思春期さん「相手の気持ちを理解するなんてできるのかよ?」

(最初に少し自己紹介を!読み飛ばして頂いても構いません。本題には見出しをつけました。)


はじめまして、インターネットのみなさん。元気にインターネットしてますか?元気ないですか。そんな時はインターネットをするといいと思います。元気になったらまたインターネットしましょう。

初投稿です。

襟足といいます。何だこの名前。髪の毛の襟足が長かったのでこれにしました。陰キャヘアー。

音楽が好きです。ニコニコ動画に投稿される曲から音楽にはまり始め、つい最近LINEミュージックを登録ました。まだたくさんの曲を知らないので、好きな作曲家が好きな曲、なんかを調べて聴いてます。

最近、発信活動をはじめました。本当は作曲などをしたいのですが、全く出来ないので...それを出来るようになるために勉強してる間、適当にブログでも書こうと思います。

思春期の皆さんと大人の皆さんは読んでいただけると嬉しいです。


本題。題名の通りです。

結局、他人の気持ちなんてわかるのでしょうか。

...なんでこんなテーマが出てきたんだっけ...メモ帳に気づいたらそんなことが書いてあったから、ちょっと詳しく書こうとおもい、気がつくとブログに出来そうなくらいにダラダラ書いていました。

思春期少年少女は「他人の気持ちなんてわからない」と嘆き、おとなは「相手の気持ちを考えなさい」という。この矛盾に、僕も青春時代大いに苦しめられました。なにより、自分の気持ちだって誰も理解ってくれないのが、気持ちを読み取ることの不可能さの証拠だ。とも思いました。

そもそも。感情の原因は自分の外部にあるし、感情の決定は自分の脳みそがするものだから、自分と「同じ」苦しみなんてのは、自分と同じ脳みそと身体をもって、同じ生まれ育ちをして、同じ状況に立たないと持てないのだとおもいます。

極端な例をあげましょう。「いじめを受けた。苦しかった」という状況があったとします。ここで誰かに「いじめを受けた。苦しかった」と言ったとしても、その同じ苦しみは相手にはきっと理解らないのです。

しかし、確かに相手の感情を理解ったとおもうことは確かにあります。

気遣いとか、相手の気持ちを汲み取って、感情を読んでする行動は、ひねくれていた僕でも65パーセントくらいは成功してた気がします。まぐれではないと思う。た、たぶん。

また、僕達は、出来ないはずなのに相手に理解してもらおうとします。そのために、言葉を使って表現をします。

何故僕達は、実際は出来ないはずなのに、相手の感情をときに「理解った」と思ってしまうのだろう?相手に「理解ること」を求めてしまうのだろう?

答えは、共感

僕達は相手の気持ちを理解しているのではなく、共感しているのです。共感と理解が似ているから勘違いしてるんだと思います。どっちも「わかる」ことなので。僕達は相手の意見に共感します。私達は自分の意見への共感を求めます。しばしばそれを「分かった」といいます。

共感とは何か?ちょっと書いてて心配になってきた。僕はよく、辞書的な意味を知らないまま単語を使う。それは「共感」なんていう、一般的でよく使う言葉でさえも。いや、だからこそかもしれない。ささっとブラウザを開いて検索する。Googleさんが提案してくれたサイトをひとつずつ覗く。コトバンク、goo国語辞典、そしてWikipediaといったところで、専門的すぎて僕には難しくなってくる。とりあえず、「相手の感情に全くその通りだと感じること」としておきましょう。

共感とはどうやってするのか?これは、僕の意見を書きます。「共感する」とは、
相手の感情について、相手の状況などを参考にしながら、自分の記憶というデータベースを検索し、もっとも今の相手に近い感情を呼び出す動作
だと思っています。この動作に成功すると、「ああ確かに、自分もそのような感情を持ったことがある。全くその通りだ」と感じるのです。
(蛇足。これはつまり、自分が過去に似たような状況や感情を既に体験しておく必要がありますね。)

同じ感情ではないにしろ、やはり同じ人間、脳の作りが同じ「人間」であるため、似たような状況や似たような感情を持ったりするようで、僕達は日常的に共感して過ごしています。「いじめを受けた。苦しかった」と言われれば、胸が痛くなる。自分も苦しくなる。相手の感情を「分かって」いる。

結論、「分かった」と「理解った」

「分かった」と「理解った」は似ているから、しばしば僕達は相手のことを理解ったと勘違いする。さっき書いたように、相手と同じ感情は持てない以上、決して理解ることは出来てないのだろうが、分かってやれる。これが、僕達がふだん求めているもの、求められているもの、「相手の気持ちを理解しなさい」の正体だと思いました。


共感してあげる、してもらうために。

相手に共感させやすいように、つまり、相手の脳内検索でピンポイントに引っかかりやすくするために、その感情を持った状況を、いかに詳しく伝えるかだと思います。

そして、相手の気持ちを受け取る側として大事なのは、やっぱり自分自身が色々な経験をすることだと思います。脳内データベースを増やすんです。相手の状況を検索にかけて、ヒットさせやすいように。

より自分の想いを伝えたいなら、最終結果としての感情ではなく、そのときの状況をひたすらに伝える...なんてのは音楽や小説の表現なんかでよくみますね。芸術ってすごい。すき。

思春期少年少女はうまくいかなくても仕方ない。

ここまで話した通り、俗に言う「相手の気持ちを理解する」つまり共感することには、経験というデータベースが必要不可欠です。そして、これを作りあげていく最初の段階が、思春期なんだと思います。青春ですね。だから、その時に上手く相手の気持ちをわかってやれなくてもしかたない。そうやって経験して、だんだんできるようになっていくんだと思います。

だから大人の皆さん、あまり急かさないでほしいな。

本題おわり。提供NHK。


あ  と  が  き

僕の短い思春期を振り返って書いた文章です。大人にでもなってしまったのでしょうか?まだ子供のつもりです。

僕は勉学に励む年齢なのですが、その割に「そんな論理で大丈夫か?」というレベルの文章になっていましたらごめんなさい。ここまで読んでくださった優しい方、あなたは神です。ありがとうございます。神なので、ぜひ、もし良けれは、余裕があれば、スキとか拡散とかして頂いて、名前を残していただけると嬉しいな。はい。ありがとうございます。

それでは

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