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まちの病院の役割が、高齢化によって変化していく。

よく、朝日新聞やSONYなどの利益の大半が不動産業に由来することを皮肉って、不動産業者が趣味で新聞を出版しているとか、不動産屋さんが趣味でゲームを作っている、なんて言うことがある。

一般的な二次救急を行う市中病院だと、入院診療のメインは高齢者医療=老年科で、たまに循環器内科や呼吸器内科をやっている、と称するしかない病院は複数ある。

実際、病院によっては内分泌代謝内科が診療する疾患の2位が誤嚥性肺炎、ということもある。

高齢者を延命させることで、病院も延命している状態だ。

Do not hospitalization指示が適切な患者さん、というのも多くいるように思われる。これに関しては、そもそも医師は考慮することもないように思う。ただ、抗菌薬治療を控えることも、入院診療を差し控えることも、家族と話す中で選択肢として提示していけない理由はないと思う。

実際、全身状態や病気の経過を踏まえて、それが現実的な選択肢として考慮される場合は、僕はどちらも提示することがある。
この選択肢を提示することで、怒りを向けられたことはない。

90歳で末期認知症の誤嚥性肺炎を救急要請するのは誰のためなのか
その治療でどんな利益があるのか
なぜ大往生と考えることができないのか

これは多分、自宅でかかりつけ医の往診がない状態で死亡すると、異状死になってしまうからなんだと思う。
ただ、施設の場合は嘱託医がいるから、看取りができる場所も多い。

救急医療の場合、救急のロジックで生命の維持を目的に治療が始まるけど、高齢者の誤嚥性肺炎の場合、点滴と抗菌薬を投与したら、すぐに何かしなければならない状況が追加でおきることは多くはない。

実際にそこで人生会議をはじめたほうが良いときがしばしばあるように思う。

実際、施設入所で意思疎通が難しい高齢の方が、家族が心配で救急要請をしたけど、老衰の終末期であると確信できたとき、家族と話し合って、家族と一緒に最期の時間を過ごしてもらうために施設に戻ってもらったことはある。

これからますます終末期に近づいた高齢者が救急搬送されることは増えていくように思われる。

その時に、救急医療の論理ではなく高齢者医療の文脈で治療目標を定めるべき時代が来るだろうし、そのように医療の価値観は変わっていくべきだろうと考えている。

まちの病院も、医療を提供する場所から、人生の最終段階における価値を高める場所としての要素が増えていくのかもしれない。

ただ、当たり前だけど、医療従事者が選択肢として提唱しなければ、患者さんやその家族は、その考えに思い至ることもない。




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