は、午後9時代で所要時間は2時間。通勤路に信号はひとつもなかった。徒歩25分の最寄りのスーパーの営業時間は19時半まで。その町で暮らすことを選んだ理由は特にない。田舎に住むのか都会に住むのか、まったくこだわりがなくて、そのことについて考える発想もなかった。だから、田舎に住むことを選択したわけでもない。ただ流れ着いたのがその町だったからそこで暮らし、振り返ると9年が過ぎていた。

この度、わたしは都会のサラリーマンになった。毎朝、身体をねじ込まないと乗車できない満員電車で通勤をする。これぐらいしか、特筆すべきことはない。そのほかのことは滞りなく進む。生き物にはであわないし、改札もあって、徒歩5分の場所に24時間営業のスーパーがあって、近所にコンビニが4つある。最近、コンビニのレジで順番を待っているとき、内心いらだっている自分がいることに気づいた。今まで、そんな心境になったことがなかった。田舎では、便利さや快適さに関して、全く期待がなかったからだと思う。都会では、便利であることが当たり前になって、少しの不便さに反応してしまうみたいだ。

離れて気づいたのは、田舎暮らしが結構自分にあっていたということ。そこでの生活が9年間も続いたのには、理由があったみたい。
毎年、道端に咲く菜の花を見ると、その町で暮らし始めた最初の春に思いを馳せた。田んぼに水を張ると鳴き始めるカエルの声について、今日は一段と元気だなとか、今日は鳴いていないなとか考えるのは寝床に入ってからの習慣だった。夕暮れ時にラジオを聴きながらにスーパーに向かう途中、橋の上から見る夕焼けが好きだった。調味料類の液体や米を買って帰った次の日は筋肉痛だった。おすそ分けでいただく採れたての野菜のおいしさに感動した。自然に囲まれ、不便さがある環境下では、日々に些細な心の動きがたくさんあった。

田舎には田舎でしか見られない景色があるし、都会には都会でしかできないことがあるから、どちらがいいとか言うつもりはない。
ただ、田舎にいたって、都会にいたって、わたし自身は何も変わらない。目の前にあることに粛々と取り組み、毎日をつつがなく送る。そしてカラオケに勤しむ。それがわたしの暮らし方です。

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