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日本医師会、その権力の源泉
日本医師会は開業医の利益保護団体である。
基本的に、日本医師会が政治権力を持つのは政治献金と国民皆保険からの離脱をほのめかすことの組み合わせによる。
武見太郎の時代には何度も国民皆保険の離脱を盾に診療報酬を上昇させることが繰り返された。また、監査システムを医療関係者だけで実施する仕組みも作られた。
武見太郎の引退後はあまりこうした強権は目立たなくなった。
しかし、政治献金は続けられた。
さて、なぜ政治献金が継続的に可能だったかを考えてみる。
まず、開業医というのは保険診療の時代になってずっと、お金持ちになるための最も確実な選択肢だった。
そしてクリニックというのは基本的にマイクロ法人だから、節税が容易なのだ。税制上の収益を減らしつつ豊かな生活ができるために、手元に現金を残しやすいのだ。例えば家族や親族を理事として報酬を与えたり、家屋とクリニックを一体化させて設備投資とみなしたり、携帯代や食事代を経費で落としたりといろいろな節税の余地があるし、収益の多さと確実性のために税理士を雇用するのも容易だ。
またその過程で、政治献金による所得控除/寄付金控除の意味も理解しやすくなる。
開業医の収益の源泉は保険診療で、保険診療をどうするかの影響力は政治家が握っているわけだ。
徴税や国債によって生み出されたお金を保険診療によって抜き出し、一部を政治家に献金することでその構造を強固なものにするシステムが完成したのだ。
このシステムが強固だからこそ、私立大学医学部の学費は4000万円や5000万円であっても支払えるわけだ。
開業医の子息などからこのシステムの話を聞くとめちゃくちゃ簡単に儲けることができるではないか、なぜさっさと継がないのだ、と疑問に思う。
彼らに聞くと、自分はもっと医師としての腕を磨いて仕事をしたいのだ、と言うし、実際職業人としては尊敬できる人が多い。
彼らにとってこの集金システムは生まれた時から当たり前に存在するものなので、それに対してありがたみを感じることはあまりないのだ。
きっとそれは、中世の貴族が免税されていたことを当然のものだと考えていたことに似ている。
中世の貴族が免税されていたのは、貴族の代表者である王が徴税能力を持たず、貴族に委託せざるを得なかったため、彼らに自分の代わりに徴税してもらうだけのうまみ=特権を与えなければならなかったからだ。
同じように、開業医が税制上優遇されているのは、国民皆保険の実現において、開業医にその業務の多くを委託せざるを得なかったため、国民皆保険に協力してもらう代償を支払わなければならなかったからだ。
しかし、開業医がうまみのある仕事であるがゆえに、医師を希望するものは増えた。ただ、診療所に従事する医師は、医師数の増加ほどに増えては似ない。
特記すべきこととしては、2022年時点で、診療所に勤務する医師の約半数は、60歳以上であることだ。
なぜこうなるかというと
1.診療所で働くことは、特にローンを返済し終えることができれば、比較的続けやすい仕事であるから。
2.子息があとを継ぎたがらないことが多いから
である。
実際、かなり良い暮らしをしている開業医の子息でも、40歳を過ぎて、親が70歳を過ぎても継ぎたがらない人を多く見る。
ただ、なんとなく産婦人科は継ぐ人が多いように感じる。
その辺の感覚が僕にはあんまりよくわからないんだけど、医師会の権力基盤と言うのは、開業医の子息がそんなに継ぎたがっていないことで、少しずつ弱ってくるのかもしれない。
継ぎたがらない人たちになんで?と聞くと、面白くないじゃないかとか、自分の実力をもっと高めたいという話を聞く。
お金というのがそんなに重要ではない世界に生きていて、そういうのも貴族っぽいなあ、と思う。
まあ、それ自体はきっと悪いことじゃないんだろうし、これを特権と認識して一族ともども死守する、なんて状況よりはよっぽど修正のしようがありそうなんだよな。
こういう、開業医の子息たちのなんとなく家を継ぎたくない、という感覚を少しだけ強めることは、医師会の権力が小さくなることに繋がるんだろうし、保険診療を持続可能にするための制度改革をしやすくするように感じるんだ。