コトバでわかる台湾:台湾独立②
統一を望まない限り
では、中華民國と中華人民共和國が、現在 2024 年の実情を踏まえて冷静に話し合うことはできないのだろうかと、それが非常に難しいのだ。北京政府は今なお七十年間守り続けてきた「一つの中国」という立場を堅持しており、台湾政府が大中国の一部として、三十年前の九二共識をもとに「誰が中国か」という議題を共に議論することを求めている。しかし李登輝、陳水扁、蔡英文と、この三人の台湾総統を経た台湾政府は、明らかに北京政府と「誰が中国か」を議論したがらなくなっている。さらに、この三十年間、民進党の政権による「內耗」(内部の対立によって引き起こされたエネルギーロス)の影響で、中華民國の国力は低下し、かつての水準には程遠く、蔡英文政権下では外交関係もほぼ壊滅状態に陥っている。この状況で北京政府と「誰が中国か」を議論するということは、統一されることを備えるのと同義である。
では、統一するのを望まない場合はどうなるのか。
1991年、台湾政府は李登輝政権下で『国家統一綱領』を可決し、1981年に蔣経國が提唱した「三民主義統一中國」(三民主義による中国統一)政策に代わるものとして「終極統一」(今は別々でも最終的には統一する)という表現を採用。「一個中國,兩個政治實體」(一つの中国、二つの政治主体)を軸に、「特殊的國與國關係」(特殊な国と国の関係。中国からは「兩國論」(二国論)と呼ばれる)、「階段性兩個中國」(段階的な二つの中国)、「海峽兩岸分裂分治」(台湾海峡に挟んでの分裂と分離)、「海峽兩岸互不隸屬」(台湾海峡に挟んでの領域は互いに隷属しない)など、たくさんの政治用語が生み出された。北京政府および国際社会に対して台湾政府の主権独立性=北京政府の支配を受けたことがないという点を強調し、「中華民國」が「中国」のイメージから脱却することを目指した。しかし、「二国論」は北京政府の激しい反発を招き、明らかな分裂発言と見なされた。これ以降、中台関係は長期的な緊張状態に入ることとなった。
陳水扁は李登輝時代の台湾本土化路線を継承したが、2002年に「一邊一國」(台湾と中国はそれぞれ別の国である)という論述を提唱し、次のように明言した。「台湾は台湾、中国は中国、両者は互いに隷属しない」。この発言は中台関係を完全に分裂した状態とし、「一つの中国」という枠組みを否定するもので、九二共識を否定する行為と見なされたため、北京政府はこれを露骨な台湾独立と認識した。国際社会に対しても、陳水扁は台湾の主権を強化するために度々住民投票を推進し、台湾の国際的な認知度を高めようと試みたが、これらの動きはアメリカや北京政府の警戒を招き、中台関係は一層緊迫化した。
ここまでくると、北京政府の態度がはっきりと見えてくる——台湾政府が中国を代表しようとすれば、それは分裂行為と見なされる。台湾政府が中国を代表したくないとすれば、それもまた分裂行為とされる。「兩國論」を語れば、それは「二つの中国」を目指す分裂行為として拒絶され、何も議論できなくなる。「一邊一國」を語れば、それは「一つの中国と一つの台湾」として独立を目指す行為とされ、ミサイルで対処すると脅される。
統一を望まない限り、それは分裂行為であり、独立を目指す行為と見なされるのだ。
曖昧な領域を行き来する
2008 年に就任した馬英九は、中台関係を現実的に対処する方針を選択した。任期中に「九二共識」への支持を再確認し、曖昧な「一中各表」に回帰して両岸交流の基盤とした。政治的には九二共識が時代遅れであるため、依然として議論が進みにくかったが、経済面では歴史的な制約が少なかった。馬英九政権下では、台湾政府は北京政府と『海峡両岸経済協力枠組協議』(ECFA)を含む数々の経済貿易協定を締結し、経済面での交流が密接化した。しかし、この親中路線は台湾国内で議論を呼び、最終的には「太陽花學運」(ひまわり学生運動)の勃発に至った。経済的な接近が台湾の主権を損なう恐れがあるとして、それが統一への道筋だと多くの人は懸念した。
「台湾は台湾だ」と考え、「中国」との関係を断ち切りたいと思う人々は、ますます増えている。
こうした雰囲気の中で当選した蔡英文は、「九二共識」を「一國兩制」(一国二制度)と同義だと見なして受け入れを拒否し、「中華民国台湾」は「主権独立した国家」であり、その現状を一方的に変更することは許されないと主張。この立場は一見とても強く見えるが、実際には「維持現狀」(現状維持)に過ぎない。統一を積極的に進めるわけでもなく、独立を宣言するわけでもない。アメリカの中台問題における「戰略模糊」(戦略的曖昧さ)の立場をうまく利用し、九二共識とは異なる曖昧さの中で民主主義を宣伝の主軸に据えた。内政では台湾人の主体性を強化し、外交では日本やアメリカとの関係を強化する努力を続けた——その過程で十ヵ国との国交を失ったものの、国際的な認知度を大きく向上させた。しかし、北京政府から見れば、蔡英文の政策は実質的な台湾独立に近づいているとみなされ、台湾への軍事的圧力や外交的孤立化がエスカレートした。馬英九政権下で相談可能だったことも、全て不可能になった。
蔡英文の後任として、2024 年に頼清徳が新たな総統に就任した。頼清徳は過去に「務實的台獨工作者」(現実的な台湾独立推進者)と自称したことがあり、そのため選挙期間中に両岸政策に対する多くの疑問に直面した。しかし、総統としての頼清徳は、中台関係について明らかに慎重な姿勢を取っている。蔡英文の「現状維持」政策を踏襲する一方で、「中華民国台湾」の主権が決して侵すことが許せないと、いかなる形式の統一の前提も拒否するのを強調している。
既に述べたように、統一を望まない限り、それは分裂行為であり、台湾独立を目指す行為と見なされる。そのため、北京政府は頼清徳の政策を高度に警戒し、台湾独立路線の延長線上にあると見なしている。台湾に対する軍事演習や外交的孤立化の圧力は緩和されるどころか、一層過激化している。
馬英九の「一中各表」、蔡英文の「現状維持」、頼清徳の主権堅持と独立への言及を回避しない姿勢——これらは台湾人のアイデンティティの変化を反映しており、北京政府のレッドラインに徐々に近づいているように見える。曖昧さはかつて緩和の手段であったが、現在での対立が激化する情勢では、曖昧な領域がますます狭まっている。
台湾の未来はどうなるのか?
ここ数十年の台湾における対中政策を振り返ると、そのトーンがおよそ十年ごとに変わる変わる。時には曖昧さを保ち、時には率直に語られるが、常には一つの核心的な問題に行き着く——台湾は一体どこへ向かうべきなのか?
一方、北京政府の態度は一貫して変わらない。「中国は一つだけであり、台湾はその一部」だけだ。台湾側がどのような主張をしてきても、北京政府は台湾独立や分裂の動きと見なすと即座に「一戦も辞さない」という姿勢を見せる。
だが現実を見れば、台湾には既に自らの政府、軍隊、通貨があり、さらには総統選挙まで行われている。これが国家でなくて何だというのだろう。しかし、国際社会の多くの国々は「台湾は国家だ」と明言することを恐れ、台湾は今なお「政治的実体」という曖昧な言葉を頼りに、国際社会の曖昧な空間で生き延びている状況だ。同時に、本土化運動や両岸関係の緊張の中で、台湾人の自己認識は徐々に強まり、中国大陸への親近感は次第に低下している。「台湾は台湾だ」と声を上げたい衝動がますます強まっているように見える。
このままでは、台湾の未来はどうなるのだろうか?
もしかすると、台湾政府はいつか、自分たちが何であるかをより明確に表現する日が来るかもしれない。「中華民国」という名義を使うにせよ、「台湾」という名を掲げるにせよ、あるいは思い切って「神聖サツマイモ帝国」と名乗るにせよ、それは大きな冒険となるだろう。なぜなら、北京政府が黙って見過ごすはずがないからだ。
あるいは、台湾政府は現状維持を続け、北京政府のレッドラインと国際社会の支持の間を器用に渡り歩きながら、曖昧な空間を模索し続けて生存を図るかもしれない。
または、音もなく突然に統一が訪れる。
結局のところ、台湾政府が本当に成すべきことは、生存しながらも尊厳を保つ道をどう見つけるかである。この道をどう進むのか、世界は注視している。望めば、台湾政府が自分自身にもっと正直になり、一歩一歩を着実に進めることだ。