コネクティング・ザ・ドッツ!
フランス語を学ぶために10年以上前によく見ていた「アメリ」のデジタルリマスター版を小さな映画館、日田リベルテで鑑賞した。この映画が伝えんとするのは、恋をすること自体奇跡だし、気持ちを伝えるのは怖いけど、飛び込みな!失敗した方がマシじゃん。むしろ失敗したっていいじゃん。ってこと。そんなことがフランス映画らしく詩的な台詞をもって描かれている。
この映画の見どころは、やっぱり画的に美しいところ。どの場面を切り取っても素敵なポストカードの絵柄になる。街並みや調度品が素敵でワクワクする。折に触れて鑑賞しているけど、清々しいハッピーエンドで毎度もれなく元気がでます。アメリのように不器用さがあって生きづらさを抱えている、なんていうのは、一般的にマイノリティとして扱われているように感じるのだけど、実のところは多くの人がそうなのでは、と思うんだけど。どうなの?みんな器用に生きられているの?好きなものがあって嫌いなものがあって、それぞれに他人には理解し難い癖や思考の傾向があって、過去の体験にとらわれて同じところで足踏みをしてしまったり、かと思えば何かのきっかけで思い切り前進できたり...。アメリは映画の中でそうやって試行錯誤していたけど、多くの人がこうやって過ごしているのでは?どうなんだろう?と、そんなことを思いました。
今日、「アメリ」を久しぶりに見たんだけど、年齢を重ねると、その作品に時を経て再び出会うということが増える。こんな時は、懐かしさによる思い入れも相まって、もっと好きになったりする。かの有名な"connecting the dots"のそれ(スティーブ・ジョブズのスピーチより)。少女の頃のわたしが出会った過去の"the dot"と、現在のわたしが出会った"the dot"が意図せず結ばれて線に。そんなことが増えるから年齢を重ねるのも悪くないな、と思える。年齢を重ねて、これまで無縁だった焦燥感や不安や寂しさが入り混じったような、なんとも言い表しがたい感情を不意に感じるようにもなったけど、代わりに得た"connecting the dots"の楽しみ方。何においても良いことばかりではないけど、悪いことばかりでもない。ここからさらに年齢を重ねたわたしが存分に"connecting the dots"を楽しめるように、今のうちにいろんなものに触れておきたいと思った。一つ目の"the dot"になり得る種を撒いておきたいと思う。
「人生は果てしなく書き直す未完の小説だ」だって。これは終盤にでてくる台詞。終始優しい映画です。
とにかく、映画の後に食べた焼肉屋さんのヒレが美味しかったです!
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