変わるもの、変わらないもの【えいがさき完結編第1章感想】
10月だというのに未だアロハシャツを余裕で着れるイカれた気候の中皆様いかがお過ごしでしょうか。gomaです。
虹ヶ咲7thライブに向けてえいがさき第1章の感想を残しておこうと思います。
なお本記事はNFX(ニジガクファングランプリ)企画に便乗して作成した記事となります。詳細↓↓
変わらないもの
ED主題歌タイトルでもある「どこにいても君は君」。変わっていっても進み続ける一方で、どこにいても君は君だよという、優しい相互理解・相互信頼の上に成り立つ歌だと思います。
ではどこにいても変わらない君(僕)、すなわち変化の中でも変わらないものとは一体なんなのか。僕は2つあると思っていて、ひとつが彼女たちが持つ「らしさ」、そしてもうひとつが「ときめきに惹かれ進み続ける心」です。この2つをひっくるめたどちらもが「どこにいても変わらない君」を構成する要素なんだと思います。
彼女たちには一人ひとりの個性があり、それぞれの境遇があり、抱える想いもバラバラです。だから新たなときめきに出会ったときに描く夢のカタチもみんなバラバラです。それでもときめきに惹かれて好きなことを追求したいと思う気持ちは同じだから、彼女たちはスクールアイドル同好会という形を取り、まとまって活動をしているわけです。大好きを追求したい気持ちは同じだから、やりたいことが違えど互いに、支え合うし、成長するためにライバルとして切磋琢磨もするわけで。
ですが、それぞれが自身の好きを追求し続けていたらいつかは一緒にいられない時が来る。やりたいことが一致していない以上それは時間の問題ではあったと思いますが、劇中ではGPXという競い合いの場が同好会の未来を可視化していました。
やるからには高順位を目指すかすみ。尊敬する仲間たちと本気でぶつかりあうことそのものが夢であり、だからこそ競い合いに真剣な態度だったランジュ。かすみの様子を見て、一緒にいられないことに寂しくなってしまうしずく。そもそも競い合うことそのものに向き合えておらず、その競い合いの場の中でも変わっていく皆の姿を見て、同好会の行末を不安に思う歩夢。
ですが寂しがっていたしずくは、エマと天のライブを見て寂しさを払拭していました。たとえ離れていてもそこには「らしい」エマの姿があって、一緒にいられなくなったとしてもそれは変わらないものである。彼女たちには同好会でともに過ごしてきた時間があり、隣で見てきた彼女たちの努力があり、育まれた関係性があるからエマがエマらしくいることを信じられる。エマが大好きを追求していくことも変わらないと思える(例えエマが卒業した後でも)。だから寂しくない。そして自分も「らしい」姿でいることが同好会の皆の背中を押すことに繋がると分かるから、乱暴に言い換えてしまうなら離れていてもひとりではないと思えるから、しずくは「私らしく」いればそれでいいと思ったのではないでしょうか。
離れていても一人じゃない、大丈夫だと思えるならもう同好会のメンバーは同じ場所に集まっていなくてもいいわけです。もちろん立ち止まるようなことがあれば、それこそ侑が沖縄にすっ飛んできたように支え合う時間がこれからもあると思います。が、一緒にいた頃と比べたら「思いをぶつけ合う」頻度は確実に下がるでしょう。離れていても大丈夫だと心で分かっていても不安になることはあると思います。それでも描いた夢に手を伸ばしたいなら、変化を恐れず進み続けないといけない。そして彼女たちはきっと手を伸ばしていくだろうから、やはり同好会は今までどおりのカタチではいられない。同好会メンバーそれぞれの成長と未来の新しい羽ばたきを嬉しいと思う反面、虹ヶ咲の物語の終わりの予感を感じずにはいられませんでした。
7thライブのタイトルは「NEW TOKIMEKI LAND」です。彼女たちの「新天地」と変わらぬ「らしさ」を見て聴けることを楽しみにしています。
余談
劇中の侑の「それでもみんな、進み続けるんだよ」というワードは、アニメ一期12話のせつ菜の「始まったのなら、貫くのみです!」というセリフと繋がりを感じます。かつてせつ菜が歩夢にかけたのに近い言葉を、今度は侑がかけてくれるというのがめちゃくちゃいいですよね。歩夢にとっては侑もせつ菜も等しくヒーローなんだなあと。
さらに余談
映画のスタッフロールの最後は、侑も含めた13人がスクリーン越しにこちらを向いています。夢を追いかけてそれぞれが進んだ先の未来で、また13人と会ったときに少しでも誇れる自分でありたいなと思います。