愛をかかげるのであれば、自分をととのえることから。
幼少期の頃のひかりをたよりに
そこを灯明にして生きていくことを決めたわたしは
愛について、考えている。
幼少期のわたしの
ひかりのみなもと。
いきるみちしるべ。
それは、
わたしのだいすきなひとたち
みんなが ずっと笑い合って 想いあって
みんなで ずっと 共に助け合って
めちゃくちゃ楽しく
くらしていくこと。
そのために、今世じぶんのいのちをかけることにしたのだ。
そのためには、愛を知らなくては。と日々感じる。
在る森のはなしにジョインして1年と4ヶ月目。
愛とは。と
日々深く感じることは
愛とは
全ての事象で
相手の状況
相手の気持ち
相手の未来
を慮ること
相手の
一番幸せな形を
想い馳せること
そのために、自分を犠牲にしたらいいの?かというと、そうでは、ない。
まずはじめに自分を整えること。これもひとみちゃんからも教わった。
わたしは、人のために生きるということは
自分を投げ打ち、相手をまっさきに優先し、自分の暮らしを全投入することだとずっと勘違いしていたのだった。
相手を慮る。それは
自分がぐらっぐらだと、できない。
自分のくらしが整っていないと、
自分の身体が整っていないと、
自分の機嫌がよくないと。
自分の心が、クリアでないと。
優しい気持ちで、愛の気持ちがなければ
人に想い馳せ、置かれた全体の最適・バランスを考えることはできない。
また、昨日書いた、
自分の心の恐ろしい汚れを、直視しなくては、おそらく、
相手への愛を生み出すこともできない。
なぜなら、自分をよく知らなければ
愛由来だと思い込んでいたことがその実、
憎しみが形を変えて嘘モノの愛だったということなんて、
日常茶飯事であるから。
下が、そのことを書いた昨日の記事。
愛のために
ひとのために
まず、自分のくらしを整える。
まずはじめに、いちばん、大事なこと。
わたしは、自分の身体五感の感覚が過敏が故に
それを言い訳にして
社会に適合したり生きる工夫を凝らすことを全放棄して
20代前半からアルコールとニコチンの過剰摂取をして
目の前にある事象を感じないように感覚を麻痺させてきた。
たとえば。
幼い頃から、地球の平和のために、ほんとうにほんとうにどうしたらいいのか。と考えるならば、
過敏な自分がアルコールに浸されていたら、機能しなくなることくらい
ちょっと考えれば、わかることなんだ。
過敏が故に、疲れると、おおきな音などに圧倒されて
身体全ての平衡感覚を奪われ、
自分の言語コントロールも難しくなり、
人とのコミュニケーションが通常時よりも80%くらい困難になる、
という特徴を知れば、
どうやって自分の身体を整えたらいいのかは、
トライアンドエラーして、会得していくべきだ。
それを考えると、
自分の今世やりたいことを考えると
闇雲に、人からのお誘いにほいほいと顔を出して疲れている場合じゃないし
自分を整える、自分の仕事をちゃんとする、が、一番大事なことくらい
少し考えればわかるはずだった。
それは、何かのセラピーに縋るとか
何かのエネルギーを頼るとか、そういうことにお金を費やすとか、
そういうことじゃない。
人に会わず、
静かな場所で深く呼吸する、
アロマオイルの香りを愉しむ、
ノイズキャンセラーをしながら作業するとか、
指のマッサージをする、とか、
自分でできる全てのことを、やってみる。
そして少し回復したら、
ただただ、この子のことが大好き!!と思える、友達。キャピキャピできる友達を作って、お互いを高め合って、お互いのちからをあわせて、勉強をめっちゃする!
それが本当に大事なことだった。
今やっとそれをやりはじめてる。そして、自己犠牲じゃない愛を知ろうとすればするほど、疲れ知らずになり、
ずっと抱えていた具合が悪い日々も、おどろくほどに、ほぼ、なくなってきた。
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