破談しても結婚 〜ご縁の不思議〜
『ピンチはチャンス、乗り越えてきた33の家族危機』より、エピソードお届けします。
私は 夫と2回婚約しています。
1度目は二人共25歳の時。両家に二人でご挨拶に行き、
お互いに遠方なため、両家が上京して顔合わせを済ませ、そして 結納。
結婚に向け、新居の準備、
教会、 披露宴会場も予約して。
ご神父様との面談も済ませ、招待状を発送をしようかというタイミングで、
破談になりました!!
25歳だった夫は両家の説得と和解に奔走しましたが
状況は回復せず。
仕事の忙しさも重なり、心身共に疲労困憊した夫は
ストレスによる重いアトピー性皮膚炎を発症し、
社会人として 普通にお勤めする事ができなくなってしまったのです!!
夫は 休職して 療養生活を開始しました。
療養は2年に及びました。
(★アトピー性皮膚炎の根本治療に関しては
栄養食事療法やサプリメントや漢方薬、
遅延型アレルギー検査など
私や家族が実際に試して 完治した
たくさんの効果のあったものや良かった
やり方を記事に幾つも書きたいと思います。
待っていて下さいませ。)
私は 破談になったけれど
夫には 健康を取り戻して 社会復帰してほしいと
心から願っていたので。
夫が 職場に、復帰するまでは 支えて尽力することを
自分の両親に宣言し、約束しました。
結婚のためにふたりで貯めていたお金は
全部、夫の療養治療費に充てました。
後悔は 全くありませんでした。
おかげさまで、2年の療養と努力の結果、
夫は無事、職場復帰できました。
晴れやかな、清々しい気持ちで
目的を 願いを 達成した私達は
お互い別々の道を歩み始めたのです。
それからさらに 3年が 経過しました。
突然、夫から 私の実家の両親宛に手紙が届いたのです。
〜今更大変申し訳ないですが。5年前の事を自分の両親が
どうしても会ってお詫びしたいと言っています。
無礼を許して頂けるならお会いするチャンスを頂きたい。〜
その後も お会いしてお詫びさせてほしいという
申し入れの手紙や電話が何度も届き、
次は 夫が私の実家に足を運んで
何度断られても お願いし続けたそうです。
私の父は温和な性格の 義理堅い人でしたので
夫の誠意に根負けして
一度だけ、夫の両親に会う事になりました。
そして 5年ぶりに
お詫びから両家が和解へ至ったのです!!
・・・
不思議なことに
音信不通であった私達は ふたり共
新しい方を好きになるようなご縁に恵まれませんでした。
私は 度々お世話があり、お見合いも何回か経験したのですが? ・・・。
私達の時間と心は ずっと5年間
止まったままだったのです。
そして
この時間と心を 動かせる相手は
お互いに 世界にひとりしかいないと わかりました。
ご縁とは キセキみたいに不思議なものです。
苦労しようが 大変だろうが
そんなことはすべてご縁が
包み込んでくれている気がしました。
『残念ながら、 あなたといると 私は幸せです。』
松嶋菜々子さんが主演した ドラマ『やまとなてましこ』
の名ゼリフ。
この深く 鋭い言葉を まさに体現した瞬間でした。
5年ぶりに 私達は 2度目の婚約をしました。
それから後の 段取りは 流れるようにスムーズでした。
2度目の婚約以降、全てが祝福されているような
温かい流れの中で、私達は結婚しました。
破談も 夫の療養生活も
全ては2回目のために
本当にふさわしい2人のタイミングのために
必然で起こった出来事なのだ
と 深く深く理解しました。
その最中は とても苦しかっだけど、悲しかったけど。
長く暗いトンネルを抜けると
こんなに嬉しくて 穏やかな気持ちになれるなんて
感謝でいっぱいでした。
人生は 1番良いタイミングで 物事が起こります。
もし、ご縁をやタイミングを心配している方がいらしたら
自然に任せてみて下さい!!
ダメな時は どうやってもダメです!!
上手くは行きません!!
ストップや 白紙には 大事な意味があるのです。
ご縁がある物事は
1番良いタイミングで 必ず上手くいきます。
その後 数十年経過して
私たち夫婦は アラサー アラフォーからアラフィフへ。
共に白髪が目立つ 年齢になりました。
持ちつ持たれつの 相変わらずの波瀾万丈な日々ですが
『残念ながら、 あなたといると 人生すごく面白い。』
この気持ちは今もずっと変わっていません。
今日も 笑えるひとときに
不思議なご縁に 感謝して。
読んで下さり ありがとう。