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新型コロナウイルス感染症の流行は、労働者の質を”下げ”、給料を上げる。あるいは結核と新型コロナウイルス感染症の類似性について
新型コロナウイルスは最早肺炎というより脳とミトコンドリアに影響を与える感染症と考えた方がいい。
脳に炎症を引き起こし、端的に言えばIQを下げる。
また、ミトコンドリアの機能に影響を与える。
言い換えれば、知的生産性が下がり、疲れやすくなる。
その結果労働者の生産性が下がる。知的労働者も、肉体労働者も同様だ。
労働者の生産性が下がると何が起きるだろうか。
似通った出来事が起きたのが、中世における欧州での感染症の流行だ。
ペストによる人口減少と、生存者の身体機能低下は、15世紀にイングランドの実質賃金んを2倍以上に高めた。
イタリア、ピエモンテでも15世紀にジニ係数が減少し、上位5%の富の割合が減少した。
つまり、労働者が豊かになり、資本家が貧しくなったのだ。
ここには注釈が必要で、「生き延びて働くことができる」労働者が豊かになったのだ。ペストに感染して死亡したり、働けなくなった元労働者が豊かになったわけではない。
当然ながら、COVID-19はペストに比べればずいぶんと穏当な感染症だ。しかし長期的に感染を繰り返すことで後遺症を発症する可能性は高まるので、時間をかけて労働者の質を下げ、勤務時間を減らしていくだろう。
その結果として、雇用者は質の良い労働者を確保するためにより高い賃金を提供しなければならなくなる。
コロナウイルス禍を健康を保ちながらも生き延びた場合、労働者にとってはより良い条件を確保できる可能性がある。
さて、ここまでは感染の流行と労働者としての一個人としての話をしてきた。社会全体としてはどうだろうか。
生産年齢人口の減少は、社会を維持するために必要な人員が減少することを意味する。
水道、電気、道路、鉄道といったインフラの維持は社会にとって必要不可欠で、それがなければ医療は維持できない。製造業も同様だ。
必要なインフラを維持したうえで、さらにその労働者の疾患を予防し、疫病を治療し、生産年齢人口の健康確保を行うのが、1970年代までの医療の主たる機能だった。
そして、この結核医療、生産年齢人口への医療が主体だった時代(1955年から1973年)の経済成長率は、10%前後だった。
1973年には、高齢者医療が無償化し、医療の中心は心血管疾患、脳血管疾患と悪性腫瘍へと移った。
ここから経済成長率は4%前後の時代が続く。
そして1989年からは、GDP成長率は0-2%と低成長の時代が続いている。
ここで医療の中心は高齢者医療となる。
戦後から1970年代までの医療とは何かといえば、予防接種の推進と結核をはじめとする感染症の予防だ。
夭折した文豪たちのイメージからもわかる通り、戦前から戦後、つまり1940年代から1950年代にかけて、死因の第一位だった。
この結核の治療・予防が推進されたことで、空気感染する結核の発症率が下がり、集団行動が安全なものとなり、人口を集中させた産業が効率的に実施できるようになった。
だからこそ1945年(戦後)から、1970年までの医療は、結核を予防し、治療することに重点が置かれていた。
なぜかと言えば、結核は肺を侵し、呼吸機能を障害し、労働を困難にさせるからだ。ゆえにこの時代の保険制度は勤労者に手厚い給付を行っていた。
さらに言えば、無症候性というか、結核に感染しても、疲れやすいが働ける、くらいの人もいる。
このグラデーションは新型コロナウイルス感染症と似通っている。
新型コロナウイルス感染症後遺症も、重症者が多いわけではない。
しかし感染すると一部は労働者として働くことが困難になり、多くの人は少し働くのが大変になる。或いは脳の予備脳の低下が精神疾患として発症することもあり得る。
結核の場合は、症状がある時に感染性も有していることが多いが、新型コロナウイルスの場合は原則として長期障害の時点では感染性を有さない点は異なっている。また、結核性髄膜炎という例外はあるが、脳に影響することは稀だ。
ただ、今の時点で有効な治療法にも予防法にも乏しい点は戦前の結核に似通っている。
人口動態として、子供が少ない点は、感染を蔓延しづらくするが、社会を維持するために必要な労働者が不足しがちなところに、さらに新型コロナウイルスで働くのが難しい人が増えていく、という点で不利になる。
多くの医師がこれを社会の維持にかかわる重大な問題だと認識していない。
それどころか、実在する病気かを怪しんでいる医師も多い。
治療法がないから診療しない、診察しない、ということはありふれている。
しかしそうやって新型コロナウイルス感染症後遺症に対処しないことは、長期的に見て医療というシステムの存在価値に対する信用を棄損するだろう。
なぜこれほど多くの公費を使いながら、最も影響の大きい一つの病気に対して、十分な対処がなされなかったのだろうか、と。