仕事における優秀さ

聞いた話なのだが、ある人が経理職で転職をしたところ、書類が全く整理されておらず記帳もめちゃくちゃ。そのため一から全て記帳し直してみると、上司の横領が判明したらしい。またその勤務態度もひどく悪かったため、横領を告発し上司は解雇。そしてその後、役員までも横領をしていたのがわかり、再度告発。役員も解雇された。
ところがその後釜として新任された人が全く向いておらず、元々傾いていた経営が急激に悪化。元から良くなかった体制も日を追うごとにボロボロになっていき、ついに給与の大幅削減に至った。

果たしてこの経理は優秀だろうか。

ミクロ単位では優秀なのかもしれないが、結局はなんの根回しもせず不正を告発したいだけし、却って会社をボロボロにしてしまった黒幕であり無能だと思う。
この人はよく「無能な人間が行動力を発揮すると害を為す」などと上司を批判していたのだが、間違いなく己自身もガッチリ当て嵌まっていた事に気付いていない。
それどころか、自分自身はそれなりに優秀な人材であると勘違いし、会社がボロボロになったのは自分の責任だと微塵も考えなかったのではないだろうか。

これは私自身もそうなのだが、長らく「作業が出来る者」が優秀なのだと誤解していた。接客業であれば接客が上手い者、事務であれば正確で作業が早い者、営業であれば売上を作る者。
しかしそれは末端の話であって、そうした人が上のポジションに就き「作業」をしなくなった途端に、無能へとクラスチェンジしてしまう。
何故そうなるのか。

日本人は割と勤勉なので、だいたいの人は毎日作業をソツなくこなし、ある程度真面目に仕事と向き合っている。私は基本的にほぼ内勤の仕事しか見てきていないのだが、極端に仕事が出来ない人というのは全体の1~2割ほどであり、それ以外はミスがあっても大抵水準以上の仕事をしているので、大多数がそれなりに優秀と言えなくもない。実作業レベルでは。

では何の要素が「優秀」と「並」の人材を分けるのかというと、それは「視座の高さ」なのだと思う。
時折ブラック企業が、経営者の視点を持って仕事を…などと謳っているが、あれは決して間違いではなく、経営者ぐらいの視座の高さを持って仕事をすると全く視えるものが変わってくる。
問題は、ブラック企業がそこまできちんと説明しておらず真意が全く伝わっていない事と、そもそも労働基準法違反の言い訳にしている点なのだが。

基本的に職位が上がれば上がるほど、見渡せる範囲が広くなければ仕事にならないが、9割以上は現場単位、グループ単位、部課単位で視座が止まってしまう。
過去に2人ほど大変優秀だと思える人を見かけたが、2人とも経営者クラスの目線の高さを持っていた。そのため、全体を円滑に回していけるような仕事の仕方が出来ていたと思う。

昔いた職場で過剰な量の仕事をし続け、精神を壊してしまった人がいたらしいのだが、その作業内容と労働時間を聞いた時に、それはマクロかシステムの導入で即解決出来たのではないかと思った。
しかし何故か生真面目過ぎる彼らは、作業を簡単にするマクロを組むこともシステムの導入について検討する事も無く真夜中まで作業をし続け、遂に一人が社会からドロップアウトするまでに至った。
おそらく彼らには「与えられた仕事を指示されたとおりにこなさなければならない」という固定観念があったのだろう。
しかし(この指摘は不謹慎かもしれないが)、それはバイトの仕事の仕方であって、正社員としての仕事の在り方ではないと思った。

職位が高くなくとも、ある程度以上の視座の高さは必要になるのだ。

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