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シルバーファースト現象のために、社会保障費の削減は、経済崩壊の結果として起きる可能性が高い。或いは医学的に妥当な社会保障費削減の方法。
社会保障費の自己負担が、勤労世代において増加しているといわれるようになっている。
実際、財務省の資料では、租税と社会保障の負担率は、2024年度においては45.1%になっている。
1975年には、25.7%で、49年でおよそ1.75倍に自己負担が増えている計算になる。
それでも不足があるので、不足分は国債発行によって賄われている。
これは将来的な財政政策の自由度を狭めることで、未来の危機に対する対応能力を下げうる。
災害や戦争、疫病の流行など、大規模な社会支出を要する出来事がなく、経済成長が続けば、現状の社会保障を維持できるかもしれないが、ひとたび危機が起きれば、予想外のショックを与え、現状の社会保障を維持することができなくなる。
経済崩壊をここでは、ハイパーインフレ、銀行危機、デフォルトのいずれかと考える。どれが起きても、信用が縮小して、輸入が困難になり、外国人労働者は日本を離れ、日本円の価値が乏しくなり、労働力が減る。
日本円でインフレ調整された年金が配られたとしても、それで生活に必要な物品やサービスを購入するのは難しい。また、経済崩壊した場合は、日本という国家に対する信用が失われるために、社会保障費の支払いのために国債を発行しようとしても、低い金利で十分な引き受け手を見つけることが難しくなるだろう。
なお、国内債券のデフォルトは実はそんなに珍しいことではない。日本も1945年から52年にかけて、円の切り替えと預金口座の封鎖が実施されており、これが事実上の国内債券のデフォルトとみなされている。
社会保障費と国債発行を継続した結果、経済崩壊が起きて、社会保障の本来の意義である、国民の「安心」や生活の「安定」を支えるセーフティネットとしての機能が実質的に失われてしまう可能性がありえる。
つまり、病院が稼働せず、年金で支給される日本円に価値がなくなることで、実質的に社会保障が機能しなくなる状況だ。
これを社会保障のハードランディングシナリオだ。
別のシナリオとして、社会保障費が増大した結果を踏まえて、今のままでは医療・介護・年金のいずれも維持できないから、適切な規模に縮小することが、社会全体で合意され、実践される、ということもありえる。
これを社会保障のソフトランディングシナリオと考える。
ここでは、現状の人口動態と選挙制度の下では、社会保障制度のソフトランディングが困難であることを説明し、それに対する対処法を考えていく。
シルバーファースト現象
シルバーファースト現象とは、社会保障が充実した少子高齢化社会では、政治家が合理的にふるまった結果、高齢者向けの政策パッケージを提案することである。
社会保障が充実した少子高齢化社会では、高齢者は均一なニーズをもつ大規模な投票集団としてとらえることができる。つまり、多くの高齢者は、リタイア後で、年金で生活していて、医療や介護に対するニーズが大きい。また、投票率が高く、一票の価値が高い地方に在住する傾向があるため、彼らにアピールすることで、当選確率が高まる。
一方で、非高齢者は、子供がいれば子育てを重視するだろうし、独身であればそうではない。収入が高ければ、累進課税に反対するし、収入が低ければ人頭税に反対する。医療や介護のニーズは、それを要する家族がいれば重視するだろうし、核家族や一人暮らしであれば重視しないかもしれない。長期的な経済成長を期待する人もいれば、減税によって使えるお金が増えることを望む有権者もいる。また、20歳か50歳かで、政治に求めるものが異なるだろう。
このように多様で相反するニーズを持つ上、投票率が低く、政治集団としての人口規模も小さく、その小さい人口規模が一票の価値が少ない都市部に集中的に在住しているので、若者向けの政策を打ち出しても、得票数につながりづらく、政治集団としての重要性が少なくなる。
このように、高齢であれば政治的立場は均一で、若年であれば多様である。だから、政治家は当選するため合理的にふるまうと、年金と医療、介護保険を維持、ないし拡大する政策を取りやすい。
与野党を問わず、当選確率を高めるためには、一定の政治的意見を持つ大きな集団の投票確率を下げることはしない。
若者向けの政党、というのがあったとして、その政党が議席を取ることは難しく、何らかの政治的権力を行使できる立場になることも難しい。
これがシルバーファースト現象だ。
現状の社会制度のもとで全てのプレイヤーが合理的に振舞った結果であり、悪者がいるわけではない。あえて言うなら、1946年に成立した戦後民主主義が、社会の平均年齢が22歳から49歳と年老いるに従い、機能しなくなったのだ。
マスメディアの視聴者の高齢化
権力の監視装置として、マスメディアは存在する。2008年の民主党への政権交代の実現には、マスメディアの協力が大きな影響を与えていた。
しかしマスメディアの視聴者は高齢者であり、スポンサーも高齢者向けのサービス・商品を宣伝する企業である。そのために、社会保障費を縮小するような政策を喧伝する集団を肯定的に扱うことは難しい。マスコミ主導で、社会保障費を縮小していくことは現実的ではない。
経済崩壊は起こらないと想定されている。
繰り返しになるが、経済崩壊をここでは、ハイパーインフレ、デフォルト(国債返済条件の見直し)、銀行危機(取り付け騒ぎ、預金封鎖、銀行の連鎖的倒産)と考える。
これらの事象は今まで起きている。日本では戦後のハイパーインフレと、バブル崩壊による銀行の吸収・合併がそれにあたる。
当然ながら戦後のハイパーインフレは予想されていなかった(そもそも敗戦が予測されていなかった)し、バブル崩壊も一部の有識者を除いて、予測されていなかった。
というか、経済崩壊は、多くの人が失敗を予測したのに実行されて起きた、ということはありえない。早い段階で対処できれば、崩壊には至らないからだ。
知らず知らずのうちにリスクが高い選択肢を、そうと認識せずに選び続け、その結果として「まさか」の出来事に脆弱になって、「まさか」の出来事が起きて破綻するのがいつもの流れだ。
銀行危機は近隣の国家間でも連鎖的に起きるようで、中国のバブル崩壊が波及することは一つのきっかけになるだろう。
一応、先ほど引用した「国家が破綻する」によれば、銀行危機に先立って不動産価格の上昇が起こるのは常のようだ。
https://www.sumai1.com/useful/plus/market/plus_0272.html
だが、今のところ銀行や国家財政の危機が叫ばれることはない。
これには合理的な理由がある。
経済崩壊が予測され、多くの人がそれを信じた時点で、現実になってしまう。
経済崩壊が政府からアナウンスされた時点で、人々は経済崩壊に備える。自国通貨の価値が減少し、土地の価格が下落し、自国の株価が暴落すると予測したならば、人々は銀行から現金を引き出し、国内の株式や投資用不動産を売却して、海外資産や金、転売価値の高い実態資産に変換する。
一連の行動を多数の人が行えば、銀行で取り付け騒ぎが起こり、株価が下落し、土地や住宅価格が下落し、銀行危機が起きる。
ゆえに、誰もが日常生活の中でその現実を受け入れざるを得ないくらい状況が悪くならないと、経済崩壊であると公式に発表されることはない。
だから、経済に大きな問題があると公式に、早いうちに告知されることは滅多にない。それゆえに政府は、経済への負担を理由として、社会保障費の削減を訴えることはできない。
経済的な理由があって社会保障費を削減しなければならないと政府がアナウンスすることそれ自体が、経済崩壊を誘発しうる。
ゆえに、ハイパーインフレや銀行危機、デフォルトによって誘発された経済崩壊によるハードランディングだけが、なし崩し的な社会保障の削減を可能にする。
ここまでが、政治的・経済的な解決が困難だと僕が考えた理由だ。しかしこれはあくまでも現状の政治・経済・マスメディアの枠組みで考えただけだ。ここから抜け出して考えてみよう。また、医療の観点からもできることが幾つかある。
シルバーファースト現象の政治的な解決策
まず、政治的な解決策としては、民主主義のルールを変更する方法がある。
選挙制度の改革自体は1994年に政治改革四法が成立したことから、可能だ。ただ、ここでもシルバーファースト現象が問題になる。
最大の票田である高齢者の票数を減らすような仕組みを、高齢者が多数を占める状況でわざわざ行うことができるのか?ということだ。
ただ、女性参政権など、過去において投票権を持たない立場の人が投票権を獲得した歴史はある。まだ持っていない誰かの権利を代弁するために投票権を与える、というロジックは成立し得る。
では、まだ投票権を有していないのが誰かといえば、未成年と、まだ生まれていない子供たちや、生まれるはずだった子供たちだ。
彼らの意見が無視されているから、彼らが不利になるような政策が通りづらくなるような政治の仕組みを作る、という理屈は無視できない重みがある。
特に気候変動への対応や、社会保障費の負担増に関しては、将来世代の負担を削減できるような政策を推進できるような制度設計が、社会の存続のために必要であり、そうした意見を織り込めるような選挙制度が必要である、という理屈は成り立つ。
もしくは、生涯に行使できる投票権をなるべく平等にするために、年齢によって重みをつけて、18歳がもっとも重みがあり、年齢を経るごとに軽くなっていくという制度設計も考慮される。
早く亡くなってしまう人と、長生きする人との間で、生涯に行使できる投票権の格差を減らす、という発想だ。
経済的な観点から、シルバーファースト現象を打開する方法としては、経済的な不安定さが増大し、社会保障の継続が難しくなっていることを客観的に証明することが一つあるだろう。
つまり、崩壊とまではいかないけれど、社会保障を存続させるためには規模の縮小が必須であると納得させることだ。
ただ、これはしっかりとした根拠が必要になる。
ここの議論はかなり専門的になるだろうし、正直僕自身の知識ではしっかりと根拠を示すことは難しい。
ただ、現代貨幣理論であっても、社会保障費の穴埋めのために無制限に国債発行を行うことは肯定できないように思う。
なぜかといえば、どのような社会保障費の使い方が適切かを判断するのは、貨幣理論の範疇からは逸脱するからだ。
医療に関する側面から考える、社会保障費の削減
実は高齢者と現役世代が同じ方向を向ける鍵があるのではないかと考えている。つまり、現状の医療制度は必ずしも高齢者自身のためになっていない部分がある。それを考えるための証拠を一つずつ考えてみる。
まず、日常生活を行う機能(つまり、歩いたり、食事をしたり、排泄をしたり、入浴する機能のことだ)が障害された認知症高齢者においては、予防医療や急性期医療の効果が乏しいことが多い。
高齢者への予防医療の効果の乏しさ
高血圧の治療は、85歳を超えると、総死亡率に対する利益ははっきりとしない。
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/18378519/
また、6m歩行できない高齢者では、血圧が低いと、死亡率が高まる。
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/22801930/
高血圧に対する治療は、医療の中では、禁煙と並んで医学的な効果が確立していて、効果も高い治療だが、高齢で虚弱になると、効果が乏しくなり、時に逆効果になる。
理由の一つは、高齢者、特に虚弱な高齢者は、残された時間が短いからだ。要介護5の場合、2年後に死亡する確率は、41.4%である。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jalliedhealthsci/15/1/15_43/_pdf/-char/ja
もともと長生きが期待できない状況では、予防医療が与える利益は乏しい。がん検診などではなおさらである。また、脳動脈瘤や膵嚢胞など、フォローアップが必要な病気が発見され、画像が定期的に検査され続けることもあるが、全身状態や認知機能を鑑みると、見つかったとしても、侵襲的な治療が不可能なことも多い。治療不可能で、症状がない病気を検査し続けることの意味は乏しく、本人・家族の通院負担に見合わないだろうと推定できることも多い。
虚弱高齢者に対する薬物治療・外科治療を前提とした医療の削減を推し進めることは、単に効果の観点から、議論が可能になる。
つまり、効果の乏しい治療として保険でカバーしないことが選択肢になるのだ。
保険でカバーされないとなれば、医療従事者は治療を中止する話がしやすい。湿布やベンゾジアゼピン系睡眠薬は最もわかりやすい例で、湿布は処方枚数制限が生まれて処方枚数を減らすことが簡単になったし、時に処方しないこともしやすくなった。ベンゾジアゼピン系睡眠薬の精神科以外での処方制限は、内科医にベンゾジアゼピン系薬を継続しない選択肢を与えやすくした。
急性期医療が認知症高齢者に与える体験と、治療の差し控えの難しさ
認知症高齢者に対する急性期医療は、身体拘束や抗精神病薬による薬物的鎮静の併用が不可避なことがある。また2週間であっても、入院に伴う全身機能の低下が避けがたい。つまり、入院によって得られる本人の利益が少ない。
認知症が誤嚥性肺炎などを通じて死に至る病だと伝えられていることはあまりなく、それがゆえに状態が悪化したときには、救急車が呼ばれ、救急病院に入院し、急性期医療が行われる。
ここで不思議なのは、本人の認知機能が障害されていても、簡単な意志表示ができるとき、心臓マッサージをしてほしいですか?という質問に対する本人の希望は、「本人の希望」と判断されるのに、点滴や経鼻胃管を抜去することは、「せん妄」と判断されて、行動制限が実施され、治療が継続されることだ。ここには医療者が何を意志と判断するかに恣意性がある。
今のところ、認知症高齢者の急性期医療で、どこまで医療を実施するかは、オプションの提供も含めて医師の裁量による部分が大きい。しかし多くの医師は患者家族の意志が最も重要であると考えている。
医療行為を差し控えることによる訴訟への恐れから、治療が継続されることが多いように思う。
本人の体験がどうか、ということを考えて、家族と話し合いながら治療する、ということは滅多にない。
治療の差し控えに関する明確な指針が定められることで、本人の終末期の体験を悪化させるような医療は避けることができる。
これに関しては、ガイドラインが作成されている。
https://www.med.or.jp/dl-med/doctor/r0205_acp_guideline.pdf
ただ、何をもって人生の最終段階とみなすか、という点が、認知症に関しては曖昧な点がかなりある。そしてこのガイドラインには、最終段階の定義は記載されていない。これは意図された曖昧さであるとは思うのだが、それが認知症高齢者の救急医療に関して、混乱を生んでいる部分ではある。
費用面に関して、高齢者医療に掛かるコストが医療従事者も患者家族もあまり視界に入らない点も、人生の最終段階についての考え方を難しくさせる。
入院費用の自己負担額が、若年者並であれば、入院には様々な意味でコストがかかることが、家族も実感できる。だから家族も治療の差し控えを納得しやすい。入院を続ける限り、患者家族が手にするお金が増えてしまう状況では、治療を諦めさせるのが難しい部分が生まれてしまう。
健診について
デンマークの健診では、健診を受けた介入群と、健診を受けなかった対象群で、死亡率の差は統計的に有意ではなかった。(59616人のうち、11629人が5年間の健診とリスクスクリーニング、カウンセリングを受けた)10年間の追跡で、死亡者数は3163人、死亡率のハザード比は1.00で、これは差が全くなかったということだ。
https://www.bmj.com/content/348/bmj.g3617
日本で行われたメタボ健診も、同様に効果に乏しかった。
https://www.carenet.com/news/general/carenet/50972
がん検診(健診と異なっていることに留意)はエビデンスがあるものも多い。これはこれでかなり複雑な話になるので、ここでは割愛する。
自己負担率が低いと、健康になれるのか?
そもそも健康保険の自己負担率が低いと、健康になれるのか、という議論がある。
というか、現状行われた研究を参考にすると、自己負担率が低いからと言って、健康になれるわけではないかもしれない。
根拠となるのは、ランド医療保険実験だ。
医療保険による自己負担割合を、無料、25%負担、50%負担、95%負担で分けたものだ。1971年からはじまって、1993年に出版された古い研究であることに留意は必要だが、重要な示唆を与えてくれる。年間の医療費は、無料の群と95%自己負担群で、30%異なる。一方で、最も貧しい群を除けば、自己負担額の低下は、健康状態の間に因果関係がなかった。また、外来受診回数も自己負担割合に応じて減少し、95%自己負担群に比べて、無料群では受診が30%増加した。
古い研究であることに留意する必要はあるが、低い自己負担率が必ずしも健康につながるわけではない、という研究は自己負担率を増やす根拠の一つになるだろう。
医療費に関しては、減らしても不健康になるわけではない、と推定される領域が幾つか存在する。
ここを削ることに関しては、世代を問わず合意が得られるのではないか。
全体のまとめ
シルバーファースト現象のために、社会保障費の削減を打ち出す政治家は当選しづらい。
シルバーファースト現象の克服のためには、選挙制度の改革が必要だ。
マスメディアの主要顧客は高齢者だから、社会保障費削減をマスメディアが主導することもできない。
経済崩壊(ハイパーインフレ、デフォルト、銀行崩壊)は歴史上、様々な国で時折起こるけど、事前に予測することは難しい。
というか、経済崩壊が起きるかもしれないというアナウンス自体が財政破綻を引き起こす恐れがある。
経済崩壊したら、社会保障も維持できないので、全員が損をする。
高齢者への予防医療は、若年者のそれに比べて利益が乏しいか不明瞭な傾向がある。
認知症高齢者への急性期医療は、患者さん自身にとって、不快な体験であるかもしれない。
それでも医療が行われるのは、医療者の恣意性と、訴訟への恐れが関係している。
健診を受けても、長生きにはつながらない。
医療費自己負担額が増えても、不健康にはならないかもしれない。