ほぼ日手帳2日目
一月三日
平成最後の三が日を迎え、「あけおめ」「ことよろ!」と言うメッセージやフィードを見ていく中で、ふと目についた記事。
「平成が終わる今」
「僕にとって日本にビジョンがあった時代」
この時ホットだった「平成最後」を少し違う視点から書いてそうな記事で、気になったわたし。
Cody Ellingham(コーディー・エリンガム)さんがなぜ今写真を撮るのかについて書かれていた。
そして、特に目についた部分はここ。
『今の日本はみんな迷っているよね。平成はずっと先が見えない状態。どういう人生を送れば幸せになれるか答えを持ってない人が多い。社会がビジョンを描けていないよね。』
彼の言ったことを考えたことがなく、日本人でないコーディから発されたこの言葉に思わず感心している自分がどこかにあった。
だって考えてみれば、これは鋭い分析なのである。
高度経済成長が終わり、その名残りのまま突入していった平成。戦争もなく、どう国をまわすのか、将来のことを考えなくちゃいけない。このようにいつでも現実と直向きに進んできた時代でもある。
でもそのマイナス点は「答えが見えない」と言うこと。
きっとはたから見ればビジョンがないのかもしれない、みんな今まで先のこと、将来のことを深くゆっくり考えてこなかったから。
ビジョンを描くには恐怖を感じてしまう漠然としたuncertaintyがあったのじゃないかな。
更には取材者の Yuki Kanaitsuka はこう分析をする。
『2020年東京オリンピック、2025年大阪万博。日本はどこか、まだかつて見た夢の続きを引きずっているのかもしれない。』
これは1964年のオリンピック、1970年の大阪万博に触れている。
戦争が終わって希望の見えなかった日本であったが、他国の目に写ることなり、更なる国の高度経済成長の後押しとなった。
その二つの大イベントがまた日本には訪れる。更にいえば、2019年の世界ラグビー、G20サミットといった世界の目に触れる場がたくさんあるのだ。
でもYukiさんはこのことを『夢の続きを引きずっている』と言う。
それはなぜか。
これらのイベントの準備に国は精力的になっている。これはとてもいい事なのかもしれない。
でも、準備と言うなり建物の取り壊し、改装、新たなホテルを建設、といったことが猛スピードで行われていて、『真新しい建物が建っていても、そこには前に何があったのかを思い出せないことが多い』と Yuki さんは書き記す。
これは昔の何もない、ゼロから全てを建てる、と言うなら別のこと。でも今は風情も確立したコミュニティのある中、片っ端から建物や空き地を建設地にしているではないか。
昔親しまれていたもの、街の風情といったことがあたかもなかったものとなり、『今』だけに適応・対応されるものが作られていることにコーディーもYukiさんも違和感を感じているのではないだろうか。
これは記事の最後の方でも露わになっていて、Yuki さんは、
『取材中、Codyがふと漏らした「今の人達は歩いててもあまり街を見ていないよね。みんなスマートフォン経由で世界を見ている気がする」という言葉が頭から離れない。』
と書き、
更には、「古い建物のない街は、思い出のない人間と同じ」と東山魁夷の言葉をのこした。
つまりコーディの写真の取る理由は永遠ではない風景や人を撮ることであり、Yukiさんの記録することが平成が終わる今、大切であると思ってやられていることなのだ。
* * *
平成が終わる今、コーディとYukiは令和に向かって自分の住むコミュニティ、それらの将来性に言及したけれど、
平成が終わった今、あなたはこの想いをどう受け取るのだろうか。
令和が始まった今、あなたはどんな時代にして、どう行動していくのだろうか。
日本は綺麗な景色がたくさんある。それは下町の風情であっても、観光地で有名なところであってものこと。
どうか二人の想い、届くといいな。
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