権威主義国家が一時代を築いたのは、虚飾のためだった。
5年ほど前だろうか、権威主義国家というのは民主主義ではない統治体制として、その可能性と危険性が語られたことがあった。
一つは政治的資本主義だ。これは中国に代表される中央集権的な資本主義で、民主主義は必ずしも経済発展に必要ではない可能性が示唆された。
もう一つはエリカ・フランツの秀逸な要約で、権威主義体制の弱点と問題点を記述したものだった。
権威主義国家の限界が中国のバブル崩壊と、ロシアのウクライナ侵攻で明らかになってくると、一つの結論が導かれる。
あの時代に権威主義国家が強く見えたのは、GDPを大胆に修飾して、成長率を高く見せかけることができることと、民主主義国家に比べて、間違いを認めづらいから、対外的には過ちが少なく見えるからだと。
現代になって振り返ると、権威主義国家にあの時代の勢いはもうない。
あの圧倒的な経済成長し発展する姿は、かなりの割合が虚飾だったわけだ。
手品のタネを明かされたような気持ちだ。
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