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インターセプター

 第一次世界大戦初頭、イギリスはドイツのツェッペリン飛行船部隊による戦略爆撃を繰り返し受けたものの、すぐに軽快な戦闘機隊を繰り出し、巨大で鈍重な飛行船は容易く狩られるようになる。戦前は飛行船を重視し、飛行機を軽視していたドイツは認識を改め、重爆撃機ゴータを投入した。

ロンドンを空襲するゴータ爆撃機

 防空網が整い、最早ツェッペリン恐るるに足らずと鷹を括っていたイギリス人は衝撃を受ける。ゴータはツェッペリン飛行船よりも速く、そして機敏に動く。すなわち、目視してから緊急発進をかけても迎撃に必要な高度に辿り着く前に敵は爆撃を済ませて悠々と帰還する。イギリス軍に出来るのは帰還途中の敵機を腹いせに追い回するくらいだった。

「海岸線に監視員を並べて、報告を受け次第緊急発進するしかない!」

 レーダーのない時代、爆撃機の襲来を察知するには目視か聴音しかない。この駆け引きは攻撃側に有利で、攻撃側は編隊を組み、気合い充実して訪れるのに対して、迎撃側はいつ来るとも知れない敵を待ち、捜索範囲は広大で、運良く見つけたとしても単騎で立ち向かわないとならなかった。イギリスの戦闘機隊はゴータ爆撃機相手に無力で、ゴータ爆撃機の多くは空中戦の結果ではなく、事故や天候不良で失われた。一連の爆撃はゴータ襲撃と呼ばれて恐れられる。

「爆撃機、恐るべし」

 やがて終戦を迎えて後も飛来する爆撃機のイメージはイギリス人に強く残った。大陸とロンドンは近い。未来においては毒ガス、強化された爆弾が次々と落とされ、陸戦や海戦を経ずして屈服させられるかもしれない。イギリスは戦時中に独立させた空軍を維持し、沿岸監視軍団と防空を担当する戦闘機軍団を編成し、ロンドン空襲に備える。この時点での仮想敵はフランスだった。

航空機戦闘ゾーンと対空砲ゾーン

 イギリスは敵機の飛来が予測される南、並びに東に備えて恒常的に配置される8枚のパトロール飛行機隊による壁を設置し、それを援護するように囲む対空砲陣地を形成した。沿岸部では聴音装置が敵機のエンジン音に聞き耳を立て、監視員が24時間体制で目を光らせる。ロンドンを守るパトロール飛行機隊はゾーンファイターと呼ばれた。

「一次大戦の教訓から、敵は迎撃リスクの高い昼間のみならず、夜間にも飛来する可能性が高い。ゾーンファイターは昼夜問わずロンドンに貼り付き、パトロールを実施しろ」

 視界不良の夜間にレーダーもなく空を飛ぶのは大変な困難で、ゾーンファイターは性能を上げようとすると夜間戦闘機としての特性に足を引っ張られると言うジレンマに苦しんだ。最高速度を上げると最低速度も上がるので着陸の難度が上がる。特に夜間では死活問題だった。

「ゾーンファイターでは昼間に飛来する敵機とマトモに戦えない。昼間専門の強力な機体が必要だ」

 こうして新たにインターセプター(迎撃機)と言う発想が生まれる。夜間戦闘は割り切り、上昇性能をとにかく追求して、飛来する敵機を察知したらすぐさま飛び上がって迎撃する。インターセプター隊は1秒でも早く配置に着くべく無線機すら搭載せず、完全にパイロットの目に依存して敵爆撃機を撃退するのが役目。

 インターセプター隊は沿岸部に配備され、イギリス防空網はインターセプター、ゾーンファイター、対空砲の三段構えとなった。こうして1930年代におけるイギリスの戦闘機は昼夜を問わず活動できて航続距離が長く、双方向無線を使って地上からの管制を受けるゾーンファイター系と、比較的強力で上昇性能が高い代わりに夜間戦闘能力が乏しく、無線を持たないインターセプター系の2種に分かれる。

イギリス初のインターセプター、フューリー。戦間期では最も強力なイギリス戦闘機だったものの、迎撃機としてのコンセプトは失敗だった。

 しかし実際に演習をやってみると、インターセプター隊は自軍の基地の真上を通るような爆撃機にすら上手く対応できなかった。夜間戦闘を諦めた分性能向上を果たしてなお、目視あるいは聴感してからの発進では爆撃機を追うのには間に合わない。最新の聴音装置を用いても精々8キロ向こうまでしか探知できなかった。高性能化の一途を辿る爆撃機にとっては指呼の間でしかない。

「最低限、姿は捉えられるから通信機を積んでくれ。でないと本当に無意味だ」

 こうしてインターセプター隊は通報、あるいは追跡を旨とするようになる。目視したら急速発進して直ちに迎撃にかかると言うコンセプトは否定された。

「初撃は無理だ。追い回せる速度が欲しい」

 一方のゾーンファイターでも演習を通じて問題が出る。

「夜間に活動できると言って、灯火管制した敵編隊を目視で捉えるのは困難だ。なのに夜間性能に引っ張られすぎて速度が出せないのでは本末転倒ではないか」

 高速化する爆撃機に対処するため、くっきりと個性が分かれていた筈の両系統は共に速度を重視し始める。インターセプター隊は通信機を搭載し、ゾーンファイター隊は航続距離を犠牲にしてでも高速性能を追求したので、段々と両者の境目は曖昧になった。

 こうした状況でRAFは英断を下す。

「両系統を融合させよう」

 こうして異なる系統は結び付けられ、ゾーンファイターの系統はスピットファイアとなって結実し、インターセプターの系統はハリケーンとなって結実する。バトル・オブ・ブリテンの際、丁度あつらえた様に同じ様な武装をした主力機二つがいたのは、元はまるで異なるコンセプトからスタートした二つの系統が、同じゴールを潜ったからだった。革新的なスピットファイア、保守的なハリケーンと言う違いはあっても、どちらもインターセプター並みの高速、上昇性能、良好な視界。ゾーンファイター譲りの夜間戦闘能力と双方向無線機による管制と言う意味では共通している。

 ゾーンファイターとインターセプターによる敵機の早期発見、追跡と言う発想はイギリス防空システムの基礎を形成し、レーダーが発明されると応用される事となった。また、24時間体制でロンドン周辺をパトロールするゾーンファイター隊のパイロット達は機体の数に比して非常に多く、ゆがてレーダーの発明と共にゾーンファイターが消滅しても予備パイロット枠として機能したため、来寇するドイツ空軍は落としても落としても代わりのパイロットが飛んでくるイギリス空軍に面食らう事になる。

 試行錯誤の防空空軍は正解目指して真っ直ぐ飛んでたわけではない。しかし、その試行錯誤が結果として、本土防空成功という大きな花を咲かせた。

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