![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/170413430/rectangle_large_type_2_ecab1dab2595162ec2071f59c6bec62e.jpeg?width=1200)
【FORMOSA!!−空想世界の歩き方−】KAAT神奈川芸術劇場で観劇した私は、空想世界をどんなふうに歩いたのか。書いてみました。
2025年1月13日(月・祝)KAAT神奈川芸術劇場で、西洋奇譚「FORMOSA!!−空想世界の歩き方−」を観てきました。公演の千秋楽でした。
(これ以降タイトルを「フォルモサ‼︎」と略記します)
あらすじを紹介する意図はありませんが、観てきた感想ですから、この後、まっさらの状態で観たい方にとっては邪魔になるネタバレ情報があるかもしれません。
![](https://assets.st-note.com/img/1737093170-jCEhzc3kQuiHoL7s09FUpR46.jpg?width=1200)
再び感謝から
最初に、この特別な公演を鑑賞することができたことに、感謝します。
すべての巡り合わせに、心からの感謝を捧げます。
魂に刻んでおきたい観劇体験
「フォルモサ!!」は、去年の12月6日に、梅田まで日帰りで観に行った演目です。12月8日には配信も見ました。そして、公演の千秋楽を観たのです。
当初発表された出演者30名のうち、透真かずきさんが全日程を休演したために
29人の出演者で、公演全日程を無事に駆け抜けられました。
心からお祝い申し上げます。
主役のジョルジュ・サルマナザールを演じた雪組の縣千さんが、
目の前に燦然と輝いていました。その輝きは、比類なく、格別でした。
これ以降、尊敬を込めて「縣くん」と呼ばせていただきますね。
梅田のシアター・ドラマシティの舞台の上で息づいていた主人公の青年は、
今回、横浜の舞台の上で、はっきりとした輪郭を持って、
くっきりとした奥行きを持って、あの、夢のような空間に、
縣くんの肉体を借りて、確かにそこに生きていました。
生身の人間が劇場空間に体現する世界には、確かな命が吹き込まれていました。
梅田の公演よりも横浜の公演の方が良かった、舞台がより成熟していた、ということではないのです。
劇場の時空で生まれてくるものは、スペシャルな「何か」です。
演者が発するエネルギーが、受け取る観客の受容体を埋める、
観客が発するエネルギーが、演者に特別な何かをもたらす、
その相互作用が、循環し、大きな渦のようになって、
その場だけで感受することのできる唯一無二の「何か」として、
顕現するのです。
その時にしか混入し得ない「千秋楽の公演」という要素が混ざって、
特別な手触りが加わって、
1月13日のKAAT神奈川芸術劇場に満ちていた「何か」は、
優しさと愛に溢れた不思議な生命体のようだったのでした。
舞台上の人物を、こんなにも誠実に丁寧にかたちづくっていた縣くんを、
椅子の上の観客である私は、ただ、刮目して見ていたのでした。
今、ほんの少しだけ冷静になって思い起こせば、フェルゼン編のアンドレを
「舞台上に生きさせた」ことを以てして、
彼女の力量がただものではないことはすでに証明されているのでした。
彼女がどんなテクニック、技術、手法で物語にアプローチして、
演じる人物に肉薄していくのかを知る由はないし、知らなくてもいいことです。
でも、生身の人間である縣くんが、
目には見えない、想像力の支配する「エーテル」の中から、
そのエッセンスを過たずに抽出し、生命力あふれる人物像をかたちづくり、
魂を込める様子が、客席から、はっきりと見えるのです。
舞台の上に物語世界を繰り広げ、息を吹き込み、動かしていくありさまが、
目の前にはっきりと現れてくるのです。
そして、同じ舞台に関わる人たちが、互いの熱量に反応し合い、
歓びをもって共にエネルギーを発している姿もまた、見えてくるのです。
これが、タカラジェンヌ縣千を観ることで観客が受け取れる最大の喜びなの、
と、言いたいです。
たくさんの言葉を使いましたが、言い尽くせません。
物語が終わってフィナーレのダンスが続き、そして最後のデュエットダンスが始まるときには、縣くんの表情に、感極まったものが見えたようにも思えました。
本当に涙がこぼれていたのかはわかりませんでしたが、
特別に大きな感情が彼女を覆っていたことは間違いのないことでした。
客席全体を包む空気の中にも濃厚に感じ取れたことでした。
彼女が実際に涙をこぼしたのは、もう少し後の、
幕がすっかり降りて仲間たちだけの空間に戻っていってから、
だったのではないかしら、と、想像しています。
カーテンコールのとき、縣くんは出演者の中央に立って、
笑顔と泣き顔がマーブル模様のように入り混じった複雑な表情で、
最上級生の久城あすさんのスピーチを聞き、
自ら丁寧に紡いだと思われる温もりのある言葉で、感謝の辞を述べていました。
千秋楽の大団円にふさわしいスペシャルなシーンでした。
テーマソング
そう、僕は、たどりつく
僕にしか見えない世界に
その世界を歩いたならば
どんな足音がするだろう
幕開けと最後のシーンで歌われたこの歌は、人間賛歌として、
優しく力強く、聞こえてきました。
縣くんのために作られた、チャーミングなテーマソングです。
「想像力」が翼を広げて大空を進んでいくさまを歌うそのメロディは、
のびのびと明るく柔らかく、大好きな歌になりました。
歌詞は配信を見ながらメモしたもの。Blu-rayが発売されたらすぐに買って、
耳コピして楽譜に起こして練習して、私も歌ってみよう。
これから数年先の未来になって、縣くんが卒業することになって、
そのときサヨナラショーがあるとしたら、
きっとそのショーの幕開けに歌うのにふさわしい歌だな、
と、ふと思って、いきなり胸が詰まりました。
花園を去る日が必ず来る、それがすべてのタカラジェンヌの宿命なのですが、
「サヨナラショーがあるとしたら」という仮定は、
本当は、無責任に言葉にすべきことではないのです。
サヨナラショーは、ごく限られたタカラジェンヌの卒業時だけに行われるもの。
それを知っている一人の観客の脳裏に唐突に惹き起こされた勝手な夢想です。
お許しいただければと思います。
なんでそこまで時空を越えちゃったのか、客席に座っていた自分。
でも、縣くんが、卒業していく未来のその日にどんな立場であったとしても、
私はきっと、縣くんから途轍もない幸せを受け取り続けているだろう、と、
確信しています。
お芝居のテーマ
自分はいったい何者で、未来に何を望んでいるのか。
その問いに対する答えに辿りつくには、
嘘偽りのない自分を、正直に、真っ直ぐに、見つめることしかない。
そうするには勇気が必要だけれど。
その答えを探し求める過程を通じて、自分のいのちを肯定できる。
魂を解放することができる。
このお芝居のテーマは、ここにあるのでしょう。
自らに正対して、逃げない、そこに人間の強さの普遍的な水源があるのよ、
というメッセージを、直球で受け取ったような気がしています。
サルマナザールとして生きるという、
高揚と、同時に、苦悩と葛藤の時間を体験した主人公が、
人間の本当の強さの源泉とは何か、その水源となる泉はどこにあるのか、
どのようにして気づき、どのようにして見出すことができたのか。
主人公にだけでなく、私たちにも、探究の道筋へのヒントを示してくれた、
そこに辿りつくための「歩き方」を見せてくれた。
この作品には、そんな普遍的なテーマがあったのだ、と、感じています。
幕切れ間近の、ドンデン返しに至る部分で、
どうしてジャンは「サルマナザール」から手を離すことに決めたのか、
その理由が、発光するかのようにはっきりと見えてきました。
彼の魂が、ただしく、よく生きることを、希求していたから、なのですね。
梅田で観たときには、第1幕のクライマックスで歌われたアリアに強く心を動かされました。あの歌は、ジャンがどのように「サルマナザールとして生きること」を選んだのかを衝撃的に示していました。歌からジャンの「クレド」を感じ取って、
彼の行動を支えた動機の切実さに心を打たれました。
予習を通じて心に残った宿題に対する答えを、そこに発見したのでした。
今回は、ジャンが、本物の自分として真実の人生を生きていく道筋を選ぶ、
その必然の流れがはっきりと見えました。ジャンの魂が奥深くに秘めていた、
純粋さと強靭なレジリエンスに、大きな共感を覚えたのでした。
縣くんの姿からは「これが答えだ、受け取ってみろ」的な気負いを感じることが、
ありません。この人物がこのように存在している、その様子を、極めてナチュラルに見せてくれるのです。去年の今頃(2024年1月3日→2月11日)東京宝塚劇場で縣くんが演じていた「ミロ・デ・メイヤー教授」は、その典型的な一例でした。あの人物に完全に心を撃ち抜かれ、目が離せなくなったことを思い出します。
座付作者である熊倉飛鳥先生が、主役を演じる縣くんを想定して書いた物語だもの、稀有な演者である縣くんが「ジャン」を体現できたのは当然の結果だよね、
などと早々に結論づけてしまうのは、いくらなんでも省略しすぎです。
ジャンの物語がこんなにも胸を打ったのは、縣くん自身が文字通り精魂込めて、
とことん役に挑んだ、クリエイションの苦しい道筋を経たからに違いないのです。
彼女の苦闘にジャンが同期したからこそ完成した舞台、そうに違いないのです。
だからこそ、ジャンの選んだ行動から、澄んだ泉の水のような清新な印象が伝わってきたのだと、私は、そう思うのです。
私は、客席で、観た
この舞台を、私は客席で、この目で観ました。まだ心がざわついています。
このざわざわを、いつまでも味わっていたいです。
カーテンコールの様子を忘れたくないので、一言一句に正確さはないものの、
記憶を辿って書いておきます。
メンバー最上級生の久城あすさんが、心温まるスピーチをしてくれました。
この公演で私たちは、大切なことをたくさん学びました。
いつの日か巡り合う次の舞台に生かせるように、
心の中に大事にしまっておきたいです。
久城さんのスピーチの次に、縣くんからの挨拶がありました。
この作品は、舞台に関わった全員が、
見にきてくださったお客様も含めた全員が、パズルのピースを埋めるようにして
つくりあげ、今日、こうして完成することができたのだ、と感じています。
そして、出演した全員で、バトンをリレーするようにして、
場面から場面へと、想いをつないでいくようにして、
つくりあげてきたのだ、と感じています。
こんなふうに、二つのメタファーを使って表現してくれたと記憶しています。
その様子を、久城あすさんと叶ゆうりさんが寄り添って視線を交わしながら、
微笑みながら、見守っている様子が、目に入りました。
若い雪組生たちが、感激してキラキラしている様子が、目に入りました。
確か、カーテンコールは3回ありました。
縣くんが
「この空想世界に、まだ、ず〜っと居たいと思う人〜?」
って問いかけてくるものですから、
「は〜〜〜〜い!」と元気よく手を挙げてしまいましたよ。
最後にカーテンが上がった時には、
客席は総立ちのスタンディングオベーションとなっていました。
その様子を見た瞬間の縣くんの表情が、忘れられません。
心のシャッターを押します。この光景を忘れない。
というようなコメントがありました。
その時の、カメラを構えてフレーミングするような姿を、私も忘れずにいます。
客席に照明がついて「公演は終わりました」のアナウンスがあっても、
まだ鳴り止まない拍手に応えて、
濃紅色のカーテンの隙間から、縣くんが一人で出てきて、
カッコよく「決めセリフ」を言ってくれました。
宝塚を観劇する場合、「かけ声は無しネ」は初歩的な大切なルールなのですが、
いや、ごめんなさい、流石にこの瞬間、全ての自制心が外れてしまい、
思わず ヒューヒュー 声を発していました。
そして、ありったけの想いを拍手に乗せて、パチパチし続けました。
パ 私も、私も、私もね、客席でね、たくさんの幸せを、
チ こんなにもたくさん、胸いっぱいに受け取りましたよ。
パ この公演を観る前に、たくさん勉強して、
チ 長い長い時間をかけて、いろんなことを考え続けて、
パ ひとりで梅田まで、横浜まで、行っちゃいました。
チ この経験を心の中にしまって、忘れません。
パ いつかきっと、私の糧にもなるはずです。
チ 本当にありがとうございました。って。
・梅田で観た時の感想文は、↓ こちら。
・予習で「フォルモサ 台湾と日本の地理歴史」を読んだ感想文が、↓ こちら。
どちらも大量に言葉を使って綴った、暑苦しい記事です。
興味を感じたら、お時間のある時に、読んでみてください。
この文も、気づけば5,000字を超えてしまいました。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
![](https://assets.st-note.com/img/1737095867-rRNPJWZdjFhDXwvQO20Ysi63.jpg?width=1200)