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善き羊飼いの教会 #3-3 水曜日

〈樫緒科学捜査研究所〉



     * * *

「死人のような顔をしてるぞ?」
 若い刑事を連れて樫緒科学捜査研究所へ現れた金子警部補は、出迎えたスルガの容姿を目にするなり、眉尻を下げて、軽く肩を叩いた。
「大丈夫です。それより早く教えてください。なにがどうなってるんです? 佐倉さんは殺害されたんですよね? 死因は? 殺害された場所はどこなんです?」
「順を追って説明するから、取りあえず座ってくれ。立っているのも辛いんじゃないのか? おい、椎葉。スルガくんになにか飲みものでも」
「飲みものだったら――」金子に命じられて給湯室へ向かおうとした若い刑事――椎葉を呼びとめて、スルガは早口でいう。「コーヒーをいれていますから、金子さんたちのぶんもおもちしますよ。もう冷めてるかもしれないけど」
「いいから君は座ってろ。おい、椎葉」
「わかりました」
 椎葉が給湯室へと向かう。
 あとを追おうとしたスルガの腕をつかんで金子は首を横に振り、デスクから少し離れた位置に置かれた、座り心地のよさそうな椅子を指差した。「具合が悪いんだろ」
「単なる寝不足ですので大丈夫……いえ、座らせてもらいます」
「あぁ。そうしてくれ。君のことだから、家に帰らず研究所にこもって分析を――」ラボの作業台へ顔を向けた金子は、台の上に置かれた品々を目にして表情を曇らせた。「なんだ? いかがわしい宗教でもはじめたのか」
「分析中の証拠品ですよ。それよりどういう状況ですか。佐倉さんが殺害されたとき、柊はどこにいたんです? 重要参考人っていいましたけど、まさか、柊を疑ってるわけじゃありませんよね」
「心配するな。柊さんのアリバイは立証されている。佐倉めぐみが勤務先の病院をでて遺体となって発見されるまでの間の、柊さんの行動はすべてカメラにおさめられていたそうだ」
「カメラに?」
 問うたスルガに頷いて返し、金子は作業台に近いデスクから椅子をもってきて、向きあうように腰を下ろした。
「とある店に設置された防犯カメラに、柊さんの姿が映っていたそうだ」
「とある店って、もしや地下鉄の山科駅そばのカフェですか」
「あ? なぜ知ってる?」金子は身を乗りだす。
「柊は、佐倉さんと十時半にカフェで会う約束をしていたんです。待ちあわせ場所を決めたとき、ぼくもその場にいたんですよ。そうか……カフェで目撃されていたんですね。よかっ……いえ、ぜんぜんよくはありませんけど、柊がカフェにいる間に、佐倉さんは別の場所で殺害された、と」スルガは肩の力を抜き、かすかに首を横に振った。「重要参考人としてすぐさま柊の名前が挙がったのは、SMSでのやりとりかなにかですか」
「スマホの着信だ。一一〇番通報入電の無線指令を傍受して現場に駆けつけた機捜が、佐倉めぐみのスマホが鳴っていることに気がつき、電話にでたんだ。着信は十時四十五分。発信者は柊さんだった」
「待ちあわせた時間の十五分後ですね。カフェに姿を現さないから、心配して電話したんでしょう」
「ちなみに柊さんは十時十五分ごろに入店し、佐倉めぐみへ電話をかけるまで一度も席を立っていない。だから疑いの目は向けていない、と、いいたいところだが……」
「楽観できない話がでてきているんです」ここでコーヒーカップをトレーに載せて運んできた椎葉が口を挟み、スルガの背後に立った。「佐倉めぐみが勤務中だった十時少し前に病院の受付を訪れた女性がいまして、その女性は柊と名乗り、佐倉めぐみについてあれこれ質問したそうなんです」
「柊が? 十時少し前にですか」
「受付によると、女性は二十代前半で、髪が長く、身長は一五〇センチほどで――」
「ち、ちょっと、待ってくださいッ!」スルガは頬を引きつらせて、勢いよく立ちあがった。「髪が長かったのなら、柊じゃありませんよ。柊は短めですし、それに身長は一六〇以上あります」
「えぇ。おっしゃるとおり。柊さんの名を騙った何者かが、病院を訪ねたんです。その女性は受付で質問したあと、すぐに姿を消したので、佐倉めぐみと顔をあわせたかどうかはわかっていません」
「どう思う?」金子が割って入り、トレーに載ったコーヒーカップを手に取る。「誰が柊さんの名を騙ったと思う?」
「誰って……訪問者の存在は、佐倉さんに伝わっていたんですか」
「伝わっているようです」問いには椎葉が答え、ゆっくりした動作でコーヒーカップを差しだした。「勤務を終えて帰ろうとしているところを呼びとめて、柊という名の女性が訪ねてきたことを伝えたと、受付はいっています」
「帰り際だったんですか。伝えた時間はわかりますか」
「十時十五分ごろです。柊さんがカフェに入った時間とほぼ同じですね」
「そうですか……柊の名前が伝わった時点で、佐倉さんは柊と連絡を取ろうとするように思うんですけど、端末に発信履歴は残っていなかったんですか」
「残っていませんでした。電話をかける前に殺害されたのかもしれません。もしくは、かける必要はないと判断して、かけなかっ――え、スルガさんッ?」
「大丈夫か、おい、スルガくん?」
「す、すみません」心配するふたりの警察官に頭を下げ、立ちくらみを起こしてバランスを崩したスルガは、椅子に腰掛けて目頭を押さえ、深く息を吸いこんだ。
「大丈夫ですか」
「すみません。続けてください」
「でも、顔色が」
「大丈夫です。椎葉さん、続けてください」
「え、えぇ。では、あの……これはわたしの推測ですが、佐倉めぐみが受付から話を聞いた直後に、柊さんの名を騙った女性と顔をあわせたのであれば、柊さん本人に電話をする必要はないので、かけなかったのも納得いきます」
「なるほど。佐倉さんと柊は初対面でしたから、名を騙った女性を柊本人だと思いこんだ――とすると、その女性が佐倉さんを襲った犯人である可能性が高い」
「おい、スルガくん。本当に大丈夫か」心配そうに様子を窺っていた金子が距離を縮め、作業台の上にコーヒーカップを置く。
「平気です。もう大丈夫ですよ」笑顔をみせて答え、スルガは自身のカップを手に取って、二、三口啜り、椎葉へ向き直った。「殺害現場、それと、死因はすでに判明しているのでしょうか」
「場所は北杏仁総合病院の北にある病院専用駐車場です。駐車場の北端にこぢんまりした林がありましてね、発見されたのは、その林の手前です」
「駐車場ですか。佐倉さんは地下鉄で通勤していると聞いたから、柊は駅に近いカフェで待ちあわせることにしたといっていたように憶えてますので、おそらく犯人が誘いこんだのでしょう。そうでなければ佐倉さんが駐車場に足を運ぶ理由がないように思います。で、死因は?」
「頭部外傷です。鈍器で執拗に殴られていて、ひどいありさまでした。犯行の手口からして――」
「怨恨による犯行ですか」
「まだ断言はできませんが、可能性としては、まあ」
「怨恨だと思いますよ」
 スルガは舌打ちして、唇を歪め、ボサボサの髪を掻きむしった。
 椎葉が不安げな目を向けて、スルガを真似るように後頭部を掻く。
 そこへ金子が座っている椅子の位置を動かして間を詰め、訝しげな表情で問う。
「おい、スルガくん。そこまでいうからには、柊さんの名を騙った女性が誰なのか、思いあたるふしがあるんじゃないか」
 スルガは眉根を寄せて、首を傾げる。太ももに両手を載せ、しばし沈黙し、金子が再度口を開きかけたところで絞りだすようにスルガは声を発した。
「断言はできませんが……えぇ、見当はついています。鈴鹿さんと会って、話を聞いたほうがいいかもしれません」
「は?」
「金子さんの甥っ子の、鈴鹿さんですよ。柊の名を騙ったと思しき人物に会って問い詰める前に、鈴鹿さんから話を聞いておいたほうがいいように思います」
「亮平……から? どうして甥の名前がここででてくるんだ」
「ぼくの読みが正しければ、鈴鹿さんは〝正確に〟被疑者を指摘できるでしょう」
「お、おい、なにいってんだ?」
「佐倉さんが、名を騙った女性を柊本人だと思いこんだのなら、面識がない相手だったのは明らかです。ひょっとすると、女性のほうも佐倉さんと会うまで相手の顔を知らなかったのかもしれません。早い時間に受付を訪ねて佐倉さんについて尋ねたのは、そういった理由があったのでしょう」
「ちょ、ちょっと待ってください!」言葉を遮って椎葉が割って入る。「ついさっき、怨恨に違いないといったばかりじゃないですか。顔すら知らないのに怨恨だなんて、矛盾していますよ!」
「そうともいえないんです」スルガは声のトーンを落とし、眉間に寄ったしわをさらに深くした。「柊が今日、佐倉さんと会うことを知っていて、成り代わることができた人物は限られています。佐倉さんと電話で話し、約束を交わした場所は〈DORMOUSE〉というガールズバーでした。柊が余所(よそ)で他言していなければ、そのことを知っているのは〈DORMOUSE〉店内にいた者だけです」
「ドーマウス?」
「D、O、Rに、ネズミのマウスで、〈DORMOUSE〉。鈴鹿さんへと〝行方不明になっている三人の捜索をたのんだ〟のは、その店の従業員であるとぼくはみています」
「あ? 亮平……に、捜索を?」
「えぇ。そうです、金子さん。伯父である金子さんのいる筒鳥署を訪ねるよう、鈴鹿さんへお願いした者――正しくは〝お願いするよう指示した者〟が、柊の名を騙り、佐倉さんを殺害した犯人です」
「な、なにをいってるんですかさっきから。その従業員、あ、あぁッ」作業台にトレーをぶつけてコーヒーをこぼしてしまった椎葉が大きな声をあげ、「す、すみませんッ! 熱ッ!」こぼれたコーヒーは、椎葉自身の手と、床と、作業台の上に載った額入りの聖句の一部にかかった。「すみません。すぐに拭きます!」
 近くにあったティッシュボックスをつかみ、ティッシュを素早く取りだして聖句へ押しあてる。『あなたの罪は水の中に沈め、ただしき教会で願い求めなさい――』記された聖句を無意識に黙読しながら、何枚ものティッシュを次々取りだして、押しあてつつ、
「し、失礼しました。ところでスルガさん、その従業員の名前……佐倉さんを殺害した犯人だとみている、ガールズバーで働く従業員の名前は、ご存知なんですよね?」
「えぇ。知っているのは、愛称だけですが――」別のティッシュボックスを手にもって作業台へ歩み寄りながら、スルガは囁くような声で答えた。「りっちゃんです。女性は店内で、りっちゃんと呼ばれていました」

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