真昼の星
猫が家に来る幸せな夢を見ては、起床後すぐにそれが夢であったことを自覚し絶望をすることが往々にしてある。
ペット禁止の実家を「ノーキャットノーライフ!」と泣き叫びながら飛び出して久しいが、猫が私の自宅の門を叩く(カリカリと)ことはいまだに無い。
近いうちには招き入れようと考えていたが、そんな甘い考えの私を叩き(バチコリと)直すような出来事があった。
先日、発送元が中国の小袋包が自宅に届いた。怪しげな灰色の袋には小さな文字が羅列されており、心なしか配達員も怪訝そうな顔をしている。
なるべく顔を隠すようにして受け取り、配達員が去った後に目撃者がいないことをキョロキョロと確認しドアとカギをゆっくりと閉める。結局爆発かなんかしたら全く意味がないのにも関わらず、半目になりながらゆっくりと開封する。
猫ミームの猫なんかい
そういえば2ヶ月前、猫ミームのこと以外考えることができない時期があった(寛解に向かっている)
ハッピーな音楽を口ずさみながらAmazonでキーホルダーを注文したことをすっかり忘れていた。中毒とはよく言ったもので、あれは言葉通り毒だ。
年始に注文した商品が2月末に届くこと(予定は2週間)が遅すぎるし包装が怖すぎる。せめてもっとハッピーな包装であってほしい。どうすんのこれ本当に。熱量とか。
それから数日後、着払いでまた荷物が届いた。
猫星(ニャンコスター)の猫なんかい
昨年9月、高校時代に長くお付き合いをしていた方がInstagramにニャンコスターのぬいぐるみを載せており、それに一目惚れした私は衝動的に彼女に連絡をして、結局立て替えてもらうことになった。
※ここで一目惚れという言葉選びはなんだか恥ずかしいがこのまま進行する。
それからお互いになかなか時間が取れず、忘れかけていたその間に彼女が結婚した。
届いた吉報を素直に大変喜ばしく思うと同時に、届いていないニャンコスターを思い顔が大変真っ青になっていった。幸せな家庭からあのニャンコスターをいち早く引き取らなければいけない。すぐに謝罪をして着払いで郵送いただくようお願いをした。
そして今日、私はニャンコスターと出会っている。なぜかsupremeの袋に包装されてきたニャンコスターのユーモアが嬉しかった。懐かしんでいるとうっすらと透けるその姿が思いの外ギチギチで早く出せと聞こえてくる。
天気が良かったので一先ず干してみる。
当たり前のことで気づかないのか、普段空を見上げることが無いから気づかないのか分からないが、昼間にも星は夜と同じくらい散らばっていると聞く。
太陽を全身で浴びようとするニャンコスターが手足をいっぱいに広げている。真昼の光に負けじと輝くこの星を私は誇らしく思う。手足であってる?
ぬいぐるみを収集する癖は無いが、一目惚れしたものへの愛がとにかく強い。新星が仲間入りしたことにより、図らずも赤青黄と色の三原色が集結。
他のスペースは取れないので3体仲良くここへ収まってもらうしかない。
ほんとうにすまん
あれだけ猫を飼うことを夢見ていた私の家には今、猫が3匹いる。
これは教訓であるが猫を飼うことはすなわち命、責任が増えることである。決して衝動で責任を背負うのではなく入念な準備や計画が必要だと感じた。
準備を怠った私は3匹の猫を受け入れる余裕が精神的にも物理的にもなく、もう三位一体でいいじゃんと躍起になっている。
モウイッカイ、とはならなかったが吉報とともにニャンコスターを届けてくれた君へ。どうかこれからもずっと幸せでありますように。目には見えない、真昼の星に祈りを捧げるように送付先から祝福をしています。