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DV・被害者のなかの殺意
北村朋子著「DV・被害者のなかの殺意」を借りてきました。
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道代さん(仮名)が、2005年にネットで知り合った殺し屋さんに頼んで、DV加害者である夫を殺したという事件です。
道代さんは凄まじいDVを受けていましたが、性的暴力の件が46ページから書かれていますので、紹介します。
道代は8年間で堕胎4回、流産も数回経験したのである。
この二番目の夫、宏との間に、道代は4人の子どもをもうけている。
夫は避妊に全く協力してくれなかったため、道代は次々と妊娠することになった。1986年、88年に2人の子どもを産んだ後、次いで妊娠した赤ちゃんは双子と分かったのだが、「堕胎しろ」と言われたショックで、その後流産したと語る。
1990年に3人目を出産してからは、子どもができれば堕胎するのが当たり前のように夫は考えていて、何度言っても避妊に協力してくれず、「妊娠するほうがおかしい」と不条理なことすら言われたという。道代は堕胎した経験があまりに辛かったため、堕胎するのが嫌で、わざと氷でお腹を冷やしたり、重い物を持ったり運動したりして、その都度流産させていた。
道代が出血を見る辛さに耐えながら、そんな残酷で過酷な努力を続けているのにもかかわらず、夫は自分中心で何も協力せず、ただ笑って見ていたというのである。
我慢も限界になり、妊娠5か月の安定期に入ってから、主人に妊娠していることを話したが、それでもまだ、堕胎できるところを探して連れて行かされて、堕ろさせられたこともあった。
「そこまでしても、なにも変わってくれないし、私の体の心配もしてくれませんでした」と道代は当時を振り返って言った。
ピルを飲んでみたりもするが、保険証の記録で産婦人科にかかっていることが知れるため、「会社で保険証を使っている明細が(会社側に)わかるから嫌だ」と理不尽なことまで言われ、ピルも途中でやめさせられ、保険証さえ取り上げられた。
道代が何か行動すると、「全部だめ」と止められ、夫は自分の言うとおりにするように道代をコントロールせんとする。道代が言うなりになっても夫は協力をしてくれないので、性行為の果てに妊娠をすることになってしまう。最後は、妊娠をしても病院にも行かず、おなかもしっかり腹帯をまいて隠し、夫に黙ってお産をした。それが4人目の子どもであった。
病院もその日に初めて行って、すぐお産の現場という、まさに飛び込み出産の状態だった。これは夫にしてみれば反対だったので「なんで産んだのだ」という事態になり、入院費のことでさえ喧嘩になり、もめたという。それでも無事、4人目の子を出産した。
道代は公判のなかで、堕胎したくなかった気持ちを「せっかく授かった命ですし、私、自分のなかに命というものがあったので、産んであげたかったです」と語っている。道代はこうして4人の子どもたちの母親となった。
四男を産んだあとも夫の避妊しないセックスは続いたが、道代は性交渉するたびに、出血するようになっていた。病院へ行くとポリープができていると言われたが、それでも夫のセックスの強要はつづいた。道代は「私は出血するので病院でも止められているのでお願いだからやめてください」と懇願しても、夫は「おれの体じゃないから関係ない」などと平気で言い放ち、それは事件の前まで続いたという。
「夫には避妊に協力する義務があり、これを怠ること自体がDVである」ことを私は改めて思った。
(引用ここまで)