老化は死亡率と医療行為のリスクを高める。医療はリスクを回避する文化があり、医療者も患者も身銭を切らないから、コストが増える。最後にこれらを統合する。
老化は死亡のリスク高める。
1970年からこの傾向は変わらない。
グラフにすると下記のようになる。
1970年には75歳以上の医療費は5割負担だった。今は1割負担かつ、多彩な補助制度があって、実際の支払いはそれより少ないことが多い。年金制度もまだ完成していなかった。介護保険ももちろんなかった。経済もまだ十分成長したとは言えなかった。
さて、1970年と比べて、2021年にそれぞれの年齢の死亡率は
20-24歳では0.38倍に
30-34歳では0.35倍に
40-44歳では0.31倍に
50-54歳では0.36倍に
60-64歳では0.35倍に
70-74歳では0.33倍に
80-84歳では0.47倍に
90-94歳では0.64倍に
100歳以上では0.83倍に
それぞれなった。
何が言いたいかといえば、現代の医療と社会保障制度は死を先送りにすることにしか成功していないし、その効果は高齢になればなるほど乏しくなるということだ。
医療におけるリスク回避の文化
医療費の自己負担を5割から1割に減らし、年金を手厚くして、介護保険制度で手厚い介護を受けられるようになってなお、医療は老化を先送りできるだけなのだ。
少なくとも、年老いれば年老いるほど死にやすくなる、というトレンドに変化はない。
さて、医療行為のリスクについて考える。
手術のリスクは年齢が高いほど高まる。内服薬の副作用も高齢ほど出現しやすい。そして入院自体がせん妄や廃用のリスクになる。
つまり、高齢であるだけで入院中、入院外で新しい疾患や、今ある疾患の再発や、内服薬の副作用が出現するリスクが高い。
リスクが高いと判断されれば、リスクがアセスメントされ、対策が取られる。
つまり、高齢であればあるほど、リスクに何かしらの医療・看護的な介入が加わる可能性が高まる。
リスク回避にはコストがつきものだ。だから高齢者医療はリスク回避の文化のもとで行う限り、どうしても高額になっていく。
身銭を切らずにリスク回避できるなら、幾ら払ってでもする!
さて、自分が生きるうえでリスクをどう回避するかを考えてみよう。
あなたがある病気になって、その病気は放置していても症状は出現しないが、1年につき1%で、死亡するリスクがあるとする。(10年で累計死亡率は10%、20年で18%、30年で26%)
治療を受けると、99.5%で成功し、0.5%で死亡する。
この場合、あなたが治療するかは、
1.この治療にいくらかかるか
2.治療費をだれが払うか
3.どれくらい長生きしたいか
4.自分がどのくらいお金を持っているか
によって決まってくるだろう。
1000万円の治療で、全額自己負担であれば多くの人は諦めるだろう。
治療費が全額無料であれば手術を受けようと思う人も多いと思う。
でも、あなたが90歳で、5年後には死亡している可能性が高いなら、何もしない可能性が高いだろう。
つまり、人は身銭を切る時に、真剣にリスクについて考え、それを引き受けるのだ。
誰かのお金でリスクを管理してよいなら、採算など考えていられない。
人の命ほど大事なものはないから。
医療従事者の中には、非常に裁判を恐れる人もいる。
だから、裁判で負けないように医療を行う医師もいる。
そうした医師は、医療資源を使えるだけ使ってリスクを限りなく回避する。
不整脈があれば循環器に相談し、肺に結節があれば呼吸器に相談する。年齢が何歳でもお構いなしだ。
これができるのは、リスク回避的な行動は表立って批判されづらいこと、そして、リスクを回避する費用は保険料で支払われて、どれだけコストをかけてリスクを回避しても、自分の給料が安くなることもないからだ。
(一応言っておくと、こういうリスクをとにかく回避するふるまいは病院経営に悪影響を与えるので、上司から注意されたり、いろいろな悪評が立ったりして、居心地が悪くなったりはする。コストを無限にかけてリスクを回避することは、ルール上許されていても仲間内の評判が低下するリスクはあるのだ)
別にリスクを回避するのが悪いわけじゃない。妊婦の深部静脈血栓症リスクを考えて、可能な限り予防するのは適切な振る舞いだと思う。
せん妄が起きそうな人に予め手厚く接してせん妄が起きないようにしてあげるのも、本人にとっても周囲の人にとっても医療スタッフにとっても良いことだと思う。
ただ、超高齢者と30歳に同じ基準で医療的なリスクを回避すると、別のリスクが増えることになりかねない。
例えば、心房細動という不整脈がある。これがあると年間3%で脳梗塞を発症するリスクがある。
予防するためには1錠400円程度の薬を1日1錠飲むことが多い。
血液をさらさらにすることで、1年あたり脳梗塞のリスクを2%下げることができる。20年たてば、薬を飲んでいなければ、半分くらいは脳梗塞をおこしているけど、薬を飲んでいれば、5人に4人は無事だ。
年間14万円程度で、脳梗塞のリスクが1/3にできるなら悪くない買い物だ。
ただ、これは本人が普通に生活できているなら、と但し書きがつく。
85歳で認知症があり毎日あちこちに体をぶつけているならどうだろうか。
当然ながら出血するリスクはあるわけだ。高齢者の場合骨髄の機能が落ちていたり、食事量が少なくて貧血になることもある。
本当に寿命や身体機能の改善に繋がるかの計算は、かなり複雑になってくる。内服の有無でリスクの差は小さいというか、トータルで見た利益と不利益はいいとこトントンか、マイナスではないか。
ただ、裁判を恐れる医者は抗凝固薬を内服させるだろう。
高齢者医療では、医師も患者も殆ど身銭を切らないからだ。
あらゆるリスクを回避する医師は、若い患者からは嫌われる傾向にある。不必要な検査を行い、不必要な他科受診を指示し、あまり対症療法をしてくれないからだ。つまり、高いお金と沢山の時間がかかるけど、あんまり症状がよくならないのだ。なぜ対症療法をしないのか?不要な薬剤は副作用のリスクがあるからだ。
一方でそうした医師は、高齢者医療ではあまり問題にならない。
沢山検査をしてくれるし、悪いところは全部専門の先生に相談してくれるお医者さん、というわけだ。医療費の自己負担は高額療養費と1割負担を組み合わせると一か月あたりで見れば定額使い放題になるし、高齢者に時間はたっぷりある。
そのためなんとなく、リスク回避傾向の強い医師は高齢者医療に従事するようになっていき、あまり効果がないリスクマネジメントを青天井のコストをかけて行うようになっていく…。
ここまでを統合して考えよう。
死亡率は高齢になるほど上がる。医療は高齢者に効果が乏しい
医療の世界では、リスク回避の文化がある。
高齢になるほど、医療に関連した様々なコストが上昇する。
医者も患者も身銭を切らずにリスクを回避できる場合、様々なリスクが高い高齢者では、様々な医療行為を行うことに繋がり、青天井のコストがかかる。
こうして医療費が上昇するのだ。
対策
まず、高齢化をどうにかするのは難しい。日本人の平均年齢はこのままだと2070年まで上がり続ける。
この50年で医療は目覚ましく進化した。それでも高齢者医療は十分改善したとは言えない。だから、これからも高齢者医療の目覚ましい進歩は望めないだろう。医療を進歩させて老化を遅らせる、という方向性は発展が限られている。国の高齢化対策では、健診を充実させて老化に抗う記載がみられるが、健診の効果はずっと疑問符がついている。
この方向性は厳しい。
医療従事者のリスク回避の文化は変えられるだろうか。基本的に、医療系は安定した進路として選択されることが多かった。資格さえあれば安心という発想は、資格を失わなう・獲得できない可能性を下げる方向に働く。
この文化は変わらないだろう。高齢者医療だけリスクの感覚をスイッチさせる、みたいな器用なことはできそうにない。そもそも医学教育でも、超高齢者の存在は意図的に無視されている。
リスクを考える時に平均余命を勘案するのはどうだろうか。
余命という言葉からがん診療のことを想起する傾向があるが、施設に入所した認知症患者の死亡リスクを計算することはできる。
年齢中央値86歳のコホートで、誤嚥性肺炎を発症した6か月時点で生存しているのは、54%、1年後には41.8%しかいない。
これは一つの方法だ。いずれにせよ死亡率が高いのだから、医療行為を一生懸命やっても長生きに繋がるかわからない、という考えだ。
しかし難しいのは、胃瘻を作ることで確かに長生きできるという結果は前述の論文でも示唆されていることだ。(米国のレビューでは差がない、と結論されているが)
まあ、文化自体は急に変えられるものではなさそうだ。とはいえ、文化を少しずつ変えていくのは最も穏当なアプローチであり、国は少しずつ動いているように思う。
そうすると最後の選択肢だ。
医療において身銭を切らせるアプローチだ。
DPC病院であれば、その範囲内で治療することを目標にさせるのは一つの方法だろう。ただ、これに連動させて歩合制にするような制度改革ができるだろうか。
患者自身の身銭を切らせる、というのも良い方法に思える。
医療費負担について患者も医師も真剣に考えるようになれば、医療行為をすることがさらなる医療行為を生むような自己増殖的な医療は、その意味に対して子供から質問がされるだろうし、医療の価値についての議論が生まれるだろう。それにこたえられない医師は、高齢者医療を行うことが難しくなり、高齢者医療の現場から離れるか、費用について学び始めるだろう。
ただ、どちらかだけであれば、リスク回避的な医師にあたった患者家族の経済的負担が大きすぎるから、身銭を切らせるアプローチは医療従事者も患者も同時に行うべきなんだろうな。