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世界の終わり #1-12 プレミア
*
いやァぁあ、嫌ッ――と、板野は声をあげるが、身体は硬直し、壁に背中をつけて座りこんでしまっている。
荒木は室内に轟いた恐ろしくかわいた音とともに、扉の前で崩れ落ちてしまった。
そしてぼくは対峙した。
峰岸氏の名を騙っていた男と。
火花を散らす棒状タイプのスタンガンを手にした男を見つめて、「あ、あの――」命に関わる最悪の状況に陥っていると頭では理解しつつも、「ごめんなさい、あの、あのですね」身体は思うように動いてくれないし、なぜか顔は綻んでいく。「しゃ、洒落になんないでしょ、それ」スタンガンを指差しながら、声の震えをとめられない。
どうしてもっているのか。スタンガンなんてものを。
「全部、聞こえてたぞ」
黄色い歯を見せて、男は距離を縮めてくる。抗おうにも、燭台に灯る炎の揺らめきが手にしたスタンガンの動きを複雑なものに変えていて、どうにもそちらへ目が向いてしまう。
指先が震え、
両膝が震え、
座りこんで顔を伏せて現実逃避したい衝動に襲われるけれども、すんでのところで気持ちを持ち直し、足を踏ん張った。
「あ、あの、落ち着いて、落ち着いて冷静に――」
血走った目で睨みつけながらも、口元はだらしなく弛緩している異様な表情の男との距離がさらに縮まる。ぼくがなにをいい、どう宥めようとも受け入れてもらえる気がしない。麻痺していた脳が活発に動きだして、ようやく引き攣った笑みを取り除けた。直後に、
窓際に立っていた板野が喚き散らし、
舌打ちした男が、板野を睨みつける。
「うぅうるさいッ、だまれッ、黙れ、黙れッ!」
板野を怒鳴りつけて、出鱈目に振り回されたスタンガンが眼前を横切る。頬にあたる疾風で怖じけそうになる。抱えていた鞄を投げだして、ぼくはクラブを握りしめる。暴力は嫌だ。殴られるのは嫌だ。傷つけられるのは死んでもごめんだから――だから、本当は望まないのだけれども、
「っくしょおぉオ!」クラブを振りあげる。板野に気を取られている男へ振りおろす。肩口へ向けて。脇へ、顔面へ向けて、容赦なくゴルフクラブを打ちつけた。こんなヤツに。臭くて、いかれた、薄汚いこんなヤツにやられてたまるか。
火花が曲線を描き、
短くも室内を揺らすほどの轟音はぼくの身体に、左の腕に触れて、
「あ――」と口からもれた声を認識する間もなく、クラブを手放して床に伏せてしまう。激痛を伴う一撃を喰らい、身体を奪われて、戦意までもを奪われた。板野が叫んでいる。叫び声をあげている。黙れ、と男が板野を怒鳴りつけて、床に転がった荒木を蹴りあげた。再びかわいた音が。火花を散らすスタンガンが室内の空気を出鱈目に揺らす。板野は素直に口を結び、部屋の隅に蹲ったようだ。男が近づいてくる。ぼくへと歩み寄る。身体中の筋肉がどうかしてしまっていて動かすことができない。駄目だ。動けない。声帯を振動させることすらできない。
「したに行こうか」
顔を近づけて、男は囁くようにいった。
嫌だ。やめろ――と、首を横に振ることすらぼくはできなくて、臭い息が首筋にふきかけられて、背中から踵にかけてぞわりと鳥肌が立ち――誰か。助けて。助けて許してお願いだからぼくに近寄らないでくれと全身で抗い、もがいているつもりが暴れ回ってくれるのは心臓と血管だけだ。脇のしたに手を入れられて、身体を起こされる。お願いだから放して。放して欲しいのに、強引に抱き起こされて臭い息を嗅がされて、熱い息は顔を伝い、鼻を伝い、喉の粘膜にまとわりつくようで不快極まりない。胃が震えた。頭の中がかき回される。
どうして? どうしてこんなことに――と疑問に思う一方で、頭の片隅では明確な解答がかたちになりつつある。男の言動。首筋を這う息。声のトーン。わかる――わかった気がしてくる。男がどういった人物であり、どのような目的で、この屋敷に入ったのか。
リビングに、なぜグールを縛りつけていたのか、が。