見出し画像

四季について思うこと

やっと秋になった。
少し前のネットニュースで、この夏の猛暑は10月頃までは続くと書かれたいたのを覚えていて
急にやってきた秋の風に驚きつつもほっとした。

四季の中では春と秋が好きだ。

比較的過ごしやすいから、
気温の影響で崩れがちな体の機嫌をとることに注力しなくて済む。
暑すぎたり寒すぎたりしないのは良い。
街を歩いていても、そこに漂う空気感や、お店などの周りの情報も受け取りやすいし、同時にぼーっとしていても心地よくて、考え事が捗る気がする。

でも夏と冬が嫌いかと言われたらそうではない。
最近は暑すぎたり寒すぎたりするせいで、もう春と秋だけで良いよ、なんて会話を誰かとした記憶があるけれど
今思うと私は四季の全てが残っている未来であって欲しい。
四季について思うこと。

春に思い出すのは散歩中の景色。
特に変わったことは何もないのに、春というだけで人はちょっと憂鬱になれる、と私は勝手に思っている。
寂しさとか虚しさとか、憂鬱だとかに飲み込まれないように、散歩中に少しだけそれを味わうのが癖になる。

それから15時頃の勉強机。
西日が少し差し込んで背中が暖かくて、少し眠たい。ノートに漢字を繰り返し書いて、これが大人になって役に立つのか、私はどんな大人になっているのか、
そもそも本当に大人になれるのか、などと憂鬱な現実逃避をする15時。学生の頃の未来への漠然とした不安は、今となっては良い思い出だけれどもう戻りたくはない。

夏に思い出すのは明け方の帰り道の空気の匂い。
1人でカラオケに行って、夜を明かして帰っている時の、誰もいない青い空気。
夏の朝にしかしない独特の匂い。
子供の頃、夏休みの朝ラジオ体操に向かう時も同じ匂いがしたなー

それから花火の音が心臓に響く感覚。
浴衣の下の肌襦袢が太ももに張り付く感触。帯を解いた時の肺が膨らむ感覚。ヘアスプレーでロックした髪をお風呂で2度洗ったときの記憶。
何もかけていない、氷だけのかき氷の味も。

秋に思い出すのは茶色の編み上げブーツとレンガを歩く感触。図書館の匂いと生暖かい空気、1人で本を読んでいる時の心臓の音、だんだん肩が固まるあの感じ。

秋には何故かRADWIMPSが聴きたくなる。
バスの中、iPodで聴くのが好きだったな。同じ人いるかな。私の中でRADWIMPSは秋にカテゴライズされているんだよなー

冬に思い出すのは布団の真ん中にある猫の重み。クローゼットのニットはいつも猫の毛だらけで、粘着テープ付きのコロコロが手放せなかったな。

それから空気中の塵が光に照らされてキラキラしている光景。私の中で、冬の朝は他の季節の朝よりも価値があって、冬だけは朝が憂鬱ではない。
暖かさに見放された冬も朝だけはその温度が感じられて好きだな。

思い出というのは、私だけかもしれないけれど現実よりも少し美化されていて 遠くから眺めるのにちょうど良い。
美しいものはたくさんあるに越したことはない。美しいほかには、何の役にも立たない、機能がちっともないものも愛しい。
では現実は醜いかと言われたらそうでもない。
それはおそらく幸せなことかも。

やっと私の好きな秋が来た。
本を読んで、SNSにいつもより長く浸って、ハロウィンを楽しんで、月を普段よりも長く眺めて、そのうちまた1つ歳を重ねて。
思い出が、美しいものが増えていく。

四季の訪れは祝福。喜ばしいことです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?