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交換留学がつらすぎて途中で帰った話

さかのぼること約5年、2019年の8月、私はアメリカ西海岸のとあるリベラルアーツ・カレッジでの留学生活をスタートしました。
結論から言うと、この留学生活は失敗続きで、もともと一年間の予定だった留学期間を半年で切り上げて帰国しました。

巷にあふれる留学体験記は、「はじめはこんなに大変なことがいっぱいあったけど、頑張って乗り越えてこんなに成長しました!」みたいな内容ばかりだと思うので、これは「乗り越えられなかった側」の体験記です。


留学を決めた理由

私が留学を決めた理由は2つあります。
1つ目に、「人の目ばかり気にして生きている自分」を変えたかったからです。当時の私は、他人からどう思われるかばかりを気にして、自分の内面をさらけ出すことや人前で何かをするのが苦手な学生でした。そんな中で、「私はこう思う」、「私はこれが好きだ」と堂々と主張する文化にあこがれがあり、アメリカを留学先に選びました。

2つ目に、当時の私には「外交官になりたい」という夢がありました。そのため、英語力はもちろんのこと、著名な政治家や外交官を輩出している大学がいいだろうということで、留学先の大学を決めました。
この留学先の大学の選択が、のちに自分をあんなにも苦しめるとは、当時は全く予想していませんでした。。

現地での生活

今でも忘れない留学初日、予定のフライトが遅れてUberで慌てて大学に向かうと、交換留学生向けのオリエンテーションはすでに始まっていました。
まず面食らったこととして、私以外の交換留学生は全員がヨーロッパ、オーストラリア、香港などの英語圏の出身で、英語を勉強中の留学生なんて一人もいなかったのです。

当時の私の英語力はというと、TOEFLで70程度、IELTSで6.0程度という留学生見習いとしては可もなく不可もないものでしたが、他の交換留学生が話していることが一切理解できず、ただ適当なタイミングで「Yeah」とか「aha」とか言って「会話に参加してる感」を出すことしかできませんでした。。

留学先が語学学校やESL(English as a Second Language)の授業のある大学だったらまだ救いようがあったのかもしれませんが、私の留学先では良くも悪くも現地の学生と全く同じように扱われるため、初日から完全に面食らってしまった私の留学生活は、下降の一途をたどります。

また、現地の学生との寮生活もこの留学をハードにした一因でした。
私がアサインされた寮は現地の学生との相部屋で、同じフラットに計8人が共同生活をするという形式の住居でした。
しかも、なんと私以外の7人は全員アメリカ人で、さらに彼ら/彼女らは友人同士、さらにさらに共用部でアルコールや大麻のパーティーをやって大騒ぎするのです。たしかに現地のパーティー文化は理解しているつもりでしたが、いざ自国でもお酒を飲まないような未成年のアジア人がたった一人、こんな場所に放り込まれたときの心労は想像に難くないと思います。

さらに、リベラルアーツ・カレッジならではの少人数制の授業も私も苦しめます。日本の大学のように大教室で一方的に教授の講義を聞くような講義ではなく、授業は双方向、つまりディスカッションを中心に進みます。日本語でも難しいような国際関係学・外交のディスカッションに付いていけるわけもなく、授業のストレスも徐々に私の心を蝕んでいきました。

ただ、かくいう私も状況を改善させるために何もしなかったわけではありません。まず、寮を変更しようと奔走します。しかしながら、関係各所を回って交渉するのですが、「寮の変更が必要不可欠なことを証明する病院の診断書が必要」だの、「一人部屋はもう空きがないから変えられない」だの、大学側が取り合ってくれることはありませんでした。

そんなこんなで、留学生活の中で「帰りたい」と思わなかった日はほとんどなかったのですが、私には帰るにも帰れない事情がありました。そうです、これは自費留学ではなく、自分の大学を代表している交換留学なのです。つまり、この留学を投げ出すと大学にも迷惑がかかるし、何よりもサポートしてくれた教授や友人に合わせる顔がありません。

しかしそのとき、ふと思ったんです。今の状態こそ、自分が一番嫌いだった「人の目ばかり気にして生きている」のではないか、と。

意気揚々と留学に出発して、「やっぱり無理でした」なんて言って日本に帰るのは恥ずかしいことだと思っていました。でも、うまくいかなかった自分も、本当の自分なんです。自分の実力不足、コミュニケーション力不足、適応力不足、すべてを認めたうえで、そんな弱い自分を受け入れることにしました。
そのときに、自分の想像していた形とは180度違うけれど、少しだけ「人の目ばかり気にして生きている自分」から逃れることができた気がしました。

帰国後のこと

こうして留学先のオフィスと日本の大学に事情を説明し、一年間の予定だった留学期間を半年に変更し、当初の予定よりも早く帰国しました。

大学の学事にどんなお𠮟りを受けるのだろうとハラハラしていたのですが、これは杞憂だったようで、簡単な手続きが求められただけで、何か咎められるようなことはありませんでした。
また、友人たちも「それは大変だったね」、「十分頑張ったよ」、「今じゃなかっただけだよ」と励ましてくれて、馬鹿にしてくるような人はいませんでした。


あれから5年の月日が経ち、「外交官になりたい」という当初の夢が叶うことはありませんでしたが、別の望んだ形で国際的な仕事に就くことが決まりました。
あのときの悔しさ、挫折、恥、諦め、自己肯定、色んな感情を胸に、自分なりの努力を続けることで、新しい夢を実現することができました。


世界のどこかで一人で悩んでいるあなたへ

まずは、留学に行くという大きな決断をし、それを実現させた自分自身を褒めてあげてほしいです。あなたが今そこにいるのは、過去のあなた自身が努力で勝ち取ったものです。

そのうえで、今のあなた自身の心を大切にしてください。
周りに色々言ってくる人はいますが、そういう人たちは何もわかっていません。せいぜい語学留学に行った知人の体験談を聞いたくらいで「なんで?留学楽しそうじゃん!」くらいの感覚なんだと思います。

そして、人生意外となんとかなります。
今しているつらい思いもいつか過去の思い出になって、笑い話にできる日が必ずやってきます。だからその土地で友達が一人もできなくても、ずっと図書館にこもっていても、授業で恥ずかしい思いをしても大丈夫だし、思い切って日本に帰ってきても大丈夫。

この文章があなたに届きますように。

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