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東北地方で人口が増えない合理的な理由と、その解消がもたらす帰結

東北地方は人口過剰問題を解決する最中なのではないか?と思う。
もともと東北地方にはあまり産業がない。だからこそ子どもを都市(多くは東京)に送り出し、長男に土地を継がせるのが一般的だった。農業が衰退してからは、土地ではなく、公務員と公務員に関連した私企業、つまり県や市からの受注が仕事の大半である企業が増え、仕事も公務員か準公務員かアルバイトしかなくなった。
つまり再生産を見込める収入が得られるポジション(=椅子)の数は制限されている。
そしてアルバイトというのはつまり椅子を分割して座っているようなものだ。

公金注入で実態以上の椅子を維持していることの是非はともかく、事実としてそうである。

しかもその椅子とて、高齢化に応じて増額される地方交付税交付金に依存している。これは高齢化が解決すれば減少することがわかっている椅子である。

そのため、高齢化の維持は死活問題となっている。
医療・介護複合体を維持する以外にも、椅子の数を維持するために高齢化を維持することに意義が生まれている。

そして高齢化の維持を考えたとき、子どもは不要になる。
子供が増えれば高齢化率は低下するからだ。

現状の制度の中で最適を目指すと高齢化の維持が最適解になってしまう、これが東北地方に未来がないと呼ばれる所以だ。

シルバーファースト民主主義というよりも、環境収容力を超えた人口と仕事を、国からの資金注入で維持していて、それをみんなが知っているのが人口が増えない理由なのだろう。

ただ幸いなことに、高齢者は高齢になるほど資源を使う傾向にあるから、亡くなったときに多くの資源の余剰が生まれる。
そして東北地方は激しい高齢化と人口減少に直面している。人口減少の主体は高齢者の死亡と大学生の進学である。
つまり、公金への依存は徐々に減っていく傾向にあるのだ。
となればどこかで公金によって椅子の数を水増ししていたものが、維持可能な割合に収束していくことが期待できるかもしれない。
また、維持コストの高い自治体は過疎化によって解散し、比較的低コストでインフラ維持ができるようになるかもしれない。

こうした意味では未来がある、と言える。










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