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劇場アニメ『ベルサイユのばら』をついに映画館で観て涙。盛大にネタバレしながら書きます。



結論から書いても、混乱


すごく泣いちゃったの。だって、大好きなオスカル様とアンドレが、
スクリーンの上に生きていたから。

でも、たじろいでいます。映画を観てからすでに3日経過。
感想を書かなくちゃと思うのですが、
もう一度観ないと、まとまった「感想文」は、書けそうもありません。

確かに間違いがないのは、私が強く揺さぶられたこと。
全編にわたって原作へのリスペクトが貫かれていたと、
それを確かに受け取ったことを、なんしても、いま、記録しておきたい。

noteには「自分の好きなものに直面した時に自分がどう感じたか」を書こう、と
決めているのに、
「涙でマスクが冷たくなりました」「鼻息が荒くなっていました」しか書けなくては、とほほ、まるでダメでございますよ。
映画制作企画を知ってから映画館に行くまでの間、この映画に対する期待がどんなふうに高まっていったのかを、時系列で表現するのもピンとこない。

エンドロールの後、アモーの前庭に咲き乱れる薔薇のシーンにため息をついて、
客席が明るくなってからも浸っていた余韻についても、
端的な言葉で表すのは難しいです。

まどろっこしいので、脳内にフラッシュするままに書いてみます。


ムビチケカードを使ったのは、初めてでした。コインで2次元コードをスクラッチしたの。


原作へのリスペクト


原作は、単行本で全9巻。アントワネット様が12〜13歳と思われる子供時代から始まって37歳でギロチンにかけられるまで(最後のページでフェルゼンは54歳)。
まさに大河ドラマ「ベルサイユのばら」を、1時間53分にまとめる。
その苦労たるや、想像を絶するものがあったでしょう。
でも、制作サイドが誠実に原作に向き合ったことが伝わってきました。

セリフは原作をそのまま踏襲しているものが多かった。

何を描き、そして何を描かなかったのか。それもとても大切なこと。

マリアテレジアやメルシー伯爵は全カット、
カメオ出演レベルのロザリー。
ドレスで踊るシーンはあったけれど、そこから続く「黒い騎士」関連のエピソードは全カット(アンドレの失明は別のエピソードで)。
オスカル様に惚れてしまう男たちのエピソードもジェローデル以外はカット。
でも、若き近衛兵ジェローデルがジャルジェ大尉と馬を並べて行進しているシーンが、ありました。原作の補完、いい仕事です。
「でも、必ずここに帰ってくると約束してください」までセリフがなかった母上。
少しスリムな容姿になって黙劇で描かれていたデュ・バリー夫人、
ジャンヌもいなかったし、豪華な首飾りはデザインが違っていた。
オスカル様は肺病に侵されることなく、セクハラ被害にもあわなく、
健康体のままでした。

でも、ばあやはマンガのままの活躍を見せ、
衛兵隊のジャンは、あの顔のまま登場していました。


オスカル様とアンドレとのあのシーン

「ヅカばら」(宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」)は楽しいのですが、
特に「フェルゼン編」については、二次創作としての度を超えているために、
決して容認できないシーンがあります。
それは、オスカル様に、お節介なフェルゼン伯爵から手紙が届いたところから始まる驚愕のシークエンス。
手紙に「アンドレの気持ちをわかってやってくれ」的なことが書いてあったのを読んだオスカル様はアンドレが自分を愛していることに初めて気がつくの。びっくりしたオスカル様がすぐにアンドレを部屋に呼んで「今宵一夜」になるという展開。

ああ、書いていて、また腹が立ってくる。

(手紙が届いた瞬間はとっても嬉しそうな様子を見せるくせに)
女装して踊って踏ん切りをつけなくちゃならないほど大好きだったはずのフェルゼンからの手紙をほっぽらかして、アンドレをいきなり私室に呼ぶ、
そんなオスカル様は、私の大好きなオスカル様じゃないのよ。


映画のオスカル様は、アンドレが自分を狂おしいまでに愛していることを理解して、そのアンドレを自分もまた愛していることに、気がついています。
ちゃんと、求婚者ジェローデルに説明できるくらいに、はっきりと。

だから、12日の夜、アンドレとの関係を大きく進展させる行動に、出る。
(挿入されるエピソードは少ないながらも、原作と基本スタンスが同じ)

小学生だった私は、原作を読んだ時、大人の愛は難しい…と、惑乱しました。
でも、美しいからいいの。そして、漫画は静止画像だから大丈夫なの。
恥ずかしかったらペラペラとめくってしまえるし。

はい。今回、あのシーンで、絵が動くので、ドキドキしてしまいました

原作にそっくりな絵が、読む時に脳内で変換させていたシーンが、
目の前のスクリーンで実際に動いている。

「怖くないから」と、言われて思わず身をよじる。きゃー。

二人の姿がフレームアウトした時に、正直、ホッとしました(笑)。

よろこびのときは
よろこびのままに
悲しみのときは
悲しみのままに

生きることを
わかちあって
きた

そして
これからも
わかちあう
ために

すべてを
あたえあう

原作ではセリフでなく、枠線のない画面に文字が散りばめられていました。
映画では、この言葉が語られていました。


ミュージカル仕立ての部分とか


当然ながら「ヅカばら」の曲は一つも入っていなくて、ヅカばらから影響を受けたニュアンスすら、嗅ぎつけることはありませんでした。

でも、残念ながら、歌についてはほとんど記憶に残っていません。
予習無しで初めて聴いたので、深々と耳に刺さってこなかったのかもしれない。
歌のシーンでは画面に麗しくもストーリー性の高い情報量の多すぎる画像が繰り広げられるので、集中力が歌以外のところにも拡散してしまったのかもしれない。
歌詞の理解は断片的、リズムもメロディも心地よく流れ去ってしまいました。

でも、一つだけ強く印象に残った音楽があります。

オスカル様がジェローデルを庭に呼び出して
「ここに一人の男性がいる・・・」と語り出す時の劇伴。

噴水が湧き上がり弦楽器が奏でられ、これが聴きたかった、と、感慨深かった。
私はクラシック音楽が好きなので、嗜好にぴったりでした。

その時、オスカル様が若葉を弄んでいる仕草も素敵で、ああ、薔薇を食べるシーンはなかったなあ、と、しみじみとしてしまいました。

熱くないショコラをブッかける、アンドレ凶暴化シーンはなかったな。



背景の美しさにうっとり

理代子先生ご自身も時々語っていらっしゃるように、連載開始前に現地でロケハン取材に行ったりすることがなかった結果が、原作の画面には反映されています。
観光用の絵葉書や図鑑などの資料をもとに作画されていたのだそうです。

それなのに、あのスケール感や奥行きを感じさせる世界観はすごいな、と、思っていましたが、後に理代子先生が創られた作品に比べると、「ベルサイユのばら」の絵はデフォルメが多かったように感じていました。

それが、

この作品では、

ベルサイユ宮殿の室内も、広大な庭園も、館の床の寄木細工も階段の手すりも、お城の前庭の坂道になっている広場も、街角の石造りの建物の外壁も、丁寧に描き込まれていました。
この、長い50年の間に何度かフランスを訪れた記憶が、ヴェルサイユ宮殿にも2回も足を踏み入れた体験が、作品の画面の向こう側にリアリティとして感じ取れて、感慨深かったです。
アントワネット様とオスカル様の選ぶ道が断絶するシーンの、金色の飾りのついた青い扉の質感に、感動しました。

オスカル様の客間にフェルゼンが訪問してきた時の室内のしつらえも、自然な感じで良かった。(窓からメルシー伯爵が入って来たりは、しない)

オスカル様の居室には内側から開く大きな掃き出し窓があり、寝台とドレッサーと書見用の机が置かれていて、身支度や勉強をするプライベートな場だと感じられるところも、とても、とても良かった。

アントワネット様が、3人の子供たちとルイ16世と一緒にプチトリアノンのアモーへ向かう小径をはしゃぎながら歩くシーンも、素晴らしかった。
あの「愛の宮殿」で、ルイ16世が涙をすシーンで、私も泣きました。
あのシーンでは、アントワネット様のファッションが史実に忠実に描かれていたこともまた、原作への補完として素晴らしい仕事だったと思います。

原作への補完。ブラヴォー

原作への補完といえば、オスカル様が衛兵隊を率いてバスティーユの戦闘へと
「前進」していくシーンの構成も、素晴らしかった。

アンドレがオスカル様を庇って被弾するシーンも、
引きの画面とアップの画面と絶妙に組み合わさっていて、
そして、水を汲みに行かないオスカル様の判断も、ものすごく良かった。

オスカル様、あの時あの場を離れなければ、と、後悔したに違いないと、
ずっと、ずっと思っていたの。


バスティーユの戦闘に向かって行くオスカル様の、ひとつひとつの声が、
本当に、素晴らしかった。

バスティーユの戦闘が描かれたコミックスのページを何度開いたか、
到底思い出すことはできませんが、オスカル様の声は、聞こえていませんでした。

画面のオスカル様は、
声を発さないその代わりに、文字で叫んでくださる存在でした。

でも、映画のオスカル様は、全く自然に語りかけてくださった。

オスカル様なら、オスカル様が日本語で話してくださるのなら、
こんな声で話すだろう、と納得のできる声でした。


14日の朝、「アンドレ行くぞ!用意はいいか」
と声をかけてしまったオスカル様。

アンドレが逝ってしまったことに気づいて、
すすり泣いたオスカル様。

「砲撃用意!!撃てーっ!!」の号令。
「市民諸君、ワラをつんだ荷車に火をかけろ」
「煙をタテにしてはね橋を襲うのだ」
「射撃を中断するな、砲手をねらえ!!」
「ひるむな!!」

撃たれたオスカル様が、苦しそうにつぶやく声。


「アニばら」は、観ていないのよ

アニメーション作品に興味がないということではなく、人並みには楽しんでいると思っています。でも、「アニばら」は、リアタイ視聴しませんでした。
放送が終わってからアランのキャラが違うことを知ってしまったので、
もう、観る気がしなくなってしまったのでした。
アラン・ド・ソワソン、大好きなキャラのひとりです。
違う人物にされるのを観るのは忍びなかった。

今回のアラン、オスカル様への想い暴発事件は削除されていたけれど、
実行に及ばないだけで、感情が高まっていることは伝わってくる、
ディアンヌも削除でシンプルなキャラだけれど、いいアランでした。


「ヅカばら」に乗っ取られている頭の中?

た…隊長!
バスティーユの上に
し…白旗が…!


ついに…
落ちた
か…

フ…ラン
ス……

ばんざ…い…!

原作より

このシーンの時、あのBGMがないことに「あれ?」と思い、
ロザリーの金切り声が聞こえない、と、ふと、違和感を覚えてしまった。
嫌だわ「ヅカばら」に乗っ取られている、と、苦笑した次の瞬間、

あっっこれは!私自身がロザリー、ってことなのね!

と、気がついたのでした。

映画館の座席に座ってハンカチを握りしめている、観客のほとんど全てが

い… 
い…や…… 
……
いや…

いやッ!! いや いや いやッ!!
いやあああ・・ああ・あ・・あ・・あ・・あ・・・

原作より。書き文字も転記

と、心の中で叫んでいた。その声が、聞こえてくるようでした。


ついでに私のこと

改めて書きますが、私は「ベルサイユのばら」原作が大好きです。
他のクラスメートたちと同様に、小学生の時にリアタイで週刊マーガレットを読んでいました。オスカル様のことが、今でも大好きです。
高校の文化祭でスピーチした時に、影響を受けた人物としてオスカル様を紹介したくらい、大好きなんです。

その後、高校生になり、大学生になり、企業に就職し、運命の人に出会って結婚し、仕事に夢中になり、宝塚歌劇のベルサイユのばらを観て宝塚の沼にハマり、
仕事に夢中になり、仕事でいっぱいいっぱいになり、
そしてサラリーマン生活を終了して、今に至っています。

去年noteに投稿を始めた頃、宝塚雪組で「ベルサイユのばら フェルゼン編」を上演していました。
その感想を書こうとしたら、自分でびっくりするほどのボリューミーな思いが噴出してしまい「ベルサイユのばら」が私にとってどれほど大切な作品なのかを思い知ることになりました。

今回も、こんなに言葉を尽くしても、思いは尽きません。
ああ、すでに5,000文字を超えている。


映画は、ぜひもう一度映画館で観たいです。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。


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