詩|ことばのキャッチボール
ふんわりした球を投げれば
優しくふんわりと返してくれる
直球を投げれば 同じように
まっすぐ返してくれる
投げたのと同じ分の熱量で、返してもらえると嬉しい
それがことばのキャッチボール
だけど多くの場合には
かえってこない
私が望む通りには。
わたしは あなたじゃないし
あなたは わたしじゃない
ただ嘘の無い様に伝えたくて
この心のそのままを
間違えないように わかってほしいと
祈りにも似た気持ちをこめて
言葉を尽くす
とすると必然的に言葉は長く 熱量も高いものになり
びっくりさせてしまったのかな
それとも 受け止めきれないボールだったかな
返ってきたのは
たったの数行
短く 無機質にも感じられる言葉
行間の感情も読めぬまま
沈黙の中で立ち尽くす
では私はどうすればよかったのか
虚ろな気持ちのまま
「これだから、何かを伝えるのは嫌」と
伝えることそれ自体が 苦痛に思える瞬間もある
どうせ返って来はしない
返ってきたとて 欲しいものとは違う
そんな経験を繰り返すうち
ボールを投げることそのものが
むなしく 悲しく そして怖くもなったりもして。
しばらくの沈黙の後 グラウンドを離れて一人壁向かってボールを投げ
私は、言葉をかみしめる
あなたは わたしじゃないし
わたしは あなたじゃない
十分に、分かっていたと思っていました
でも私は全く分かっていなかった
汗を流す中で 思考がクリアになり
徐々に理解する
怖くても ボールを投げるのを やめることは違うこと
そして
一人壁に向かって投げたボールは
当たった角度と速度のままで返ってくるけれど
やっぱりそれだけじゃつまらないこと
投げた後の反応まで考えることは私の傲慢に過ぎず
むしろ
相手があり キャッチボールをさせていただいている事への感謝を
私が忘れてしまっていたこと
全ては、当たり前ではなかったのに
どう受け止めて どう返すか
それは相手次第
また 返ってきた言葉を
どう受け止めるかも
私の捉え方次第
この関係性の中で
わたしらしく
いかに 相手を想い 受け止めやすいボールを投げるか
そして
どんな相手からの どんなボールも
しなやかに受け止め 楽しめるように
自分の捉え方を磨いていけるのか
やっと理解できて
大きくうなずき、私はまたグラウンドに戻る
未熟なので何度も、立ち止まり
同じことで何度も、繰り返し悩みながら。
きっとこれからも。
それでも
わたしはあなたの言葉が聞きたい
あなたにわたしの言葉を聞いてほしい
あなたと、キャッチボールができたら・・・
あなたに、キャッチボールを楽しんでもらえたら
わたしは 嬉しい。