A History of Erites
幻の「エリーツ vol1」 から記事を無料公開
まずはエリーツの歴史を学べるこの記事から
text by:海猫沢めろん
■結成 2004年~
「エリーツ」が結成されたのは、たしか2004年だった。
最初のメンバーは、
海猫沢めろん(G Vo)
佐藤友哉(G Vo)
滝本竜彦(エレキウクレレ)
とりはだ(Dr)
くすもとさん(B)
この五人だ。
佐藤さんと知り合ったのは2002年。中野で行われたイベント、「決戦 天の川」の打ち上げだった。
このイベントは大塚英志主催の「ほしのこえ」×『MPD-PSYCHO/FAKE Movie Remix Edition』(映画版の多重人格探偵サイコ)の上映会で、新海誠、東浩紀、大塚英志、太田克史ほか、ゼロ年代の重要人物が集結していた。
ぼくは当時、映画版サイコ監督の菊崎亮が所属するクリエイター集団「アンダーセル」(代表大塚ギチ、コヤマシゲト、西島大介、宮昌太郎らが所属)と仕事をしていたため、その関係でイベントに参加していたのである。
滝本さんとは、2003年に紀伊國屋ホールで行われたファウストフェスティバルのあとが初対面だ(これについては、文庫版『ぼくのエア』のあとがきに詳しい)。知り合ってからよくバイクで家まで遊びに行っていたため、そのうち彼も阿佐ヶ谷に来るようになり、周辺に引っ越してきた。
作家としての活動履歴がある佐藤さんと滝本さんはともかく、他の二人は何者なのか?
とりはだはぼくの7つ下の弟だ。2000年代前半に上京してぼくと同居していた。
趣味は2ちゃんのVIP板のオフ会に行くことで、鳥肌実に似ていたので名前がとりはだになった。後に結婚して子供ができて、離婚して、高円寺に引っ越して鬱で休職して引きこもり、再婚して新潟に引っ越して肉切りマシンの営業マンになり、また子供ができて、さらに奈良に引っ越すのだが、この頃は普通の好青年だった。
くすもとさんはぼくが当時やっていた書評ブログの読者だった。
ぼくのサイトでは、書評とはまったく無関係の宅録CD音源「第二次成長期ハァハァ」(ケニー・ザ・スケボーエンジェル)を手渡し販売していた。それを買ってくれた人間が二人いて、そのうちの一人が阿佐ヶ谷に住んでいた彼だった。ギャルゲーとアニメ鑑賞が趣味ということで、引きこもりのオタが来ると思ったら、ディジリドゥを持ってマントを着用した仙人みたいなオーラのイケメンがやってきたので驚いた。
たまたま家が直線距離で50メートルくらいの近所だったたため、ほぼ毎日遊ぶようになった。彼は後にカンボジアに渡っていろいろな死線を越えて帰国、ディアステージ秋葉原の店長、ゲンロンカフェの店長、ディアステージの音楽プロデューサーと出世していくのだが、この頃はタイ式マッサージ師だった。
紆余曲折を経て2004年――デビュー作が出版された直後のぼくは、とくに小説の依頼もなく、阿佐ヶ谷の2階建ての小さな古民家でフリーのデザイン業をやりながら、ひとり細々と暮らしていた。
ぼくの家は、玄関に木の鳥小屋を改造した妖怪ポストそっくりの郵便受けが設置されていたため、近隣住民から「鬼太郎ハウス」と呼ばれ、いろいろな人が遊びに来るたまり場みたいになっていた。
経緯は思い出せないけれど、ある日、そこで誰かがバンドをやろうと言い始めた。「エリーツ」が滝本さんの命名だったことだけは覚えている(ぼくが出したバンド名「シャブライド」は却下された)。
キャッチフレーズは「大卒がひとりもいないバンド」。
このキャッチフレーズを披露する時が永遠に来ないことを、この時点では誰も知らなかった。
■練習開始
最初の練習は新大久保のスタジオで、THE BLUE HEARTSの「リンダリンダ」と「TRAIN-TRAIN」をコピーした。なぜか滝本さんがキーボードではなく「エレキウクレレ」(略してエレレレ)という謎の楽器を持ってきた。
ドラムのカウントを合図に、テレキャスターが最初のコードを鳴らした。マーシャルのアンプから、スタジオを殴りつけるような暴力的な歪んだ音が響き、地響きのようなベースラインがリズムを支える。ギブソンのレスポールがシンプルなペンタトニックスケールのアドリブソロを奏で、初期衝動を感じさせるヴォーカルの雄叫びの後ろで、空気を切り裂くきらびやかなエレレレが南国の風を運んだ。
完璧な演奏だった。
練習が終わったあとに興奮さめやらぬまま駅前のファミレスで録音を聞いた。驚愕した。まったくコピーできていなかった。そもそも歌詞すら誰も覚えていなかったうえにまともに演奏できていなかった。滝本さんだけが「これを聞くと元気がでますよ」と言っていたのを覚えている。確かに、家に帰って聞くとそんな気がした。
その後、3回目くらいの練習で滝本さんがエレレレを電車に忘れて紛失。パートがヴォーカルになったり、くすもとさんがエレキ大正琴になったりしつつ、試行錯誤が続いた。練習曲は、
「白痴」(エリーツ)
「ばらの花」(くるり)
「WALKING IN THE RHYTHM」(FISHMANS)
「光と影」(Polaris)
「Welcome!」(Di Gi Charat)
「Smells Like Teen Spirit」(Nirvana)
奇跡的に残っていた一七年前の練習音源のURLを掲載しておく。(雑誌に掲載中)
■活動休止 2006年~
06年、ぼくは株の失敗やらなんやらでお金がなくなり、鬼太郎ハウスを引き払うことになった。
滝本さんはこの時期、結婚して阿佐ヶ谷から近い鷺宮のデザイナーズ物件に住み、いろいろな問題に悩んでいた。
佐藤さんの私生活は謎に包まれており、だいたいが部屋にひきこもってゲームをしているか小説を書いているかだった(たぶんこのくらいの時期に島本さんと出会っていた気もする)。
とりはだは離婚したり就職したり、くすもとさんは海外に行ったり。メンバーがバラバラになったことで、エリーツの活動は休止状態になった。
ぼくは長年なじんだ阿佐ヶ谷中央線文化から離れ、谷根千あたりのシェアハウスに流れ着いて、相変わらずいろいろな事件続きの人生を送っていた。
■再結成 ~2019年
2013年。佐藤さんの別プロジェクト、「フリッカーズギター」(ばるぼら×平林緑萌)が始動。練習と飲み会を重ねた。
2018年。DTM熱が高まった滝本さんがTKMT名義でソロ活動を開始。作曲した音源をイベント「滝本竜彦復活祭」で販売。50枚が完売した。
かつて「DOMMUNE」内の海猫沢×滝本の番組「ATLANTIS」内でも曲を流したことがあったが、完成度を増したそのサウンドは14年の歳月を経て、新たなる音楽活動の予感にふさわしい新鮮さに満ちていた。
2019年後半、佐藤さんと滝本さん、そしてベースのロペスのプロジェクト「ロベスピエール」が始動。
ロペスは以前からぼくらの共通の知人であり、郊外から都内に通う妻子ある普通のサラリーマンなので特筆すべきことはない。
この「ロベスピエール」のスタジオ練習にPhaさんが参加。
Phaさんと出会ったのは2018年ごろ。ぼくがやっているシェアハウスの住人が、たまたま彼のギークハウス周辺の仕事をしていたことでつながった。
ちょうどドラムをやってみたかったというPhaさんが加わり、ぼくが再合流することで、エリーツが再結成される。
しかし、大きな問題が発覚する。
ロペスとPhaさんが大卒であるため、「大卒がひとりもいないバンド」というキャッチフレーズを披露する機会は永遠にうしなわれたのだ。
■未来 2020年
2020年。ぼくは数年前から、とある理由で縁もゆかりもない熊本に暮らしている(詳細はエッセイ『パパいや、めろん』を)。
この年表をまとめてみて、愕然とした。
あれからもう16年。
いろいろなことがあった。
数え切れないほどの変わってしまったことや、変わらないことがあった。けれど、エリーツだけはあの日と変わらず、圧倒的に高い初期衝動と圧倒的に低い演奏能力を誇っている。時代が変わっても変わらないものがある。それはなによりも尊い。
これからもエリーツはギリギリで生きていく。
”Rock and roll can never die ”
「Hey Hey, My My」(Neil Young)
(追伸 みなさんの応援が増えれば増えるほどギリギリ感はマシになるので、たまにほしいものリストをのぞいてほしい)。
了
詳しくはエリーツ1……(在庫なしですが、委託書店や、委託棚にはまだ存在している可能性があります)
エリーツは全国各地で開催される文学フリマでメンバーたちが直接販売している他、ネット通販や以下の店舗で販売しています。
・BOOTH https://pha.booth.pm/
・蟹ブックス(高円寺)https://www.kanibooks.com/
・渋谷エリーツ書店(渋谷○○書店内 ヒカリエ8階)
・シカク(大阪) https://shikaku-online.shop-pro.jp/?pid=164254608
・葉ね文庫(大阪)http://hanebunko.com
・ブックバーひつじが(福岡)https://twitter.com/bb_hitsujiga
・模索舎(新宿)https://mosakusha.com/
・タコシェ(中野) http://tacoche.com/
・PASSAGE(神保町)https://passage.allreviews.jp/
・枡野書店(南阿佐ヶ谷)https://x.com/masunobooks
・芳林堂書店 (高田馬場)
・メロンブックス(通販)
・とらのあな(通販)