付録への愛
こんな呟きをしてしまうほど昨日からちょっと不穏な気分である(たぶん盛り上がってオーダーしたワンピースが似合わなかったのが原因)。夫にも近づかないように言ってある。
手に入らないなら、記憶を語って気持ちをなだめることにする。今日は、りぼんの付録の話を。
我が家は、父が本にべらぼうにお金を遣う人だったので、子どもたちも本はだいたい買ってもらえた。ただし父の審査に合格しなければならず、水木しげるの妖怪百科や手塚治虫のブラックジャックはオッケーでも、少女まんがは「くだらないもの」として許可が下りなかった。
許可が下りないということは、おこづかいで買ってもいけないもので、少女まんがは、友だちの家か書道教室に行って読むしかなかった。読むのはそれでまあなんとかなるとして、少女まんが雑誌、特にりぼんの付録が欲しかった。実際に使えばすぐだめになってしまうような儚い紙製品が大好きだった。
通っていた書道教室では『りぼん』と『なかよし』を買っていて、希望者のくじ引きで付録がもらえた。毎月本当に真剣にくじを引いた。書道教室では、わたしが一番年少だったので「小さい子に譲りましょう、って誰か言ってくれればいいのに...」と密かにずうずうしいことを思っていた。
家庭内では「買うことは許さないが、もらったものはしょうがない」ということになっていたので、親友には「誕生日のプレゼントには、りぼんを」とリクエストしておいた。わたしの誕生月の付録がいいものでありますように…!と強く願っていた。シールじゃなくて、ノートとか、サイン帳とか。
もうひとつ、年に一度だけではあったが、すてきな付録の入手先があった。近くの高校の文化祭バザーで、りぼんの付録の詰めあわせを売っていたのだ。高校生のお姉さんたちも捨てられずにしばらく持っていたのだろう。最近のではなく古い付録もあって、子ども向けのお値段50‐100円で、お姉さんたち正気ですか?と思っていた。買い占めたら悪いかな…とためらいつつ、3つも4つもかごに入れるわたしに、こんなに買ってくれるなら、ひとつおまけするよー、なんて言ってくれて、二重三重の意味で憧れのお姉さんたちだった。これは今でも大事にしている美しい思い出だ。
上記のチャンスがなく、それでもどうしても欲しい付録がある時は、学校帰りにお小遣いでこっそり買った。途中で全部ばらして、ランドセルや体操着入れに無理やり詰め込む。入らなくなった教科書は手に直持ちで家に帰った。どう見ても怪しかったと思うのだが、母は何も言わなかった。
こんなに必死だった付録集めも、6年生になる頃にはずいぶん下火になった。まんがのために通っていた書道教室は、全然上達しないのでやめなさい、と母から言われてやめた。友だちが購読する雑誌も、なかよし、りぼんからマーガレット、花とゆめに変わっていった。
アンチ少女まんがだった父は、その後ずいぶん遅れて『ちびまる子ちゃん』に大はまりして、いつの間にかコミックスを全部揃えていた。なんだよもう。