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善き羊飼いの教会 #1-6 月曜日


〈幽霊屋敷・勝手口〉



     * * *

 鈴鹿は周囲を見回し、柿本らのいた形跡がどこかに残っていないものか探してみた。
 土の表面にタイヤで削られた跡が残っている。この跡は柿本たちの乗った車がつけたものだろうかと思いつつ、ふいに玄関のほうへ顔を向けたところで、不穏な単語が耳へ届いた。
 死体を隠した者――殺人者――三人を相手。
 調査員のスルガが、幽霊屋敷への侵入者を排除する〝凶悪な殺人犯〟の存在を示唆し、柿本たちはその者の手にかかったかもしれないといった推理を語っていた。
 鈴鹿は顔を逸らして背中を丸めつつ、両の瞼を指で押さえた。
 思考を巡らせて、これまでの経緯を丁寧に振り返る。
 ――柿本たちを探す一番の目的は個人的な金銭問題だが、三人が犯罪に巻きこまれた可能性を否定できないことことから、思い切って筒鳥署へと出向いた――筒鳥署の警察官である伯父の金子トモアツを頼った。
 伯父は捜索を拒む一方で樫緒科学捜査研究所を紹介してくれた。
 行方不明の調査は樫緒科学捜査研究所が無償で行ってくれることとなった。
 ただより高いものはないと考える鈴鹿は、研究所所員のスルガの対応に疑問を覚えたところがあったが、柿本がツイートに添付した写真に写っていた〝エンブレムの記された場所を突きとめること〟こそがスルガの望みであると知り、それゆえ依頼を無償で引き受けたのだと悟って納得できた。鈴鹿のために動いているのではなく、エンブレムを欲してやまない樫緒イチイという人物のために動いているのだ、と。――そして、そんなスルガらは、すでに目的を達してしまった
「……はあ」
 意図せず溜め息がでてしまう。
 幽霊屋敷の扉の前に立つスルガの頭の中は容易に想像がつく。発見に至ったので、これにて調査は終了――そう判断を下すに違いないと考えつつ、鈴鹿は言葉を発さずに大人しく待つことに決めた。
 ややあってスルガが扉から離れて、鈴鹿へ歩み寄ってきた。鈴鹿は頭を下げた。頭を下げて、礼を口にだしていい、スルガから返された言葉を咀嚼して――
「……え? いま、なんと?」
「裏ですよ。建物の裏に回ってみましょう」スルガはいった。「柿本さんたち三人の行方に繋がるものが残っていないか調べてみましょう。ただし、空き家とはいえ、勝手に家の中に入れば不法侵入となりますからね……や、まぁ、すでに敷地内に足を踏み入れてますけど。とりあえず建物を一周してみましょうか」
「調査を続けてもらえるんですか?」
「もちろん、できる範囲内で、やれることはやってみますよ」
「あ、ありがとうございます。まさか続けてもらえるとは……いえ、よろしくお願いします」
「えぇ。本当は現場保護を優先し、外周を立ち入り禁止にして足痕を採るべきなのですが、安全を一番に考えて集団行動をとろうと思います。こうした空き家には路上生活者などが無断で中に入っていることがままありますし、三人がトラブルに巻きこまれた可能性を考慮して……そうですね、鈴鹿さんは、二、三メートルの距離を保って、あとをついてきてくれますか。建物の正面はご覧のとおり固く閉ざされていますから、柿本さんたちが家の中へ入ったとすれば、裏手のほうからでしょう。もしかすると、どこかの窓ガラスが割られているかもしれません。繰り返しますが、第三者と遭遇する可能性があるということを念頭に置いて、扉や窓には近づきすぎず、なにか起こったときのために備えて身なりを――あぁ、靴ひもを結び直しておいたほうがいいですね」
「は、はい。すぐ直します」鈴鹿は慌てて屈み、緩んでいた靴ひもを結び直した。
「靴カバーを渡しておこうかな。それと手袋も。靴カバーは靴の上から履いてください」スルガは鞄の中からラテックスゴムの手袋と靴カバーを取りだして、鈴鹿と柊へ手渡した。「念のためにいっておきますが、今日ここでぼくにできることは限られています。もしも事件性を疑うようななにかが見つかった場合には、警察に捜索願をだして、徹底的に調べてもらうことをお勧めします」
「あ、はい。それは……えぇ」
「手袋、はめましたね。柊さんも準備はいい? では、行きましょうか。虫や蛇がいるかもしれませんので、茂みに注意してください」
 玄関の左、建物の西側へと移動したスルガが、立ちどまって周囲の様子を確認してから、ゆっくりした歩調で進みはじめる。鈴鹿はいわれたとおり二メートルほどの距離をとってあとに続いた。草で覆われた地面を避け、壁に近い、むきだしになった土の上を選んで歩く。西側の壁には顔よりもわずかに高い位置に窓がふたつ並んでいたが、どちらも防犯用の面格子がつけられていて、侵入は不可能であるように思えた。虫の羽音を手で払いつつ、周囲を注意して観察しながらふと目にとめた柊の姿に疑問を覚えて、鈴鹿はわずかに歩調を早めた。
「あのう、すみません、スルガさん」
「どうしました」
「いや、あの……なにしてるのかなって、ちょっと気になって」ほんの少し身体を捻り、鈴鹿は後方にいる柊を指差した。
 柊は手にもったタブレットを胸の高さに掲げて、最後尾を歩いている。
「カメラで動画撮影してもらっているんですよ。のちの報告と記録のために」スルガは抑揚なく答えて、とめていた足を再び動かす。
 柊が照れくさそうな笑みを浮かべて浅く頭をたれたので、鈴鹿は条件反射的に微笑んで返し、顔を突きだすように頭を下げた。
「草が踏み倒されてます。柿本さんたちが歩いたんでしょうね」建物の裏を覗きこむようにしてスルガがいった。「建物の裏手に回ったのは間違いなさそうです。あぁあ、奥に勝手口がありますね。反対側から回りこんだほうが楽に行けたみたいだな。仕様がない。ここまできたので、このまま進みましょうか」
 枯れ枝を踏み折りながらスルガは足早に進んだ。遅れて鈴鹿も建物の裏へ足を踏み入れる。ここまでの道のりは土がむきだしで草の生えていない箇所が多かったが、裏手は一面雑草で覆われていて、歩を進める毎に靴底からなにかしらの音が鳴った。かつての住人も家の裏側に足を運んだ回数は少なかったようで、あたりは荒れに荒れていた。建物から三メートルも離れると地面は傾斜しはじめて、人の侵入を拒む薄暗くて濃厚な森へと変貌する。
「それにしても、さほど大きな家というわけでもないのに――誰が幽霊〝屋敷〟と呼びはじめたんでしょうね。あぁあ、そこ、蜘蛛の巣があるから気をつけてください。大きい蜘蛛もいますよ。気をつけて。で、この廃屋ですが、どう考えても屋敷という呼称は相応しくないので、建物を直接目にしないうちから幽霊屋敷という呼称がつけられたとしか思えないんですよね。おっと、窪みになってる。気をつけてください、ここ、窪みになってますから。実のところ……佐棟町、幽霊屋敷と検索しても、この廃屋はヒットしませんでしたし、それらしき噂話も流布していませんでしたので、柿本さんたちが噂の創作者であるように思えてならないんですよ。フォロアーの気を惹くために幽霊屋敷という言葉を用いて廃屋までの道のりを実況したものの、実際目にしてみたらこんなにも小さな家だった、と。となると、また別の問題もでてくるんですけどね。柿本さんたちはこの廃屋をどのような経緯で知ったのか……あぁあ、割れてる。勝手口のガラス、割れてますね。柊さん、タブレットを貸してくれる?」
 スルガがいったように、建物裏にある勝手口のガラスは割れていた。割れた箇所はドアノブの近くだったので、解錠目的で割られたのは明白である。
 柊がタブレットを手渡す。受け取ったスルガは扉へカメラを向けて撮影をはじめた。邪魔にならないよう、鈴鹿は数歩後退して距離をとった。
「柿本たちが、割ったんでしょうか」
「おそらく、そうでしょうね。割れたのは最近のようです」鈴鹿の問いにスルガが答える。ここまで一定の距離を保って進んできた三人だが、いまは勝手口付近のコンクリートの上に集まっている。「ガラスを割ったのに中へ侵入していないはずはないので、間違いなく屋内の探索を――」
「…………」
「…………」
「スルガさん?」
 急に沈黙して身体を硬直させたスルガの態度に驚きと不審を覚えて、鈴鹿は不安な声で呼びかけた。鈴鹿と柊の存在を頭から排して完全なる自身の世界に入りこんでしまったかのように、スルガは奇異で唐突な沈黙を保ち続ける。
「スルガさん?」柊もまた心配そうに呼びかけた。
「……ふたりとも、そのまま」ややあって、「そのままの姿勢を保って。決して顔を動かさないで」スルガは囁くようにいった。
「顔を?」
「動かないで、柊さん」
「は、はい」顔を動かしかけていた柊が、すんでのところで踏みとどまる。
 スルガがタブレットの向きを変える。
 なぜか歩んできた道――建物の西のほうへカメラを向けて、それでいて視線は扉のほうをまっすぐ見つめたまま、スルガは沈黙を続けた。
 誰も動かず、言葉も発しない。ただし周囲の枝葉はせわしなく揺れ動き、森の奥からは軽快な鳥の鳴き声が聞こえてきていた。
「よし。調査はここまで! 虫の数がすごいから、スプレーを取りに車へ戻りましょう!」突然、スルガは不自然なまでに大きな声を発した。
「スルガさん?」
 鈴鹿が問うと、スルガは咳払いして背筋を伸ばした。ずれ落ちていた鞄の紐を引きあげつつ、手にもっていたタブレットを柊へ差しだす。
「録画状態は保持しておいて。さて、もう動いても構いませんよ、鈴鹿さん。ただし注意して。周囲の物音に注意して、耳に意識を集中していてください」
「な、なんですか。なにが、あの、一体?」鈴鹿が問う。
 スルガは背中を丸めて鈴鹿へ顔を寄せると、内緒話をするように小声でいった。「ぼくたちのほかにも誰かいます。何者かが敷地内にいます。何者かが、建物の陰からこちらを覗いていたんです」
「え、の、覗いてって……え?」
「本当なら、咎められるのはぼくたちの側ですが……とりあえず、宣言したとおり車へ戻りましょう。陰から覗いていた者は、ぼくの言葉を聞いて慌てて国道のほうへ去って行ったようなので危害を加えるつもりはなさそうですが、念のため――気を緩めずに。耳に意識を集中して。いいですね。行きますよ」
「あ、あの、待ってください。去ったって、さ、去ったんですか?」
「足音が聞こえませんでしたか。葉擦れの音が邪魔しているから無理もないかな。詳しくは、のちほど、車内で話しますよ。ぼくが先頭を歩きますので、一定の距離を保ってついてきてください。きた道とは逆の、建物の東側をとおって行きます。そのほうが近いし、おそらくは安全でしょう」
「スルガさん?」
「質問はあとです」スルガは背を向け、建物の東側へ向けて歩を進める。
 鈴鹿は黙ってあとに続き、そのうしろにタブレットを掲げた柊が続いた。

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