世界の終わり -最終話-
*
駅のロータリー側(そば)に立ち、待ちあわせた相手の到着を待っている。時刻は午後五時。空には輪郭のはっきりしない雲が散在していて、街灯には明かりが灯りはじめている。
しばらくすると、右手から見覚えのある——だけど色違いのSUVが近づいてきた。
「やあ、白石くん。待たせてしまったかな」
サイドウインドウをさげて顔を見せたのは、二週間ぶりに再会する柏樹さんだ。
薄い色のサングラスを外し、柏樹さんは髪をかきあげながら降車した。
「お久しぶりです」ぼくは頭をさげた。
「あぁ。久しぶりだね」右手を掲げる柏樹さんは以前と変わらず立ち振る舞いが二枚目で、話しかたは舞台俳優のようだった。「実にいいタイミングだったよ。白石くんから連絡をもらった直後にね、僕は解いてしまったんだ」
「解いた?」
「そうさ。解いたんだ。白石くんも気になってモヤモヤしていたんじゃないのかい? 本当にいいタイミングで電話をくれたね」
「……?」なにを?
なんのことだろう。
疑問に思って尋ねようとしたけど、先に柏樹さんのほうから話してくれる。
「わかったんだよ。ありとあらゆる謎が。ホテル跡地にいた連中はなにを行っていたのか。彼らの計画に僕たちはどのようなかたちで関係してしまったのか。板野さんの元彼の身になにが起こったのか。ここ最近、福岡と熊本の境界線にグールが出没していた理由、そして市民団体〈TABLE〉に保護された青年の正体、と——いいかい? 白石くん。僕らが出会い、目にしたものはすべて見えない糸で繋がっていたんだ。僕らは——いや、こんなところで話すのもなんだな。場所を変えよう。どこか落ち着く場所でゆっくり語って聞かせるよ、ことの真相を」
「あの……」
運転席へ乗りこもうとする柏樹さんを呼びとめて、着ていた上着のポケットに右手を入れる。
「どうした?」
「お願いがあるんです」
「お願い?」
「正しくは要求です」
真剣な顔で告げると、上気していた柏樹さんの表情は一瞬で引き締まった。
勘のいい人だから気づいたのだろう。ぼくがなにを求めているのか。そしてポケットの中へと入れた右手が、いま、なにをつかんでいるのかも。
「歓迎できない相談ごとのようだね」
「そのとおりです」
「まぁ、いいだろう。聞くだけ聞こう」
SUVへもたれ掛かりながら腕を組み、柏樹さんは正面からぼくを見据える。
ぼくは口を開く。
脅しに有効な得物を使う機会がないことを祈りながら。
「また九州へ上陸するつもりですよね?」
「そのつもりだ」
「いつ上陸予定ですか」
「心配してくれているのかい? だったら悪いが、誰になんといわれようとも、四度目の九州入りは必ず実行するよ。手続きも進んでいる。きみにとっては忌々しくて恐ろしい場所でしかない九州だろうが、僕には特別な場所なんだ」
柏樹さんは、ポケットへ入れているぼくの右手のほうへ、警戒した目を向けた。
やっぱり気がついているようだ——ぼくがなにを隠しもっているのか。
だから、『誰になんといわれようとも』なんて言葉を口にしたんだろう。
しかし肝心な部分を勘違いしている。ぼくの頭の中までは読み切れていないらしい。名探偵と呼ばれている人も、過ちを犯してしまうようだ。
早いところ誤解を解いてあげよう——ぼくの本心を。
「率直にいいます。柏樹さんが次に九州へ上陸する際、ぼくも同行させてください」
「——あ?」
口をぽかんと開けて、組んでいた腕をほどき、柏樹さんは両手をだらりとさげて固まってしまった。
ぼくが九州上陸を阻止するつもりと思っていたのだろうが、そうじゃない。
「ま、待て。なにをいってるんだきみは。九州だぞ? きみは九州で、あのホテルでどれほど恐ろしい目にあったのか、それを、まさか」
「忘れてなどいません」
一歩足を踏みだし、威嚇するように距離を詰める。
柏樹さんは前のめりになっていた身を退いて、車体へ背中を打ちつけた。
忘れるものか。
忘れたりなどしない。
正直、またあのような目にあうのは御免だ。九州に上陸するのだって本当は避けたい。二度と行きたくない。すべて忘れてしまいたいって気持ちも心の中には存在しているけど、そうはいかない理由ができたんだ。
「正気か……きみは」眉根を寄せながら柏樹さんが問う。
正気だからこその選択だと思っている。ぼくがしなきゃいけない、ぼくでなきゃいけない、ぼくだからこそできることがあるとわかったから、九州再上陸を望んだのだ。
「返事を聞かせてください」
汗ばむ右手に力を入れた。
得物を抜いて脅しても、理想の展開が確約されるとは限らないが、聞きたかった。ただ聞きたかった。いますぐこの場で聞きたかった。柏樹さんの口から、ぼくの望む答えをいって欲しかった。
ぼくは継がなければならないんだ——荒木の意思を。頼まれた願いを、約束を果たさなければならないんだ。
それに、
「わかっているだろう? 九州だぞ。きみが望んでいる場所は、未だ感染の脅威が蔓延(はびこ)っている九州だ。どのような危険が待ち受けているのかわからないし、無事に戻れる保証なんてない。しかも僕に同行するとなると、間違いなくきみはなにかしらの事件に巻きこまれる。危険な目にあう」
「わかってます」
「しかしだな」
「それでも行くんですよ」ぼくは断言した。
ぼくには、ぼくの役割があり、それを果たすのみだ。
行くしかない。
向かうしかない。
怖くても辛くても、たとえ危険であるとわかっていても、九州に行くと決めたんだ。
それがぼくにできることだから。
「……きみは、少し雰囲気が変わったな」
僅かな間を置き、呆れているとわかる口調で柏樹さんはいった。
その顔には引き攣った不自然な笑みが浮かんでいる。
だからぼくも微笑んだ。
微笑んで返した。
「変わりましたか」
「変わったよ」
「ちょっとだけ前髪を切ったんです」
「いや、そういうことじゃないからな?」
手招きされてSUVへ歩み寄る。柏樹さんは運転席へ。ぼくは助手席側の扉を開ける。右手はポケットから既にだしていた。悪くない。良い滑りだしだ。
荒木も満足していると嬉しいけど、どうだろうか。
顔をあげる。
遠くを見つめる。
そこにありもしない視線を期待して。
「どうした。乗らないのか?」
「乗りますけど、もう少しだけ」
もう少しだけ浸って、噛み締めたい。
東の空では、赤みのかかった月が昇りはじめている。
——最終章『グロウ アップ』了
引用・参考資料 敬称略
『ノーカントリー』コーエン兄弟 監督作品
『ハート・ロッカー』キャスリン・ビグロー 監督作品
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『世界の終わり』 THEE MICHELLE GUN ELEPHANT
——『世界の終わり』了
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