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世の中でとても重要な「コミュ力(りょく)」の正体

「コミュニケーション能力」ってなんだと思いますか。
言葉の印象だと、それが高いと社交性があって友だちが多いのかなあとか、相手を心地よくする接し方をしてよく好かれるんだろなあとか。
結果としては、そういうことでも間違っていないと思います。
この記事で「コミュニケーション能力」つまりコミュ力がなんなのかとか、もっと言えばそれをどうしたら高められるのかを書くつもりはなく、
今回はコミュ力が高いと感じる人はざっくりと2パターンに分けることができるんじゃないか?と思った話をしたいと思います。

その前にやっぱり私の思うコミュ力をもう少し考えたいと思います。
友だちが多いとか、人に好かれるとかは結果でしかなく、その結果を…相手にどう思われる・どんな距離感の知り合いがどのくらいいる…というのを、自分自身が望んで得ているのかというのは重要かもしれません。
さらに深く考えると、「社会の中の自分」をちょうどよく置くことのできる力であり、
自分が周りからどのように見られがちであるかを理解して、場面や状況に適した魅せ方を調整できるという自己プロデュース、
相手が気持ちよく過ごしてもらうために必要な情報を与えたり、相手の話したいことをうまく引き出したりするホスピタリティ
といったものが根幹にあるのかな、と考えます。

「コミュ力がない」という人は、少なからずそれを高めたいと思っているはずですが、
どうしたら高められるかを調べたり聞いたりしたところで、「それができたら苦労しない」に陥ってしまうと思うんです。
私がそうでした。
「コミュ力」というものが曖昧すぎて、具体的な課題がぼやけるわけです。
だから(少し乱暴ですが)「コミュ障は甘え」と自分自身に言い聞かせて、私は取り組んできました。
あいさつとか。
笑顔とか。
話を最後まで聞くとか。
会話に入りたいときは何て言うのかとか…

念の為書いておきますが「コミュ障は甘え」というのは事実文字通りなのではありません。社会性にどうしても遅れがあるとか支援が必要な人はいます。「甘え」だからひとりでがんばれよではなく、そういう方でも具体的に何からクリアしていけばいいかをその方のできる範囲で支援する方と一緒に取り組んでいくことで、社会が少しずつ生きやすくなるかもしれないと書いておきます。

ということで、世の中にいる皆さん、
みんな涼しい顔して人と話して、このコミュニケーション社会を平然と過ごしていて、すごいですよね。
羨ましい限りです。
でもきっと、みんな心の内側ではアタフタしてるし、やらかしたらどうしようと思ってるし、後で一人反省会してるんです。
だいたいの人がそうだと思ってるけど、私は2パターンの人がいるのではと考えました。
(その中間に位置して両方の性質を持っている人がいると思ってほしい)

・育ち方とセンスでコミュ力を身につけた人
こういう人はきっと「コミュ力あるね」と言われても何のことだか分からない、自分は自然体でいるだけだし自分自身できてないと思うことも多いよって感じたりするんじゃないかと思います。
私はこちらの性質が少ないのであくまでも周りを見たときにそう捉えたという話です。
推測の部分も大きいですが、
根っこにある性格(物事を気にしすぎないとか)と愛嬌と、
青年期までの間で人と関わることが多くて意識しなくても身についたスキルが多い、
いわゆる外交的で周囲に意識が向きやすく相手の変化などに気付きやすいし人の居るところに居るのが苦じゃない、
こういった性質をもっているのかなあと思います。
彼ら彼女らなりに、人の中にいるがゆえの苦労や葛藤もあるのだと察しています。

・必要に迫られてコミュ力の要素を身につけてきた人
私含めこのような人は、小さい頃や中学生くらいまでは人に気を遣えなくて、自分の気持ちで精一杯、仲のいい子はいたけどすぐ離れちゃうとか本当に打ち解けることができない
といった経験をしているのではないかと思います。
前者の性質と照らし合わせれば、
根っこにある性格(考えすぎてしまい落ち込みやすい、臆病で二の足を踏みがち、とか)と自分に嘘がつけず表情に出る傾向、
人と接する機会や集団の中で活動することが少ないまたは家族などに守られていた、
いわゆる内向的で自分の内側に意識が向きやすく周りが見えなくなりがち、人と接することに疲れを感じやすい
こういった感じだと思います。

自分を、そして若い頃を振り返って、後者の方に近いなと思う方は、
センスよりも理論でコミュ力をつけていくほうが合っているかもしれません。
意識しないと周りに目がいかないので、意識的に目を向け、「こうしたらいいのかもしれない」という技を人から貰っていきましょう。
それは、「このタイミングで声を出す」とか「この言葉は便利」とか「こういう考え方もある」ほんのちょっとした小手先のテクニックでいいんです、
それが自分に馴染んでたくさん蓄積していけば、だんだんコミュ力になっていきます。
そしてちょっとずつ社会が暮らしやすくなっていくはずです。

「私だけかもしれない」というものに他の人を巻き込んでいるかもしれませんが…
きっとだいたいの悩みは「自分だけ」ということなんてありえないはずなんです。


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