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医師にとって社会保障の消失は困るのか
僕は社会保障制度が続いてほしいと思う。まあ、僕が70歳になるまでは続いてほしい。規模は縮小してもかまわないが、まったくなくなるのは困る。
正確には、収入面では恐らく困らないが、倫理的に困る。
なぜ困らないと確信できるか?それは健康保険制度の導入を考えてみればわかる。
国民皆保険の導入に際し、日本医師会は保険医辞退届の提出を取りまとめ、これを交渉材料として診療報酬の引き上げを望んだ。
ここからわかるのは、国民皆保険制度が存在しない世界は、医師にとって交渉材料にできる程度には都合がよかったということだ。
社会保障が消失した世界でも、保険制度が事実上崩壊していた終戦後の医師の様に、保険外診療を行い、謝礼(非課税かつ違法だが、こういう世界ではたいてい法治も崩壊しているので、適切な相手にお金を渡していれば逮捕される懸念は少ないだろう)を貰うなどして収入を確保することはできる。
なんなら今より収入は増えると思う。
というか、収入のために倫理を諦めることが容易になると思う。
溺れる人に藁を売るのは簡単だからだ。
これは医学の歴史で繰り返し見られたことだ。
というか、幾つかの例外はあれど、中世の医師は殆ど藁しか提供していなかった。
しかし、職業としては存在し続けていた。
でも、藁を売りたくてこの仕事を選んだわけではない。
その人の身なりを見て診療するかを決めたくもない。
使える薬が安価なものに制限されたとしても、それなりの治療はできる。
高価な画像検査ができないなりに、問診と身体所見でできることもそれなりにある。
保険制度が縮小したなら、そうやって生きていく予定だし、それができるように勉強もしている。
一方で、検査中心・高額薬剤・医療機器中心の診療スタイルを行う医師は保険制度の崩壊に応じて厳しい立場に追い込まれるだろう。
具体的には、ロボット手術を主体たる治療手段とする外科医、絨毯爆撃的検査を行って、それらすべての結果を子細に検討して診断を確定させるタイプの内科医、高額な抗がん剤治療、免疫治療を仕事の中心としている場合は、その専門性を活かすための資源確保が、国家財政的に維持できなくなる可能性がある。
つまり、スペシャリストが心配しなければならないのは、AIの発展よりも社会保障制度の崩壊かもしれない、ということだ。
一方で対症療法やコミュニケーションを得意とする医師は、生き残れる可能性が高い。対症療法薬は基本的に安価なものが多いし、コミュニケーションは病気を理解してもらい、生活指導を遵守させ、病気を悪化させないための技法であり、病気の苦しみを和らげる技能でもあるからだ。
CTやMRIの読影はどうかというと、恐らく身体所見を磨くためにこれらのスキルを使っている医師は、CTやMRIが容易に撮れない世界でも仕事ができる。
そんなわけで、準備をしている医師にとって、社会保障の崩壊はそれほど困ったことにはならなそうだ。しかし、準備をしていない医師は困るし、患者さんはもっと困ったことになる。
それは避けないといけない。