「ウソではないが真でもない」話
とりわけ人間不信という訳ではないが、基本的に「ほとんどの人は本当の事を言っていない」と思うようにしている。
単に人に合わせているとか、自然とバイアスがかかった状態で語ってしまっているとか、大方意図的にウソをついている訳ではないのだが、世の中「人は必ずしも真実を言ってはいない」という事を前提に汲み取らなければならない事が多い。
そして、世の中そういうものである…とわからないまま年齢を重ねているような人も少なくはないように思う。
ある時知人が「大変優秀な先輩がフリーのデザイナーをしており、最近カレー屋も始めたがそこがなかなか美味しいらしく、それなりに人気のある店になっているので大変凄い」という話を(どこか誇らしげに)していたのだが、それを聞いて思ったのが「ああ…その人はデザイナーとして食えていないのだな…」という事だった。
まあ、本当に純粋にカレーが好きでカレー屋を始めた可能性もあるのだが、だいたいのフリーランスはよほど営業力がない限り低収入になりがちであり、飲食店や雑貨屋などを始める人が後を絶たない。
しかしおそらく過半数の人は「フリーランスで仕事をしてさらに飲食店まで開業なんて、なんというパワフルな人なんだろう」と解釈するだろう。
またある時「委託先の会計士が大変凄い人で、元は東京で仕事をしていたのだが地元へ戻ってきて精力的に仕事をしている。物の考え方や捉え方がこれまで見た事のないようなハイレベルさでとても刺激を受けている。しかし大変零細な事務所に所属しているので勿体ない人物だ。」…などと語られた事があったのだが、話を突っ込んで聞いても微塵も凄さがわからず、また実際それほど素晴らしい人でもないのだろうと思った。
東京から地元へ戻ってきた理由はなんだったのか?
なんらかのネガティブな理由(挫折・親または自分の体調不良・ホームシック・メンタルの病など)で戻ったのではないか?
本当に素晴らしい人材であるなら零細会計事務所に所属してはいないだろう。それに何か強い目的があって地元に戻ったのだとしたら、今頃既に力強く邁進しているはずだ。
おそらく当人も「優秀な人物に見える」よう演出しているのだろう。
また、仲間内での賞賛も「まるっきりウソではないが真ではない」の最たるものであり、ほとんどが「あなたの事を褒めるので私の事も褒めてください」という意味合いの単なる褒め合い互助会なのだが、そこでの賛辞を本気で受け取ってしまう人が少なからずいる。
自分が他者に行う褒めはお世辞だとわかっているのだが、人からの褒めは「本気の賞賛」だと思ってしまうのだ。
あまり深読みし過ぎるのも良くはないが、基本的に言われた事、聞いた事を鵜呑みにしていると見えているはずのものが見えなくなる。
個人的には、適当な事ばかり言っていると言葉に重さがなくなる事もあり、なるべく人には「真に近いもの」を伝えたいと思っている。