僕はサックス奏者のオデッド・ツールにずっと関心を持っていた。
きっかけは2015年にドイツのENJA/Yellowbirdからリリースされ、国内盤もリリースされた『Like A Great River』 だった。
インド音楽にどっぷりハマり、インドにまで学びに行ったオデッド・ツールという名の謎のイスラエル人はサックスの奏法から、音楽のコンセプトまでとにかく斬新だった。これまでに聴いたことのない質感のサックスを吹き、どんなコンセプトで出来ているのかわかるようなわからないような不思議な楽曲をやっていた。そこではイスラエルのシャイ・マエストロ やジヴ・ラヴィッツ 、ギリシャのペトロス・クランパニス といった現代の名手たちが活き活きと演奏していて、同時に他の作品では聴かれないパフォーマンスを披露していた。そのサウンドは2017年の『Translator's Note』 で更に深まっていた。
僕はオデッドの音楽にあまりに強い関心を持っていたので、バンドのメンバーでもあったシャイ・マエストロにインタビューした際にオデッドの話を聞いたりもしていた。以下、シャイの発言の抜粋。
「オデッドは長い間インドの伝統音楽を学んでいて、インドでもっとも有名なフルート奏者のひとり、ハリプラサ・チャオルシヤ に師事していたんだ。インド音楽を探求する過程で、1年間ずっとひとつのラーガを練習し続けて、瞑想をして…そんな生活を送っていたやつなんだ。その翌年にはまた別のラーガを1年かけて練習する。クレイジーだよね(笑)。ラーガっていうのは人生のいろんな部分を象徴したような音楽だから、ひとつの音から別の音へ行くのにヒエラルキーがあって、それを学ばなければならないディープな音楽なんだよね。」 「(彼のライブは)ほとんど音が無いような静寂の中で、オーディエンスは何が起こるんだろうって耳を澄ましてるんだけど、何も起こらずに終わるっていうような。ある意味、成熟したコンサートだよね。」 「(作曲されている部分は)2小節から10小節くらい、そこにすべての世界が詰まっている。1曲においてベースラインはひとつだけで、それを繰り返してメロディを乗せる。だから、いろんなことに惑わされることなく、ひとつのことに集中できるんだ。最近、人間の脳に関する本を読んだんだけど、クリエイティヴになるためにはある程度制約があったほうがいいらしい。枠の中で自由になるって、ある種のパラドックスなんだけどね。自分としてはジャズのハーモニーに行きたいって思っても、それを抑えてなんとか行かないように、メロディを外れたくなっても、そのメロディに留まるように、って自分に言い聞かせながらやっていた。聴いてる人もそこに何かが生まれる寸前の緊迫感と美しさを感じていると思う。そこに行こうと思えば行けるのに行かない状態=”潜在力”があるっていう状態の面白さがオデッドの音楽なんだ。」
https://www.cdjournal.com/main/cdjpush/shai-maestro/1000001148 しばらくその消息は途絶えていたが、2020年、ECMから『Here Be Dragons』 が発表された。ピアノはニタイ・ハーシュコヴィッツ に変わり、ドラマーとしてジョナサン・ブレイク が加わった。そこにはこれまでにリリースしていた2作以上に彼の美学がまっすぐ伝わるサウンドが鳴っていて、オデッド・ツールの素晴らしさが凝縮されてるような素晴らしい作品だった。
彼は21世紀以降のECMにおける特別な存在になると思った僕は"21世紀のECM"再発シリーズを監修した際に『Here Be Dragons』をリストに加えた。
そして、今年2022年、同メンバーでECMからの2作目『Isabela』 を発表。オデッドは彼が目指している音楽の核心にまた一歩近づいたようなサウンドを聴かせてくれた。
取材を申し込んだ時点ではオデッドの日本語の情報はほぼ存在しなかった。だから、とりあえず、彼がどんなプレイヤーで、どんな音楽家なのかを本人に聞いておく必要があると思った。彼の音楽の核にある部分について話を聞いておくのが最優先かなと思ったのだ。
取材・編集:柳樂光隆 通訳:染谷和美 協力:ユニバーサル・ミュージック・ジャパン
◎インド音楽にのめり込んだきっかけ ――ジャズを始めたころにどんなプレイヤーを研究してましたか?
デクスター・ゴードン 。今も大好きなんだけど、プレイに迷いがないし、音のひとつひとつが深いところで僕に語りかけてくる。彼の個性はすごく感じるものがあった。ソロに関してもすごく研究したので、チャーリー・パーカーにもジョン・コルトレーンにも見向きもせずにデクスター・ゴードンだけっていうのが二年くらいあった。その後、もちろんチャーリー・パーカー やジョン・コルトレーン も聴いて研究するようになるんだけど、当初のヒーローはデクスター・ゴードンだった。 正直、自分の同年代や少し上の世代の音楽も聴いたんだけど、さっき名前を出したような先人ほどは僕のイマジネーションを刺激してくれなかったんだ。それもあってジャズ以外の音楽に刺激を求めたのかもしれない。僕個人としてはジャズという言語に限定してしまうのは違うと思うようになった。宇宙に存在する音楽って感じでもっと視野を広げて、異文化に幅を広げていった理由もそこにある気がする。
――インド音楽にのめり込んだきっかけは?
インド音楽が持つ音の響きが自分にとっての“音楽の中に存在する宇宙”の感覚に近かったからだと思う。もちろんジャズも大好きだったけど、フラメンコ、ブラジル音楽も好きだったし、コチャニ・オルケスタル(Kočani orkestar) やタラフ・ドゥ・ハイドゥークス(Taraf de Haïdouks) みたいなバルカン半島のブラスバンド(※バルカンブラス、ジプシーブラスと呼ばれる)も好きだった。それらの中の共通しているものを体現しているのがインド音楽だと思ったんだ。例えば、微分音(マイクロトーン)の部分とかね。音の細かいところをひとつひとつ分析していくと、インド音楽に行きつくかもって感じたんだよね。
最初のきっかけはジョン・コルトレーン 。彼のバイオグラフィーを読んでいて、彼が考えていたこと、特に晩年の彼の生き方に興味を持ったことなんだ。彼はインド古典音楽に興味を持ち、息子にラヴィ・シャンカール から取った名前を付けるくらいにのめり込んでいたから。
そこからハリプラサード・チョウラシア(Hariprasad Chaurasia) 、ニクヒル・バナルジー(Nikhil Banerjee) 、ズィア・モヒウッディン・ダガル(Zia Mohiuddin Dagar) を聴いたんだ。当時、たまたま僕の友達のドラマーがタブラを習っていた。先生の名前はサンジェイ・シャーマ(sanjay sharma) 。彼は今もイスラエルにいると思う。僕も彼のところに行って、インド音楽のスケールやラーガやコードを教えてもらうようになったんだ。そこでインド音楽がジャズとは全く違う世界だってことを知ったんだ。なかでも音数が少ないところが興味深くて、たったの5つくらい音だけで、一晩のコンサートをやり遂げてしまうこともある。僕はその感覚に驚いてしまったんだよね。
◎バンスリ奏者ハリプラサード・チョウラシアに師事 ――その後、ハリプラサード・チョウラシア に師事して、最終的にはインドにも行くわけですけど、どうして彼を選んだのでしょうか?
初めて彼の演奏を聴いたのはCDだったんだけど、聴いてると僕の意識がぶっ飛んでしまうような感覚があったんだ。色々調べたら一学期だけ彼がオランダのロッテルダムで教えてるってことがわかった。僕の楽器はサックス。でも、その学校だったらジャズミュージシャンのままで彼の音楽を学ぶこともできるんじゃないかなって思って、そこに行くことにしたんだ。
――なるほど。
彼から学ぶ目的はバンスリ (※インドのバンブー・フルート)奏者である彼の音楽をサックスでやること。でも、それは簡単なことではなかったんだ。なぜならインドの音楽には音と音の隙間にたくさんの音がある。それをサックスでどう扱うのかがポイントだった。そもそもサックスでやることが可能なのかどうかも含めて、課題は山積みだったね。僕は彼のソロを耳で聴きながらひたすらコピーしたよ。まず学校に入学して、その後に本人を前にしてのオーディションの時にコピーしたソロを披露したところ気に入ってもらえて、彼に師事することができるようになったんだ。
◎サックスでバンスリのような音を出すこと ――ハリプラサード・チョウラシア はサックス奏者を生徒に取ったことはあったんでしょうか。
サックスを持ってきた生徒は僕が最初だったと思うよ。でも、彼には関係なかったんじゃないかな。だって、彼は自分のやり方を貫けばいいだけだから。学ぶ側の僕が困るだけだよね(笑)。 バンスリって楽器は音と音がすべてスラーで繋がっていく。指による穴の塞ぎ/隙間の具合・の微調整で“あぁ~~ぁあぁ~ぁ~~ぁあぁ~”って音がいくらでも切れ目なく繋がる構造をしている。それと同じことをサックスでやろうとすると”あぁ~~/あぁ~~~/あぁ~”と音と音の間にどうしても隙間ができてしまう。構造的に音と音を隙間なく繋ぐことが難しいんだ。だから、練習しながらふと”なんか俺、バカみたいだな…“って思ったりもしたんだけどね。でも、自分がやりたいことを実現するためには、そこを解決しなきゃいけなかった。そこが一番のチャレンジだったよね。
――それをやるにはオーヴァートーンやサブトーンを駆使したりしながら新しい奏法を考えなきゃいけないってことかなと想像しますが、参考になったサックス奏者やテクニックはありましたか?
参考になるものはほぼなかったよね。クラシックやジャズにおけるサックスのスライドはエアプレッシャーでどうコントロールするのかで音が決まる。例えば、ジョニー・ホッジス はすごく美しいスライドをするよね。でも、インド音楽のスライドはそれとは全く違うものなんだ。西洋の音楽におけるスライドはエフェクト(効果)であり、オーナメント(装飾)として聴かせるんだけど、インドの音楽ではそのスライド自体が音楽そのものなんだ。コントロールのしかたに関しても、インド音楽ではベンド(ピッチを連続的に滑らかに変化させること)のバリエーションが果てしなくある。僕はイスラエルでクラシックの先生からもサックスを学んでいたから、基本的な息の使い方やベルカントみたいなものは身に着けていた。でも、インド音楽におけるスライドはサックスの常識の中にはないものだから、技術そのものを自分で生み出さなきゃいけなかったよね。
――どう質問したらいいのかわからないけど、どうやったら、そんな技術が見つかったんですか?
自分でもわからないよ(笑)。23歳で自分の国を離れて、この音楽に自分の人生をかけようと思ったわけだから、ずいぶん思い切ったことをしたと思う。もちろん若気の至りだってのもわかってる(笑) とにかく好きだって気持ちが先にあったんだ。学校でみんなが帰った後の練習室で床にカーペットをひいて、そこに座って延々とサックスを吹いていた。最終的にはいくつかのテクニックを組み合わせた上で、かなり抑制された音にすることで満足のいく音(=バンスリに近い音)を出せるようになってきた。その翌日、ハリプラサード先生のところに行って披露したんだ。上手くいったら先生がものすごく喜んでくれたのを覚えているよ。
◎オデッド・ツールが考える”ラーガとは?” ――あなたは奏法以外の面でもインド音楽を取り入れていると思います。それはインド音楽のラーガという概念を中心に考えたもので、それをジャズの人たちと一緒に演奏しているって感じだと思います。まず、あなたの言葉で“ラーガ”がどんなものなのかを説明することってできますか?
ラーガとは“抽象的なサウンドの捉え方”だと思う。そのサウンドの個性は目で見てわかるものでも、触って感じられるものでもないんだ。つまり人間を語る時のような個性とも違う。ラーガの個性は響きとして存在するんだ。それらの響きを神様や女神と同じように崇拝の対象のように扱う人もいる。とにかくひとりひとりが出すものが異なる世界なので、真の巨匠であれば、ひとつの音を鳴らせば“あのラーガだ!”って感じさせることができる。それ以上になにもなくても一音だけでも“この人が弾くあのラーガだ”ってわかるくらい個性の強いものだね。それはスケールとも違うし、メロディーとも違う存在で、スケールとメロディーとの挟間にある何か、だと思う。挾間にある宇宙みたいな感じなんだ。それは発展してメロディーにある可能性も秘めているし、スケールの一部だと捉えることも可能。でも、そのどちらでもないんだよ。強いて言葉にすれば“ムード”もしくは“環境”ってことなのかな。演奏している側も(自身の音を)聴きながら感じているものだからね。
――なるほど。
僕が今、言ったことはブルースにも当てはまると思うんだ。ブルースってスケールで成り立っている音楽でもないし、決まったメロディーがあるわけでもないよね。それに演奏によって個性がどんどん変わっていく。やるべき人が演奏していれば“これはブルースだ!”って最初の音を聴いたら伝わってしまう。その考え方はジャズとインド音楽との橋渡しになった。つまり、“ラーガをブルース的な感覚として捉えればいい”ってことだよね。そんな感じで、次第に僕はラーガが持つ普遍性みたいなものに気づいていったんだよね。
――面白い。例えば、資料を見るとあなたはインド音楽から影響を受けていると書いてあるわけです。でも、あなたの音楽を聴いてもすぐにインド音楽だとわかるようなメロディやスケールやリズムは鳴ってないし、もちろんインドの楽器も使っていないことの方が多い。しかも、ブルースの曲をやっていたりもするから、ちょっと戸惑ったんです。あなたの音楽はインド音楽にある構造や要素を用いているわけではなくて、“インド音楽の核にあるラーガって概念もしくは哲学をもとに演奏している”みたいなことなのでしょうか?
そういうことなのかもしれないね。例えて言うなら比較学(Comparative Study)みたいな考え方なのかな。比較神話学(Comparative mythology)、比較宗教学(Comparative religion)、比較言語学(Comparative linguistics)色々あるよね。そういったものと同じような比較音楽みたいな考え方なのかもしれない。例えば、外国語を深く勉強すると、その言語の表面的な部分だけじゃなくて、その言語の裏側みたいな部分の存在があるのがわかっていく。そして、異なる言語の間にはしばしば共通するものがあることに気づく。僕はその異なるものの間に存在する共通するもの、つまり何が“コモン”なのかってところに常に関心があるんだ。それに気が付くと、音楽も人類によるコミュニケーションの手段なので、一見全く別のところから来たように聴こえるサウンドでも、共通点が多々あることがわかってくる。僕はその共通点を見つけたいんだ。だから、“構造的にこっちから持ってきたものをここに入れよう”ってことは大事ではなくて、“(別々に見えるけど)繋がっている部分がそこにはある”ことに気づいていくことが音楽の醍醐味だと思っているよ。
◎ジャズ・ミュージシャンたちと”ラーガ”を演奏すること ――あなたの音楽ってラーガの考え方や思想を学んでいないジャズ・ミュージシャンと共有するのは簡単ではなさそうです。どうやってあなたがやりたいことを伝えるんでしょうか?譜面ではなさそうですが。
譜面は書かないし、チャートも書かない。メンバーに渡しているのはメモ程度だね。基本的には僕なりに考えているメロディーラインと、それに対応するベースラインから始まる。 これは僕たちの間だけでの実験だと思うんだ。まずベースの動きによってインド音楽の中に流れている通低音みたいなものを活かすことで、ラーガ的な雰囲気をそこに醸し出していく。ベースのペトロスが僕が求めているベースラインをある程度鳴らすことができるようになったら、今度はピアノ。僕もメロディ楽器なので、こんなメロディを乗せたいんだって話をピアニストのニタイにするんだ。そして、最後はジョナサンにどうリズムで絡むかを考えてもらう。構成って意味ではすごくシンプルな音楽をやっているはず。あとはそれをどう感じ合えるかって部分だよね。
――なるほど。
さっき君が“哲学”って言葉を使っていたけど、“概念”というよりは“感覚”として同じものを全員が共有できるかっていうことだと思う。でも、それは簡単じゃないんだ。僕らは21世紀にグローバル・ヴィレッジ化した世界に住んでいるから“みんなわかるだろ?”って思うかもしれないけど、実際には個々人がそれぞれに個別化しているし、お互いに距離感だってある。みんながわかり合えるホームなんてまだできていない。これは人間に関しても、音楽に関しても言えることだと思うよ。でも、そのホームみたいなものがあればいいかと言えば、そうとも限らない。個々人それぞれの個別の持ち味や美しさは失わせたくないからね。その上でみんながわかり合うことってすごく難しいことだよ。だけど、僕としては一人/個人を超えた大きなもの、みんなでわかり合えてシェアできる大きなものが必要だって思っている。ヒューマン・ソサエティ的にも“お前らと僕/僕とお前ら”みたいな分け方をするべきではない。共通するコモン・グラウンドみたいなものはあるはずだから、僕はそれを求めていきたいと思っている。だから、みんなでわかり合えるものを求め続けるってことが僕らにとっての実験かもしれないね。
――メロディとベースラインだけじゃなくて、他にどんなものを共有すれば、あんな演奏になるのでしょうか? 例えば、ジャズなら“フィール”みたいな言葉でやりたいことを共有する場合があると思いますが。
フィールという言葉を使って説明はしないし、特定のフィールを求めることもしないよ。自分が醸し出したいフィーリングっていうのは自分が書いた曲の中にすでに入っているから。その核の部分を感じ取ってもらえたらと思っている。それが短く断片的なものだったとしても、その核の部分は小さなメッセンジャー的な役割をして、みんなに届けてくれるんじゃないかって思うんだ。そして、“解釈”はメンバーに任せている。音楽の中にマテリアルと解釈があるとしたら、そのマテリアルの部分=自分が書いた部分はみんなすごく綿密に正確に表現していると思う。でも、どう解釈するかに関して言えば、例えば、ニタイに表現したいやり方があるのならそれはそれでオッケーだよね。だって、それこそが彼のラーガってことになるから。
――自分がデザインした音楽をメンバーに"再現"してもらいたいってことではないんですね。ここでは解釈の部分でそれぞれの演奏者のパーソナリティが出てしまいつつも、なんとか混ざり合いながら、ムードや環境が醸し出されることこそがあなたにとってのラーガの在り方なんですかね。
“抽象性と個性のマリアージュ”みたいなことだと思う。でも、それはパラドックスだよね。抽象的なものがどうやって個性を持ちえるのかということになるから。人間だってそうで、誰だって深く知れば知るほどその人のことを分かった気になるけど、でも、意外性が残っていて、その人が次の日に何をやりだすかわからない。人間の個性っていうのはポテンシャルの海だって思うんだ。何が起こるかわからない可能性は残っているわけだから。でも、今、目の前に人がいるとしたら、そこにいるその人のことは自分なりに定義することならできる。僕がやっている音楽もそういうことだと思う。ラーガっていうのは可能性の海。つまり、可能性はいくらでもある中でも“僕は今こう言う風にやるよ。君は今どういう風にやるの?”ってこと。 僕らがやる音楽に関してはベースがずーっと一貫して蠢き続けている。ある意味ではベースがすべてを繋いでいるんだ。その上にニタイがものすごい複雑なソロを乗せてきていたり、ペトロスも自分のソロを乗せてきたりもする。でも、ラーガはすごく強いから、誰が何をやっても絶対に生き残っていく。みんなが好きなことを好きなようにやっても、またメロディーに戻った時に伝えたかったムードが表れて、その音楽の個性にまた戻っていくんだ。僕がやりたいのはそういうことだね。
――最後にスイスのルガーノのアルバムで録ったと思うんですけど、そこに関してはどうでしたか?
個性的なスタジオだね、ルームの響きも美しいし、僕としてはみんなで一つの部屋に集まって録るのが好きなんだ。もちろん(仕切りを使ったり、部屋を分けたりして)セパレートで録った方がそれぞれの音は細かく拾えるし、他の音が被らない。でも、ひとつの部屋に集まって一斉に音を出した時のインタラクションは細かいことが聴こえなくなったとしても代えがたいもの。僕はその交じり合いの方が好きだから、そういう意味でもこのスタジオは僕にとっての“すごくいい音”が録れる環境だったと思うよ。