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GIVEと贈与と己の生活について。

まとまりのない文章になりそうな予感しかないですが書き始めてみます。笑

最近、「世界は贈与でできている」(近内悠太さん著)、「あえて数字からおりる働き方」(尾原和啓さん著)この2冊を立て続けに読みました。
源泉が似ていて、双方の共通点は、

与える


あきらかにコロナで自粛している頃あたりから生活が変わりました。
部屋で過ごす上でなるべくゴミが出ないよう減らし、買い物をする時もパッケージフリーやシングルユースでないもの、環境配慮されているかを選択し、食生活ではお肉を減らしています。
環境に対する意識を「ちゃんと」し始めて3ヶ月のスーパービギナーである。
これらは割と突然に訪れたのです。
私の中ではぬるっと始まったのだけど、いまそこに気がつけて本当に良かったと思っている。
そしてこれらは「完全に」行う事は難しい。

具体的に何が行えてて何が行えていないかと言うと、
行っている事
・生ゴミネットをやめて紙で折った袋を使用
・洗顔、シャンプーやボディソープなどのお風呂で使うものを全てパッケージフリーのナチュラル石鹸を使用
・お箸やプラのスプーンなどもらわない、野菜も裸のまま買う
・水筒使用でペットボトルを減らす(実際ほぼ毎日1本買ってたのがなくなり、月に多くても4本に。30本が4本になった)
・買うもの全て、環境配慮をしているところから買う
・お肉を10から3くらいに減らした、自分では買わない

行えていない事でこれからやる事
・サランラップの使用をなくす、蜜蝋ラップとシリコンバックを使う
・電力会社を選び直す
・ティッシュ魔なのでティッシュを使う量を減らす
・布ナプキンを始める
まずはこのあたりで、そしてゆくゆくはコンポストなど始めたい。

このように、全然まだまだ完全ではないです。
そう、完全に行うのは難しい。
ただ、ひとつだけでも意識してやれたらいいなと思いながら過ごすのとそうでないのとでは、自分の「今」を生きる時間の質が違いそうだなと思いました。はたまた使用するものの質も。

冒頭でも書きましたが、本当に気が付いてよかったし、すぐ先が沢山見えて楽しささえ覚えています。
これらはきっと、少しだけ手放さないといけないものの中から生まれる気がする。
利便性に慣れ過ぎてしまった日本人は不便への耐性がなく、そのイメージだけでなにかを決めつけてしまう事が多い。(抽象的ですみません…)
やってからではなく、行動の前に思考が来ることのもったいなさを凄く感じてしまう。
利便性を少しだけ手放す事になるかもしれない。
それでもこれからの時代には利便性を優先するよりも、意味のある事が必要になってくるはず。

ここで冒頭のお話に戻りますが、近内さんの著書の中で定義されている「贈与」が、必要としているにも関わらず、お金で買う事ができないもの、としていて、例えば関係性・ギフト・貢献であったりするもの。
一番身近ですぐそこにある気が付ける贈与は「感謝」だと思いました。
気を付けないと気が付かない感謝が周りには溢れている。
人は、ないモノには目がいくが、あるモノには気が付かない。
全てが「ある」状態で生まれた世代は特にあるモノへの感謝が生まれにくいのかもしれない。
そして尾原さんの著書には「有難う」とは、誰かにとって有る事が難しいこと、とされている。
誰かにとってほんのちょっと意味のある存在である瞬間に、有難うが生まれ、感謝される。
それは自分が与えたGIVEであり贈与で、自分もまた誰かから何かを与えられもらっている。もらい続けている。
その思考サイクルをしばらくは続けたいと思っています。
まずは自分が始める事、やってみる事、そしてそれを少しずつ楽しみながら発信して誰かの役に立つ事に繋がると信じ与えること。ワクワクすることとリンクさせれたら理想。

今すでに沢山の活動家の方や、影響力のある人がこういった生活へシフトして沢山の情報を広めてくださっています。
ただ、誰しもがこれを行うためにはもしかしたらまずその人の精神や問題を大切にするところから始めないといけないのかもしれない。
次回はお金の使い方が少しだけ変化したお話ができたらと思っています。

今の素直な気持ちだけ綴ってみました。
あ〜!やっぱり文章難しいなあ〜!

写真はニューヨーク、スモーガスのレモネード。


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